第65話 緊急通達と激震の夜
夜は、まだ終わっていなかった。
だが――静寂は、完全に壊れた。
森の外縁は、すでに原型を留めていない。
削り取られた空白が、夜の中にぽっかりと口を開けている。
そこには土も、木も、生命もない。
風すらも、そこだけは吹き抜けることを拒んでいるようだった。
ただ、“消えた”という事実だけが残っている。
ゴゴゴ……ッ。
遅れて響く崩落音。
原因は、見えない。
だが結果だけが、容赦なく積み重なっていく。
目を逸らしても、耳を塞いでも、現実だけが削られていく。
「退がれ!! 街の中へ!!」
ユシャーンの怒号が飛ぶ。
「そうよ!早く入って!」
ストーリアも懸命に叫ぶ。
ようやく人々が動き出す。
恐怖が、理解に追いついた瞬間だった。
悲鳴。
転倒。
押し合う群衆。
誰かが叫び、誰かが泣き、誰かが立ち尽くす。
統制のない逃走が、街を混乱で満たしていく。
石畳を叩く足音が乱れ、荷車が横倒しになり、荷物が散乱する。
それでも誰も拾わない。拾えない。
だが――
それすら、遅い。
空に在る“影”は、まだ動いていない。
ただ、そこにあるだけで、
世界を削っている。
ドクン。
フェリオスの手の中で、キラーが熱を帯び脈打つ。
その振動は、鼓動のように規則的でありながら、どこか外れたリズムを刻んでいる。
生き物のそれに似て、しかし決して同じではない。
それに呼応するように、
遠方の“歪み”が、わずかに収縮する。
「……やってやるよ」
フェリオスが、低く呟く。
誰に向けた言葉かも分からない。
だが、その声は確かに“繋がっていた”。
空気の奥へ、見えない何かへ。
ストーリアが、それを見逃さない。
「……やっぱりそいつと繋がっているわね」
小さく、確信を落とす。
視線はフェリオスと、その手の剣へ。
そして、空へ。
線が、繋がっている。
その時だった。
――カァン。
乾いた鐘の音が、夜空に響いた。
一つではない。
二つでもない。
三つ、四つ、五つ――
規則的に、正確に、広がっていく。
まるで街そのものが、異常を宣言しているかのように。
「……王都の、警鐘」
ルミナスが呟く。
その声には、聞き慣れた音への安堵と、
それが鳴っているという事実への恐怖が、同時に混じっていた。
だが、それだけでは終わらない。
空が、光る。
夜空の高み。
本来ならば星が瞬く場所に、
巨大な魔法陣が、ゆっくりと展開していく。
円環。
幾何。
重なり合う術式。
幾重にも重なった魔力の層が、夜空を塗り替える。
淡い光が、街全体を照らし出し、人々の顔を蒼白に浮かび上がらせる。
それは、ただの通信ではない。
“強制的に届かせるための術”。
次の瞬間。
声が、降ってきた。
直接、頭の内側に。
鼓膜を通らず、意識に叩きつけられるように。
「――王都魔導院より、緊急通達」
低く、冷静で、感情を削ぎ落とした声。
だが、その奥にある“焦り”を、
誰もが感じ取っていた。
「現在、各地において未確認の大規模空間崩壊現象が発生」
「発生源は不明」
「視認報告に一貫性なし」
「ただし――」
一拍。
その間が、異様に長く感じられる。
時間そのものが、引き延ばされたかのように。
「“巨大存在の影”の目撃情報が、多数確認されている」
ざわめきが走る。
街だけではない。
この声は、今、
王都全域へ。
そして――
各地方都市へと、同時に届いている。
見えない網が、世界を覆っているかのようだった。
「本現象は、自然災害ではない可能性が極めて高い」
「全市民に告ぐ」
声が、わずかに重くなる。
「不要な外出を禁ずる」
「各ギルドは即時、戦闘体制へ移行」
「王都騎士団、及び魔導部隊は、現在原因の特定と迎撃準備を開始している」
ドクン。
フェリオスの剣が、脈打つ。
それに合わせるように、
遠くの“影”が、わずかに揺らいだ。
まるで――
その言葉を“聞いている”かのように。
「繰り返す。本現象は――」
一瞬だけ、
ノイズが走る。
ザ……ッ、と。
声が、歪む。
魔法陣の一部が、ちらつく。
何かが、干渉している。
そして。
「――“竜種災害”と仮定する」
空気が、凍りついた。
その言葉の意味を、
知らない者はいない。
伝承。
歴史。
語られ続けた“終わりの象徴”。
ドラゴン。
「各戦力は、最悪の事態を想定せよ」
「――これは、災害ではない」
一拍。
そして、断言。
「“戦争”である」
通信が、途切れる。
魔法陣が、ゆっくりと消えていく。
光が消えた後の夜は、やけに重く、深い。
静寂。
だがもう、それは以前のものではない。
恐怖が、形を持った静けさ。
誰もが、理解してしまった。
これは局地的な異変ではない。
世界規模の出来事だ。
どこへ逃げても、同じ空の下にある。
フェリオスが、空を見上げる。
黒い影。
歪み。
見えない存在。
その奥に、
確かに“何か”がいる。
視線が、合う気がした。
「……来てみろよ!」
小さく、呟く。
願いにも似た言葉。
だが――
ドクン。
キラーが、応える。
それは否定ではない。
肯定。
導き。
呼びかけ。
遠くで、再び何かが“削り取られた”。
音もなく、ただ世界が欠ける。
そして、
影がわずかに、こちらへ近づいた気がした。
(どうすべき?ドラゴンは初めてよ。ただしフェリオスがキラーでどう対峙するのか?それも気になるわね)
ストーリアはこの緊張の最中、観測者としてのいつもの感覚だけは忘れない。
そして……




