四 カヌトの過去
再び、魔法学術協会ニギ支部の前に立ち、門をくぐったロウは、今度は魔法院へは向かわずに、まっすぐニギ支部の建物を目指した。建物の中に入り、靴を脱ぐと、受付の女人に声をかける。
「あの、僕、魔法院を卒業して一年目のロウと申します。今日は、師匠を任命する方とお会いしたくて伺いました」
子どもだと思われないために、ロウは精一杯真面目な顔をし、慣れない敬語を使った。ここですげなく追い返されてしまえば、もうあとがないから、ということもあったけれど。
受付の女人は、机の上に置かれた紙片を確認すると、にっこりと笑った。
「ロウさんがこちらにいらっしゃったら、ご案内申し上げるよう、支部長から言いつかっております。少々お待ちくださいね」
女人は声を遠くに伝える伝声玉という魔法具を使い、案内役らしき男を呼んだ。男に連れられ、ロウは長い階段を上り、奥まった部屋の前までやってきた。男が扉を叩くと、「どうぞ」というくぐもった声が中から聞こえた。
「お入りください」
男がそう言って扉を開けたので、ロウは恐る恐る、部屋の中へと入る。
「やあ、あなたがロウ君ですね」
自分にラシッド語で話しかけてきた人物を見て、ロウは驚いた。そこに座っていたのは、肩まで金の髪を伸ばした異国の男だったからだ。目鼻立ちの彫りはラシッド人よりも深く、肌の色は白い。ヒョウ人やラシッド人は見慣れているロウも、初めて目にする容貌だった。にもかかわらず、その顔立ちを美しいとロウは思った。男はニギ風の前で合わせる上衣と、足首まである袴を身に着けている。
異国の男は微笑した。
「初めまして。わたしはニギ支部の支部長、アイジェスといいます。ラシッドよりもさらに西の国の出身でしてね。わたしは滅多に魔法院に顔を出さないから、驚いたでしょう」
ロウは思わず頷いてしまってから、しまった、と思った。初対面の支部長に対して、失礼な態度だったかもしれない。訂正したほうがいいだろうか、思い悩むロウの前で、アイジェスは気分を害した様子もなく、にこにこしている。
「遠いところからきて疲れたでしょう。どうぞ座ってください」
ロウは勧められるまま、荷物を下ろし、アイジェスの向かいの座布団に腰かけた。近くで見ると、彼の瞳は青とも緑ともつかない、不思議な色をしている。アイジェスは、伝声玉に向かって話しかけた。
「すみませんが、お茶を持ってきていただけませんか? ええ、ふたつお願いします」
ほどなくして、お茶を盆に載せた女人が現れた。お茶をロウとアイジェスの前に置くと、女人は出ていった。
「わたしは、カヌトの師でしてね」
お茶をすすったあとで、出し抜けにアイジェスは言った。
支部長になるような人物が、過去に問題を起こしたカヌトの師というだけでも意外だったけれど、それならばアイジェスは幾つなのだろう。カヌトの師だというならば、最低でも三十くらいのはずだ。しかし、アイジェスはどう見てもカヌトと同い年くらいにしか見えない。
目の前のアイジェスの姿が急に揺らいだような気がして、ロウは心の中でかぶりを振った。
ロウの内心を知ってか知らずか、アイジェスは、ふふ、と笑った。
「あの子の授業はどうでしたか?」
昼頃のカヌトとのやり取りを思い出してしまったロウは、少し迷った末に、正直に答えることにした。
「……とてもおもしろい授業でした。それに、魔法院の先生たちと比べても、ずっと分かりやすかったです」
「そうですか。あの子が聞いたら、きっと喜ぶでしょう。それに、わたしがあなたの師に、カヌトを選んだ甲斐があったというものです」
アイジェスがさらりと口にした台詞に、ロウはびっくり仰天した。
「え、ええ? あなたが選んだ? あの人を師匠に?」
「はい。評議会では、ずいぶんと反対されましたが」
何でもないことのようにつけ加えると、アイジェスはお茶を一口飲んだ。
「昨日、あなたはジズという同級生と喧嘩をしたそうですね。何でも、カヌトの過去のことでもめたとか」
ロウは目をみはった。あの喧嘩のことがニギ支部の上層部まで届いているなんて、想像すらしていなかった。
アイジェスの目に、厳しい光が浮かんだ。
「ジズ君はもちろんですが、そのご父君にも困ったものです。本来ならば、今カヌトがどうしているかは、例え自分の息子といえども、絶対に漏らしてはいけない情報でした。事件から時間がたつと、事態の深刻さを忘れてしまう者もいるということです。今後、何らかの措置を取らねばなりませんね」
「あの人――カヌト師の情報って、そんなに重要なものなんですか?」
「もちろん、重要ですよ。あれほど優秀で危険な禁法具を、自力で作り出すことができるのは、この近隣諸国では、カヌトだけでしょうから。カヌトの住む家は協会から与えられたものですが、あえて人里離れた場所にあの子を住まわせて、情報を漏れにくくしていたのですよ。あの家は、元々は引退した魔法学術師のものだったそうですが」
カヌトのことを誰にも話さないでよかったと、ロウは心から思った。
アイジェスは、ふと視線を落とした。
「だから、カヌトは罰を受けるだけでなく、協会によって監視されているのです。気づかなかったでしょう?」
「そうだったんですか!? 全く気づきませんでした」
驚きとともにそう答えたあとで、ロウはあることに思い至った。
「じゃあ、あなたはミナキのことも知っているんですか?」
「ええ。わたしがあなたをカヌトの弟子に選んだのも、彼女という前例がいたからなのですよ。あれほど憎んでいたニギ人を引き取って弟子にしたのですから、きっとあなたのことも、受け入れてくれると思いました」
新たな疑問の出現に、ロウは戸惑った。
「え? カヌト師が――ニギ人を憎んでいた?」
「ええ。今からその理由をお話しします。手短にできる話ではありませんが――その前に、彼を呼びましょう」
アイジェスは伝声玉に語りかけた。しばらくして、部屋に入ってきた人物を見て、ロウは思わず大声を上げた。
「カゥさん!」
そこに立っていたのは。間違いなくカヌトの友人であるカゥだった。
「よお、久しぶりだな、ロウ」
「カゥさん、どうしてここに?」
「実はな、どうしてお前さんがカヌトの弟子に選ばれたのか、理由を支部長に訊きにきたんだ。そうしたら、いずれお前さんがカヌトのもとを飛び出すかもしれない、っていうじゃないか。だから、お前さんがここにくるまでは、ニギ支部に留まることにしたんだよ。結局、四か月近くもいることになっちまったが、最終的にお前さんがこうして現れたわけだから、よかったよかった」
ということは、ロウとジズが喧嘩騒ぎを起こす前から、いつかロウがカヌトの家を出ることなど、アイジェスはお見通しだったというわけだ。ロウは何だか、居心地の悪い気分になった。
「カヌト師のところに戻るよう、俺を説得するために、ここに留まっていたってことですか?」
「説得なんてご大層なもんじゃないさ。ただ、どうしてカヌトが禁法具なんてものを作ることになったのか、それだけは話しておきたくてな――できれば、俺の口から」
カゥはこちらまで歩いてくると、アイジェスに勧められ、座布団を敷き、ロウの斜め横に腰を下ろした。
「さて、何から話したもんかな。……カヌトは異国との貿易で財をなした、豊かな商家の一人息子でな。母親は俺と同じユァン人で、大切に育てられたらしい。育ちのよさは、まだガキだった俺にも分かるくらいだった。幼い頃に魔法の才能があると分かって、親は喜んでカヌトを魔法学術師にさせようとしたわけだが、同時に異国の地での生活も体験させようと思ったらしい。本部のあるラシッドと迷った末に、ニギ支部の魔法院に入学させたんだ。それからカヌトは、俺やシーリャと出会った。ロウはシーリャとは会ったことはあるか?」
「はい。カヌト師の弟子になってすぐに、ナサーンの診療所で挨拶をしたくらいですけど」
「それなら話は早いな。俺たちは生まれも育ちも違ったが、ニギからすれば異国人同士ということもあって気が合った。だから、しょっちゅうつるむようになったってわけさ。その頃から、カヌトの魔法を扱う力や知識は、群を抜いてた。……そうですよね、支部長」
「ええ。ですから、カヌトが弟子になった時には、冷や冷やしたものですよ。わたしなどは、すぐに追い越されてしまうのではないかとね。カヌトは何でもこなせる子でしたが、本人の適正を鑑みて、わたしは彼に解師になることを勧めました」
「解師!? カヌト師は解師なんですか?」
そんなことは、カヌトの口から一度も聞いたことがない。驚くロウを見て、アイジェスはため息をついた。
「そうですか、カヌトはあなたに解師だということを話していないのですね。実に頑固なあの子らしい。禁法具を作った者には、解師を名乗る資格などないと思っているのでしょう。カヌトは協会の解師として、様々な禁法具に触れたり、文献を読んだりしていましたからね。それが結果として、仇となってしまったわけですが……」
それで、カヌトはロウが解師になりたいと言った時も、自分がそうであるとは一言も口にしなかったのだ。だが、解師であることも、ロウの師匠にカヌトが選ばれた理由のひとつなのだろう。
ロウはじれったくなってきて、単刀直入にカゥに訊いた。
「どうしてカヌト師は禁法具を作ったんですか?」
「うん、六年前のことだ。俺たちはそれぞれ資格を取って、師匠のもとを巣立っていった。シーリャは協会の運営する病院で働き始め、俺とカヌトはニギ支部で働き始めた。ちょうどその頃、ニギ軍がヒョウの都市、アワントを攻めて占領するという事件が起きたんだ」
ロウは息を呑んだ。それは、両親が死ぬことになった戦だったからだ。
カゥの表情が沈痛なものへと変わる。
「アワントは、カヌトの生まれ故郷だった。――カヌトの家はニギ軍の略奪に遭い、両親は二人とも殺されちまったそうだ」
ロウは、はっとした。ミナキと口論した折、「その戦を仕かけてきたのは、ニギだ」と、カヌトが怒りと悲しみを湛えた瞳で、口を挟んできたことがあった。カヌトもまた、六年前のあの時に、両親と故郷を失っていたのだ。
「――それで、カヌト師は禁法具を?」
カゥは目で頷いた。
「アワントが落ち、両親が殺されたという一報を聞いてから、あいつは段々とおかしくなっていった。食事もそこそこに研究室に籠りがちになって、久し振りに会ったかと思えば、病人みたいなやつれかたをしてな。そうして、いつの間にか姿を消した。捜索の末、カヌトが見つかった場所は、ヒョウとの国境近くの山中だった。カヌトは死にかけていたそうだが、意識ははっきりしていてな、すぐに逮捕されたよ。……禁法具を作り、ヒョウに持ち込もうとした罪でな」
もし、自分がカヌトと同じ立場だったら、やはり禁法具を作っていただろうか。カヌトのように魔法具を作る才能があって、復讐できる方法を編み出せていたら――。
そう考えると、カヌトとヒョウのことだけを責めてしまったことへの、強烈な後悔が込み上げてきて、ロウは思わず口に出していた。
「俺、謝らなきゃ。俺、何にも知らなくて……」
アイジェスは、ほほえんだ。
「是非、そうしてあげてください。カヌトはきっと、あなたのことを待っていると思いますよ」
言葉を切り、アイジェスは、ひたとロウの目を見つめる。
「ロウ君、わたしがカヌトをあなたの師に選んだのはね、あの子ならば必ず、あなたをよい方向に導けると思ったからなのですよ。似た境遇にある者にしか分からないことというのは、必ずあるはずです。――わたしには、知識や技術を教えることはできても、カヌトの心まで導くことはできなかった……。だから、カヌトのことをよろしくお願いします」
「はい! それじゃ、失礼しました!」
ロウは立ち上がり、荷物を背負うと、扉へ向けて駆け出した。
「おいおい、せっかちだな。もう戻るのかよ」
うしろから聞こえてきたカゥの声に答える時間すら惜しい。ロウは矢も楯もたまらず扉を開けた。




