第61話 共鳴する「特賞」の胎動
王都の喧騒から切り離されたような、午後のギルド酒場。
カウンターの隅。
埃を被った古い福引器の前に、フェリオスは一人で立っていた。
その背中は――見慣れた青年のものとは思えないほど、強張っている。
「……おい、青年。大丈夫か? 顔色が悪いぞ」
店主が、心配そうに声をかける。
フェリオスの肌は、血の気が抜けたように白い。
指先は、かすかに震えていた。
だが――反応はない。
虚空を見つめたまま、フェリオスは小さく唇を動かす。
「引かなきゃ。……引かなきゃ。……一度だけ……回す……一度だけ」
誰に伝えるというものでもはなく、ただ自分に言い聞かせるように呟く。
掠れているのに、不思議と澄んだ声だった。
ただ、その福引きに手をかけるや、彼の表情は一変し、何かが放たれた。
「‡§¶Δ……θλ……Σ……!!」
突如として。
フェリオスの口から、人のものではない「音」が溢れ出す。
耳を刺す、不協和の連鎖。
それは、深淵から吹き上がる風のようで。
あるいは、世界そのものが軋むような異音だった。
店主が息を呑む。
「おい、あんた何言ってんだ!」
その中で、フェリオスは――祈るように。
ゆっくりと、福引器に手をかけた。
回す。
回す。
そして――
コトン。
静寂の中に、小さく、決定的な音が落ちた。
排出口から転がり出たのは――
何の色もない、真白な玉。
いや、透明にすら見える、曇りのない一点。
「……と、特賞だ……!」
店主の声が裏返る。
「おい……あんた……キラーが……ついに出ちまったぞ……!」
それが何を意味するのか。
本能が、危険を告げていた。
周りの客もざわつきはじめるが、逆に動けないでいた。
「聞いてるのか!? 特賞が出たんだよ!!」
肩に手を伸ばす。
だが――
フェリオスは、動かない。
魂が抜けたように、ただ立ち尽くしている。
「……とにかく、知らせねえと……!」
店主は慌ててカウンターへ走り、鐘を掴んだ。
チリン、チリン、チリン――!!
軽やかな音が、酒場中に響く。
そして、開け放たれた窓から、街へと広がっていった。
【ストーリアの焦燥】
「……いないわね」
「とにかく、酒場へ行こう」
ユシャーンが続く。
ルミナスとティアも、無言で頷いた。
書物庫から姿を消したフェリオスを探していた四人は、
その鐘の音を聞いて、通りの中で足を止める。
「……この音、福引の鐘か?」
ユシャーンが眉をひそめる。
だが。
ストーリアの表情は――一瞬で凍りついた。
軽やかな音に混じる、異質な“ノイズ”。
彼女の魔力感知が、それを拾っていた。
(……この感覚……地下と同じ……)
「急がなきゃ……!」
声が、わずかに震える。
「フェリオスに何かあったんだわ!」
三人は顔を見合わせ――
次の瞬間、一斉に駆け出した。
ギルド酒場。
扉が、勢いよく蹴り開けられる。
「フェリオス!!」
叫びと同時に飛び込んできたのは、ユシャーンだった。
視界の先。
焦点の合わない瞳で立ち尽くすフェリオス。
そして、特賞の玉を見つめたまま固まる店主。
最悪の光景だった。
ユシャーンが肩を掴み、激しく揺さぶる。
「おい、しっかりしろ!」
だが――
力が入っていない。
首はぐらりと揺れ、瞳は曇ったまま。
「あぁ……ユシャーンか……どうしたの?」
遅れて、言葉が返る。
「何かあったのか? みんな集まって……どうしたんだよ?」
状況を理解していない。
さっきの“音”の記憶も。
自分が何をしたのかという自覚も――完全に抜け落ちていた。
(……まだ終わってない)
ストーリアが、息を呑む。
(思念が……地下の“残り香”が……まだこの子を包んでる)
震える手で、リールの鑑定鏡を構える。
「とにかく、座らせて!」
声が鋭くなる。
「まだバグが……あの子の意識を、向こう側へ引きずり込もうとしてる!」
【時を同じくして――グレースランド】
その瞬間だった。
王都から遠く離れた森。
ルシアの一行にも、異変が走る。
「……っ!? なんだ、これ!」
ルシアが叫ぶ。
背負っていた布巻きの剣を、反射的に引き抜いた。
布の隙間から――
赤い光が、滲み出す。
じわりと。
だが、確実に。
周囲の草木が、赤く染まる。
「なんですと……!」
エルドが目を見開く。
「どういうこと……? 敵の気配なんて――」
ロゼリアが剣を抜き、周囲を警戒する。
だが、森は静まり返ったまま。
何もいない。
「……ねえ、これ……」
リフルの声が、かすかに震える。
「光ってるんじゃない……“震えてる”のよ」
視線は、ルシアの手元へ。
「まるで……遠くから呼ばれてるみたいに」
剣が――脈打つ。
これまでにないほどの熱を帯びて。
「もしや……」
エルドが、低く呟く。
「何かと……共鳴している、と?」
森の空気が、冷たく沈む。
王都で鳴り響く鐘の音。
グレースランドで震える赤い刃。
二つの現象が――
今、この瞬間。
完全に、重なっていた。




