第60話 選別の朝
朝。
窓の隙間から差し込む冷ややかな光が、ルシアのまぶたを叩いた。
「……」
ゆっくりと上体を起こす。
体が重いわけではない。むしろ、神経の隅々まで研ぎ澄まされ、妙に冴え渡っている。
熟睡した感覚はない。
眠りが浅かったのか――それとも。
視線が、吸い寄せられるように壁へ向く。
そこに立てかけられている剣。
布に巻かれたままの、黒い刀身。
見た目は昨日と変わらないはずだ。
それなのに、胸の奥がチリ、と焼けるような違和感が残っている。
いや――
(……違う)
一夜明けて、その違和感はよりはっきりとした「輪郭」を持っていた。
ルシアは手を伸ばし、柄を握る。
その瞬間――
「……っ」
言葉にならない感覚が、背筋を走る。
ほんの一瞬だけ。
自分が“選ぶ側”ではなく――
“選別される側”に回ったような、奇妙な感覚。
すぐに消える。
だが、確かにそこにあった。
(……見てるのは、俺じゃない)
剣が、自分を見ている。
試している。
「……なんなんだよ、お前」
問いに答えはない。
剣はただ、無機質な沈黙のまま、そこにあるだけだった。
宿を出ると、ロゼリアたちはすでに揃っていた。
「遅かったわね、ルシア」
「珍しいわね。あんたが寝坊とか」
リフルが軽く手を振る。
「寝坊じゃねえよ……ちょっと考え事だ」
適当に流す。
だが――
ロゼリアだけは、じっとこちらを見ていた。
「……なにかあったの?」
「いや、別に」
視線を逸らす。
一瞬の沈黙。
ロゼリアはそれ以上は追わなかった。
「では、クエスト依頼を見に行きましょう」
ギルドへ向かう途中。
通りの一角が騒がしかった。
「だから言ってんだろ! こいつは俺たちが先に仕留めたんだ!」
「はぁ!? 止めを刺したのはこっちだろうが!」
人だかりの中心。
二つのパーティが、激しく言い争っている。
その間に転がされているのは――
リザードドラゴン。
翼こそないが、分厚い鱗と太い尾を持つ、地を這う竜種だ。
しかも二体。
それぞれのパーティが一体ずつ引きずってきていた。
「また討伐の取り合いね」
ロゼリアが静かに言う。
「報酬が絡めば、こうなるのも無理はないわ」
「どっちが先か、ってやつだな……」
ルシアは頷き、そのまま通り過ぎようとする。
本来なら、関わる話じゃない。
――そのはずだった。
だが。
――ゾワッ。
「……っ」
足が止まる。
背中の剣が、わずかに“重く”なる。
(……違う)
重いんじゃない。
引かれている。
視線が勝手に、死体へ向く。
(……なんだよ、これ)
昨日のワイバーンとは違う。
だが――似ている。
いや。
(……同じ、か?)
理屈では分からない。
ただ一つ、はっきりしている。
剣が、“見ている”。
二体の死体を。
まるで――
比べるように。
測るように。
「どうしたの、ルシア?」
リフルの声が届く。
だが、答えられない。
視線が外せない。
そのとき。
「見てみろよ、この傷!」
片方の男が、死体を蹴った。
その瞬間。
――キィン。
剣の奥で、澄んだ音が鳴る。
ほんの一瞬。
手の中の重みが変わった。
「……は?」
無意識に、一歩踏み出す。
確かめなければならない。
剣が、なぜ片方にだけ反応したのか。
ルシアはしゃがみ込み、死体を観察する。
鱗の割れ方。
肉の抉れ方。
そして――
(……違う)
言葉にはできない。
だが、感覚が告げている。
(こっちだ)
「……こっちかな」
気づけば、口にしていた。
指差したのは、片方のリザードドラゴン。
「……あ?」
「何が“こっち”だよ」
「素人が口出してくんな」
当然の反応。
ルシア自身も、説明はできない。
だが。
(……間違ってない)
確信だけがある。
そのとき。
ロゼリアが一歩前に出た。
「彼がそう言うなら、理由があるはずよ」
静かだが、強い声。
空気が変わる。
男たちは顔を見合わせ、死体を見直す。
数秒の沈黙。
やがて――
「……ちっ」
「……分かったよ。今回は譲る」
しぶしぶといった様子で引き下がる。
「傷の入り方……確かに、こっちの方が先っぽいな」
完全な納得ではない。
だが、引かざるを得ない“何か”があった。
その場を離れる。
喧騒が、ゆっくりと遠ざかっていく。
「ねえ、今の何が分かったの?」
リフルが覗き込む。
「……分かんねえ」
正直に答える。
本当に分からない。
ただ一つ。
(……あれは、“順番”じゃない)
剣が選んだのは、どちらが先に倒されたか――ではない。
もっと別の基準。
もっと――
残酷な何か。
それだけが、ぼんやりと残っている。
ロゼリアは何も言わない。
ただ一瞬だけ、ルシアの剣に視線を落とし――
深い懸念を瞳に宿したまま、前を向いた。




