六 声
カヌトが立ち上がり、シガノの部下たちに両脇を固められる様を、ミナキは呆然と見守っていた。カヌトがこちらをちらりと振り返る。
「シガノ殿、弟子は禁法具のことなど何も知らないのです。ヒョウにいくのは、わたしだけにしていただきたい」
シガノは頷いた。
「もちろんだ。我々も、無関係な者を巻き込むつもりはない」
(無関係……じゃない)
自分はカヌトの弟子だ。無関係などであるものか。カヌトがヒョウに連れていかれるというなら、自分もついていくまでだ。
カヌトを失いたくない。
その思いは燃え盛る火のように急激にミナキの心を焼いた。もし、呪いが解けなかったら、カヌトは禁法具の知識を引き出され続け、いずれ自分のことも忘れてしまうだろう。もしくは、禁法具の知識を流出させないために自ら命を――。
そんなことはさせない。カヌトに最悪の道を選ばせないためにも、自分は彼の傍についていなければならない。
カヌトがミナキと目を合わせ、ほほえんだ。
「ミナキ、夜が明けたら、シーリャのところにいくんだ。いいね」
「嫌です」と言いたかった。けれど、言葉は声にならないまま、空しくミナキの頭の中を漂うだけだった。これほど声が出ないことを、恨めしいと思ったことはない。
カヌトは顔を前へ向け、シガノに先導されるまま、両脇を固められ、歩き始めた。この状況では、ラーナンに文字を書き綴る暇などありはしない。
(嫌……)
ミナキは口を動かそうとした。今までに繰り返し受け、日々自発的に行っている発声訓練を思い出し、喉に意識を集中する。
(先生……)
声は、やはり出てくれなかった。カヌトが歩を進め、戸口へ向かっていく。
「……っ」
かすれたような、ごく小さな、声にならない声が、ミナキの口から漏れ出た。もっと大きな声を出さなければ。そう思った瞬間。
「先生……」
ミナキの喉は、約一年振りに声を発した。しかし、まだ小さすぎてカヌトは気づいていない。
「先生!」
今度こそはっきりと、自分自身の声でミナキは叫んだ。カヌトがはっとして振り向いた。
ロウは小走りでアシ山脈の裾野に下り立った。重い荷物を背負って急ぐのは、その身に応え、息が切れた。ニギ支部で荷物を預かってもらえばよかったかな、という思いが頭をかすめもした。だが、荷物を持っていかないと、本当の意味でカヌトのもとに帰ってきたとは言えない、と思ったのだ。
カヌトに今までのことを謝って、もう一度弟子にしてもらう。
そのことばかりを考えて、ロウは日が暮れた暗い山道を急いできたのである。
街道を進み、カヌトの家が見えてきたところで、ロウは足を止め、思わず身を伏せた。家の周りを人影が取り囲んでいる。ここから見た限りでも十人はいるだろう。家の裏まで取り囲んでいるとすると、全部で二十人近くはいるかもしれない。
(何なんだ? いつもは家にくる人すら少ないってのに……)
ロウは様子を窺うために指で輪を作り、ふっと息を吹きかけた。
「輪よ、遠方を望む鏡となれ」
遠くが見えるロヌ(レンズ)を魔法で作り出すと、ロウは人影を注視した。望遠した人影は、異国の軍装をした男たちだった。侵入者を阻むように、皆、外側を向いている。中に要人でもいるのだろうか。
そこまで考えて、ロウの脳裏に稲光が閃いた。
(――いや、家の中にはあいつらの上官がいるんだろうけど、重要なのはそこじゃない。あいつらの狙いは――)
おそらくカヌトだ。正確には彼の作り出した禁法具というべきか。アイジェスの台詞をロウは思い出していた。
――あれほど優秀で危険な禁法具を、自力で作り出すことができるのは、この近隣諸国では、カヌトだけでしょうから。
カヌトが禁法具を作ったという話だけなら、ロウの元担任教師でも知っていた。多分、最も重要であるカヌトの現在の住まいの情報が、どこかから漏れたのだ。ジズやジズの父親みたいな奴の手で。
このままでは、金鎖の呪いに縛られているのに、カヌトは異国に連れていかれて、禁法具の情報をしゃべらされた上に、新たな禁法具を作らされてしまうだろう。カヌトが自分のことを忘れてしまうと思うと、ロウは無性に寂しくなった。
それに、家の中にはミナキもいるはずだ。二人を見捨てるわけにはいかない。しかし、二人を助けるためには、家の中に入らねばならない。問題は、どうやって家の周りの兵士たちに気づかれずに中に入るかだ。
(透明になれる薬の作り方を、カゥさんに習っておけばよかったなあ……)
途方に暮れそうになりながら、ロウは考え込んだ。透明。姿が見えなくなる。相手から見えなくなる――。
(そうだ、相手から見えなくなればいいんだ!)
ロウは思わず膝を打った。かなり大規模な魔法になることを見越し、意識を集中すると、呪文を唱え始める。これからが、学年八位の腕の見せどころだ。
「水蒸気よ、水滴となれ」
周囲の気温がひんやりとしてきたところで、ロウはさらに詠唱し、両の掌を突き出す。
「水滴よ、煙れ」
暗闇の中、ロウの掌の先に霧の道ができてゆく。立ち上がったロウは、ゆっくりと、霧をまとわりつかせるように歩いていった。目の前の霧を広く濃くしながら、どうにか家の近くまで辿り着く。視界の悪い中でも何とか進むことができたのは、この半年の間に、この辺りの地形をしっかり把握していたからだろう。
突然の霧を訝しむ異国語が聞こえてきた。多分、ヒョウ語だろう。ますますカヌトを渡すわけにはいかない。魔力を最大限に使って、一気に家の前面を覆うくらいの霧を発生させ、ロウは入り口に駆け寄る。ロウの気配に気づいたらしい兵士の怒鳴り声が響いた。
ロウは急いで戸に手をかけ、転がり込むように中に入った。




