第106話 怒りを、力に
「ねえ、見て! リズベルの片目があんなに赤く!」
ロゼリアがそう言うと、皆が一斉にリズベルを凝視した。
その瞬間。
ジークが口を開いた。
「……リズベル」
静かな声だった。
リズベルが顔を上げる。
「まだ、戦えるか」
それだけだった。
止めろとも言わない。
戦えとも言わない。
ただ。
今の彼女自身へ問い掛ける。
リズベルは、しばらくジークを見つめた。
そして。
「ああ」
短い答え。
声は僅かに震えていた。
それでも。
自分の声だった。
ジークは小さく頷く。
「そうか」
それ以上、何も言わない。
その沈黙が、不思議とリズベルを現実へ繋ぎ止めた。
もし、この男が恐れていたなら。
もし、ここで斬り込んできたなら。
きっとキラーは、その恐怖さえ怒りへ変えただろう。
だが。
ジークは動かない。
ただ、そこにいる。
目の前の剣士を。
一人の人間として見ている。
(……この人は)
(私を見ている)
(剣でもない)
(血でもない)
(私自身を)
リズベルは、ゆっくりと息を吸った。
そして。
キラーへ視線を落とす。
(私は怒っている)
否定しない。
(私は憎んでいる)
否定しない。
(私は、あの日のことを忘れていない)
それでも。
(だからといって……)
柄を握る指へ、力を込める。
(お前に渡す理由にはならない)
キラーが大きく脈打った。
ドクン――!
黒い瘴気が、刀身から溢れ出す。
リズベルの赤い瞳が揺れる。
身体が持っていかれそうになる。
(……駄目だ)
意識が遠のく。
怒りが。
憎しみが。
記憶が。
すべてが一つになって押し寄せてくる。
もう一歩。
あと一歩だけ踏み込めば。
すべてを忘れられる。
キラーに身を預ければ。
何も考えなくていい。
何も苦しまなくていい。
ただ。
憎めばいい。
斬ればいい。
その誘惑が。
あまりにも甘かった。
(……嫌だ)
リズベルは歯を食いしばる。
(私は……)
赤い瞳が、ジークを捉える。
彼はまだ。
動かない。
ただ静かに。
こちらを見ている。
(この人なら)
もし、自分が完全に呑まれたとしても。
(止めてくれる)
その確信があった。
そして。
(キラーは人を斬るものではない)
それは。
リズベルにとって重要なことだった。
もし、目の前にいるのが、あの日から追い続けてきた存在だったなら。
この怒りは。
きっと止められない。
だが。
ジークは違う。
だからこそ。
今なら。
試せる。
(……いい)
リズベルは、静かに目を細めた。
(この際だ)
(解放してみるのもいい)
キラーの力を。
自分の怒りを。
すべて。
目の前の男なら、受け止められる。
そう思った。
その瞬間。
キラーの鼓動が――止まった。
「……?」
静寂。
あれほど激しく脈打っていた刀身が、嘘のように静まり返っている。
リズベルは、僅かに眉を寄せた。
何が起きたのか分からない。
そして。
ふいに。
右手から力が抜けた。
「……え」
カラン――。
キラーが。
自ら、その手を離れた。
誰も動かなかった。
黒い刀身は、そのまま落下し。
ズンッ――!
砂地へ深々と突き刺さった。
まるで。
そこが自らの居場所であるかのように。
リズベルは呆然と、自分の手を見つめる。
何も握っていない。
それなのに。
キラーは、そこにある。
暴れていない。
拒絶していない。
ただ。
静かに佇んでいる。
そして。
リズベルの胸の奥へ、最後の言葉が届いた。
――もう、試す必要はない。
リズベルの瞳が僅かに揺れる。
――お前は、怒りを捨てなかった。
――だが。
――怒りに呑まれもしなかった。
一拍。
――ならば。
キラーが。
一度だけ。
静かに脈打った。
ドクン。
その音は。
まるで――。
認めるようだった。




