第56話 選定の剣
王都を離れて、さらに半刻。
踏み固められていた街道は、いつの間にか柔らかな土に変わり、足裏にわずかな沈みを返してくる。
枝葉が擦れ合う音が、やけに耳に残る。
その音に混じって――
ロゼリアが違和感を感じ、わずかに顎を上げた。
「……皆さん止まりなさい」
だが、その声で空気が変わる。
リフルが肩越しに森を一瞥する。
「また? 複数ね。今日モテすぎじゃない?」
リフルは集中力を研ぎ澄ませ、軽口のまま、腰を落とす。
いつでも動ける位置。
ロゼリアの視線は、木々の奥。
「先ほどとは違うわね、気を付けて」
風が一瞬、止まる。
「……強さの気配を隠してる。4人」
エルドが、静かにローブの袖を整えた。
「これは、格が違いますな」
エルドは少し余裕に返す。その直後。
「――そこまでだ」
低い声が、木陰から滲み出る。
枝を押し分け、四つの影が現れる。
足運びに無駄がない。
視線も、呼吸も揃っている。
“仕事”の動きだった。
先頭の男が一歩踏み出す。
「抵抗するな。傷つける気はない」
リフルが鼻で笑う。
「へえ。親切設計しゃない!」
男は一切表情を変えない。
「その剣だけ渡してもらおうか」
ルシアの背中に、じわりと汗が滲む。
ロゼリアが前に出る。
ほんの半歩。だが、間合いが変わる。
「理由を聞いても?」
一瞬の間。
「命令だ」
それだけ。
会話が、途切れる。
リフルが小さく舌打ちした。
「はい、終了よ」
腰を落とす。
「交渉、成立してないから。サッサと帰りなさいよ!」
空気が張り詰める。
ルシアは、背中の剣に手をかけた。
布越しに伝わる感触。
――軽い。
(……違う)
軽いはずがない。
“軽く感じる”。
嫌な予感が、喉の奥に引っかかる。
(来るなよ……)
その瞬間。
するり、と。
布が、ほどけた。
「……は?」
視線が落ちる。
露出した刀身。
――黒い。
さっきまで、確かに赤かったはずだ。
血のような、あの色。
だが今は。
光を吸い込むような、鈍い黒。
「なんだよ……これ……」
思わず声が漏れる。
「赤じゃ……ねえ……」
指先に、じわりと冷たい感覚が走る。
まるで、触れているのは鉄じゃない。
「これ、何が違うんだよ……」
握り直そうとする。
だが。
動かない。
「……っ」
力を入れる。
離れない。
いや――
離させない。
「……やばい」
一歩、後ずさる。
(何が起きてる……?)
「いいから渡せ」
男の声が、低くなる。
苛立ちが滲む。
「それを寄越せば済むんだよ」
ルシアは首を振る。
「無理だ!」
声が裏返る。
「離れねえんだよ、これ!」
さらに一歩下がる。
足がもつれそうになる。
「来るな……!」
呼吸が荒くなる。
「切りたくないんだ……!」
「うるせえ!早くしろ!」
男が踏み込む。
「全員でかかれ!捕まえろ!奪え!」
その瞬間。
ロゼリアが前に出る。
地面を蹴る音が、一歩だけ遅れて届く。
「待って――!」
「お前はオレが斬ってやる、女剣士さんよ」
一人がロゼリアへ斬りかかる。
その男の刃が閃く。
ロゼリアのソード・オリヴィアが、それを受け止める。
大きく火花が散る。
その直後。
ルシアは、動いていない。いや、動けなかった。
ただ、そこに立っているだけ。
それなのに、空気が、裂けた。
三人の身体が、同時に揺れる。
一瞬遅れて――
裂ける。
「……え?」
誰の声か分からない。
音が、あとから追いついてくる。
肉が裂ける音。
地面に落ちる音。
血しぶきがスレイヤーに飛び散る。
すべてが、ワンテンポ遅れて現実になる。
ロゼリアが振り返り、目だけがわずかに見開かれている。
「……今、斬ったの?」
リフルが即座に答える。
一歩、踏み出して。
「違うわ」
ルシアの前に立つように。
「ルシアは、何もしてない!」
残った一人が、後ずさった。
視線が、倒れた仲間に釘付けになる。
「お、おい……なんだよ……」
声が震える。
身体が、わずかに歪む。
倒れた三人の皮膚が波打つ。
「……こいつら……」
形が崩れる。
人の輪郭が、保てなくなる。
「魔物じゃねえか……!」
男は怯えた目でルシアを見て、その黒い刀身を見る。
ゴクリ。
「……なんだよ、それ……聞いてないぞ」
一歩、下がる。
「化け物……!」
背を向けて、森へと逃げ出した。
枝を折る音が遠ざかる。
誰も、追わない。
風が吹き荒れ、木の葉が揺れる。
……沈黙。
さっきまでと同じはずの森が、まるで別物のように静かだった。
ロゼリアが、ゆっくりと息を吐く。
「……これは」
言葉を探すように、わずかに視線を落とす。
「守るための力じゃない」
ルシアの手の中で、黒い刀身が鈍く光る。
握る手に力が入る。
「人じゃなかった……よかった。
でもこんなの、いらねえよ」
吐き出すように言う。
エルドが目を閉じる。
「理は、善悪では動きません」
静かな声。
だが、逃げ場を与えない響き。
「適合か、非適合か。それだけです」
誰も、何も言わなかった。
ただ一つ。
ルシアの手の中で――
黒い刀身と目のような紋様がかすかに脈打っていた。
それが何を意味するのか。
まだ、誰も知らない。




