第87話 観測者たちと静かなる視線
「……思ったよりも残ってるわね」
ロゼリアが、わずかに感心したように呟いた。
「ねぇ、ヴァルガス。あなたから見て、あの仮面の女、どう映る?」
問われたヴァルガスは、腕を組みながら目を細める。
「そうだな……あの衣装には見覚えがある気がする」
「見覚え?」
「ああ。昔、東の僻地へ遠征した時に、あれに似た格好の連中を見たことがある」
ロゼリアの眉がわずかに動く。
「それ、本当?」
「間違いねぇ。ただ、剣を交えたわけじゃねぇからな。強さまでは分からん。それに、仮面なんて付けちゃいなかった」
「そう……」
ロゼリアは再び試験場へ視線を向ける。
「だとしたら、何かしら関係はあるのかもしれないわね」
「ああ」
ヴァルガスも頷く。
「あの女から漂ってくる空気は尋常じゃねぇ。肌がひりつく」
「それは私も感じるわ」
するとヴァルガスは豪快に笑った。
「まぁ、オレ様には及ばんだろうがな! ハッハッハ!」
「はいはい」
ロゼリアが呆れたように肩をすくめる。
軽口が終わると、ヴァルガスは再び真剣な表情で闘技場を見下ろした。
第二試技は、すでに終盤へ差しかかっている。
先ほどまで百を超えていた参加者たちは、ほとんどが脱落していた。
だが、それでもなお――十数名。
未だ立ち続けている者たちがいる。
額に汗を浮かべながら歯を食いしばる者。
荒い呼吸のまま、剣を支えに耐える者。
そして。
まるで何事もないかのように、静かに立つ者。
その差は、誰の目にも明らかだった。
「そうですわね」
リフルも腕を組みながら頷く。
「みんな意外と精神的にタフなのかしら」
先ほどまでの、ごろつき同然の連中とは違う。
今残っている者たちは、少なくともこの異様な空気の中で、自分を保っている。
「キラーの前で、あれだけ平然としていられるのは大したものですな」
エルドが低く唸った。
「あの剣は、近くにあるだけで精神へ干渉してくる」
「並の者なら、立っていることすら難しいでしょう」
視線の先。
闘技場中央では、魔力障壁に囲まれた黒布の台座が静かに佇んでいる。
封印されているはずなのに。
それでも分かる。
あれこそが、この場の空気そのものを歪めている元凶なのだと。
「余程の鍛錬を積んできた者たち、ってことね」
ストーリアも感心したように息を吐く。
すると、ロゼリアが静かに口を開いた。
「剣の鍛錬。技の鍛錬。魔法の鍛錬――」
視線は試験場へ向けられたまま。
「あれ、結局は全部“精神”なのよ」
自然と皆が耳を傾ける。
「もちろん身体は大事。でも、それだけじゃ意味がないわ」
穏やかな声だった。
だが、その言葉には確かな実感が宿っている。
「恐怖の中で踏み込めるか」
「痛みに耐えられるか」
「死を前にして、それでも剣を振れるか」
一拍。
「心と身体。その両方が強くなければ――あそこには立っていられない」
下では、また一人が膝をついた。
限界はとうに超えている。
それでも立ち続けているのは、誇りか。
執念か。
あるいは、それ以上の何かか。
「……なるほどですわ」
リフルが感心したように頷く。
「だから、お姉様ってあんなに強いのね」
「ちょっと、リフル」
ロゼリアが苦笑する。
「でも実際そうだと思うわ」
ストーリアも真面目な顔で続けた。
「最後に残る人って、“一番強い人”とは限らないもの」
「最後まで折れない人、よね」
「故に、この試験は理にかなっております」
エルドも静かに頷いた。
「力だけを見るなら、単純に試合をさせればよい」
「ですが、“キラー”を持たせるのであれば、それだけでは足りない」
その言葉に、ルシアは黙ったまま試験場を見下ろしていた。
(折れない、か……)
脳裏をよぎるのは、フェリオスの姿。
あれは折れたのか。
それとも――最初から飲み込まれていたのか。
無意識に腰のスレイヤーへ触れる。
ドクン。
微かに脈打った気がした。
その時だった。
「……あれ」
リフルが小さく呟く。
ルシアたちから少し離れた観客席の上段。
そこにもまた、静かに試験場を見つめる一団がいた。
四人。
装備に統一感はない。
だが、一目で分かる。
――強い。
纏う空気そのものが違った。
無駄な会話がない。
立ち方。
視線。
呼吸。
その全てが洗練されている。
「どう見ても“Sクラス”ね」
リフルの言葉に、ロゼリアも静かに目を細めた。
中央に立つ長身の男。
黒い外套を纏い、背には巨大な槍。
その隣には、白銀の髪を揺らす女性剣士。
さらに奥には、杖を抱えた魔導士風の男。
全員が異様なほど落ち着いていた。
まるで、この程度の試験など見慣れているかのように。
「メルディナ所属ではなさそうですな」
エルドが小声で言う。
「ええ」
ロゼリアも頷いた。
「地方ギルドの空気じゃないわ」
その時。
ふと、中央の槍使いの男がこちらへ視線を向けた。
ごく自然な動作。
だが、その目は鋭い。
ロゼリアも無意識に目を合わせる。
一瞬。
互いに互いを測るような静寂が流れた。
そして男は、何事もなかったように再び試験場へ視線を戻す。
「……今の」
ストーリアが小さく呟く。
「完全に見られてたわね」
リフルも眉を上げた。
ロゼリアは答えない。
ただ静かに試験場を見つめている。
(あの反応……)
ただ観客を見た目ではない。
こちらを認識した目。
剣士特有の感覚だった。
そして――。
あのパーティの視線は、観客席ではなく、試験場の一点へ集まっている。
「……もしかして」
ロゼリアが小さく呟く。
「今、参戦している中に……あの人たちの仲間がいるのかしら」
その言葉に、エルドも静かに視線を巡らせる。
十数名まで絞られた試験場。
その中に。
ただ一人、静かに立ち続ける者がいた。
黒装束。
半面の仮面。
風に揺れる異国めいた衣。
先ほどから、一度も揺らがない女だった。




