五 ヒョウからの使者
ロウがいなくなってひっそりとした家に、昼下がり、一通の書状が届いた。書状を読み終えたカヌトはしばらく無言だったけれど、ミナキが視線を向けていると、内容をぽつりぽつりと話してくれた。
「ロウは同級生にわたしのことを侮辱されて、喧嘩騒ぎを起こしたらしい」
それでロウは、カヌトが禁法具を作ったことを知ったのだ。ミナキは腹立たしかった。その同級生は、本当に余計なことを教えてくれたものだ。
カヌトはロウを責めるようなことは一言も口にせず、午後の授業を終えた。
その後、ミナキはカヌトとともに夕餉をすませた。戸を叩く音がしたのはそんな時で、ミナキは一瞬、ロウが戻ってきたのかと思ってしまった。それは、カヌトも同じだったに違いない。しかし、彼は「カゥかもしれない」と呟いただけで、特別急ぐこともなく、戸を開けにいった。
戸を開いたカヌトが、動きを止めた。ヒョウ語と思しき異国語が聞こえ、三人の軍装の男たちが家の中に入ってきた。その装束が、以前目にしたヒョウの兵士たちのものに似ていることに気づき、ミナキはびくっとした。カヌトがこわばった顔でこちらを振り向いた。
「ミナキ、彼らは――」
「いや、わたしから自己紹介しよう。あなたがミナキさんだね?」
最も意匠の凝った衣を身にまとった壮年の男が、ニギ語で話し始めると進み出た。
「わたしはヒョウ軍の魔法技術顧問官のシガノという。ご家族や村の方々には、我が軍の兵が申し訳ないことをした。あの一件は、アワントを故郷に持つ兵たちが暴走した結果、引き起こされたのだと聞いている。だが、本来、我が軍は異国人といえども、民を害することは固く禁じられているゆえ、手を下した兵や上官は王の命令により厳罰に処された。このようなことを言っても、君の心は晴れないだろうが……」
突然の謝罪に、ミナキはどうしたらよいのか分からなくなった。ただ、どうしてこの人が、村を襲った兵たちの上官ではなかったのだろう、と思うばかりで、固く唇を引き結んでいた。
シガノはカヌトに向き直る。
「この場ではニギ語で話したほうがよろしいかな?」
「そうしていただけると助かります。これ以上、弟子を不安にさせたくない。……立ち話も何ですから、おかけください」
カヌトは床に茣蓙を敷くと、客座を指し示した。シガノは茣蓙の上に腰かけ、カヌトはその向かいの主人の席に座る。ミナキは二人の顔が見える、少し離れたところに座った。シガノの二人の部下は、戸口を守るように佇んでいる。
カヌトが口を開いた。
「……よくここが分かりましたね」
「探すのに六年を費やしたよ。カヌト殿、あなたが禁法具を作ったという噂がヒョウに入ってからというもの、我々はずっとあなたを探していたのだ」
「どのようにして?」
「それは口外できないが、六年もたてばどんな頑丈な家も、朽ちて野鼠が穴を開けるということだ」
どこかから、情報が漏れたということだろうか。話を聞いても、カヌトは泰然としていた。いつかこんな日がくることを、予想していたのだろうか。
「単刀直入にお訊きしますが、あなたがたの目的は何です?」
カヌトは問いかけたものの、その目には疑問の色は浮かんでいなかった。
「賢いあなたのことだ。もうお気づきではないのかな。……わたしたちに課せられた命は、あなたをヒョウに連れ戻すことだ」
シガノの答えは、ミナキをはっとさせた。
(この人たちの狙いは、きっと禁法具だ……)
カヌトは表立っては何でもないような振りをして、シガノと相対していた。そうでもしないと、どうしても想像が悪いほうへ悪いほうへと向かってしまうのを、止められなかったからだ。
「わたしが過去に作った禁法具が目的ですか? あいにく、今のわたしには、あれをもう一度作ることも、作り方をお教えすることもできませんが」
金鎖の罰を受ける際、カヌトはアイジェスにこう言われた。
――記憶を失う条件はふたつあります。ひとつめは、禁法具を実際に作ろうとすること。ふたつめは、禁法具の作り方を他人に教えること。……あなたがどちらの条件も満たさないことを、祈っています。この呪いは、他人には解くことができないのですから。
「金鎖の呪いか」
シガノは呟くように口にした。金鎖の罰のことを知りながら、ヒョウの上層部は彼らを派遣したということだ。
「あなたがヒョウに戻り、禁法具の作り方を教えると約束してくれれば、その金鎖の呪いを解くと、こちらも約束しよう」
カヌトは、そう明言したシガノを見据えた。
「この呪いは、誰にも解くことはできない。そういう呪いなのです。この呪いが他人には解けないと聞いたわたしは、かつて様々な方法を使って、自力で呪いを解こうと試みました。……ですが、結局は解けなかった」
「できるはずだ。我が国の魔法学術師が総力を上げさえすれば。だからこそ、我々はあなたを迎えにきたのだ。わたしとしても、無理に禁法具の情報を引き出して、あなたような貴重な人材が、記憶を失い続けてしまうようなことは望んでいない」
「そうおっしゃっていても、呪いが解けなければ、あなたがたはわたしの記憶など、どうでもよいと思い始めるでしょう」
言いながら、カヌトは心が冷えていくのを自覚した。
一緒にいられた時間は短かったが、両親に愛されて育った思い出、魔法院でカゥやシーリャとともに成長していった思い出、アイジェスのもとで修行に励んだ思い出、そして、ミナキやロウと過ごした思い出――それら全てが自分の中から失われてしまうのだと思うと、寒気がした。
「我々は、是が非でも奪われたアワントを取り戻さねばならない。そのためには、どうしてもあなたが必要なのだ」
シガノはカヌトの疑念には答えなかった。カヌトは暗澹たる気分になった。これではどうあっても、自分の意思は受け入れられないだろう。それでも――例え記憶を失わないとしても、絶対に禁法具を作りたくないという思いが、今のカヌトにはある。それだけは、どうしても表明しておかねばならない。
「わたしはヒョウには戻りません。あなたがたがどのように禁法具を使ってアワントを取り戻すにしろ、人を殺すことに変わりはないでしょう。わたしは自分が作ったものによって、人が殺されることを望んでなどいない。それに、アワントを取り戻したあと、あなたがたはどうするつもりですか? さらに強力な禁法具を作って、ニギに攻め込まないと言い切れますか?」
それだけではない。強力な禁法具を目の当たりにしたニギのほうでも、新たな禁法具を作ることに力を注ぎ始めるかもしれない。そうなってしまったら最後、争いはどちらかが死に絶えるまで続く泥沼となる。
「……交渉は、決裂、というわけかな」
シガノがため息をつき、目を閉じた。カヌトにしてみれば、これは交渉ですらなかった。一方的な条件の提示だ。
「カヌト殿、あなたは既に分かっていると思うが、ヒョウに戻りたくないという希望を受け入れるわけにはいかないのだよ。民はアワントを取り戻すことを望んでいる。昨年のようにニギ攻めに失敗すれば、民心は王から離れてしまうだろう。そうして、反乱でも起きれば、国力はますます低下してしまう。アワントはあなたの故郷だ。本当に取り戻したくはないのか?」
望郷の想いは、もちろんカヌトの中にもあるが、新たな血を流してまでその地を踏みたいとは、もう思えなくなっていた。
(この話が六年前にきていれば、また事情は違っただろうな)
むしろ、嬉々として禁法具の知識を流出させたかもしれない。
苦い気持ちが広がっていく中、ずっと胸の奥に引っかかっている後悔が頭をもたげた。
もし、一年前のあの日に、シガノたちが現れていたら、自分の身柄と引き換えに、ミナキの家族を助けることができたのだろうか――。
握り締めた拳に爪が食い込む。カヌトはきっぱりと言い放った。
「わたしの故郷は、六年前に失われました」
シガノが戸口に立つ二人の部下に、目で合図を送る。部下たちがカヌトの両脇に立ち、告げた。
「お立ちください」
トビ村が襲われた時、カヌトはミナキを助けることしかできなかった。己の無力さを噛みしめながら、ヒョウ軍に蹂躙される、見知った人々の住む村を見捨てたのだ。
だが、今度はそんなことはさせない。例え、この身を犠牲にしても、ミナキやロウ、そして、かつての自分のような者を出さないために、力を尽くそう。
カヌトは覚悟を決めた。




