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学校一の陽キャ美少女が、俺の匿名アカウントの熱狂的なフォロワーらしい  作者: 虎山雲龍


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第4話 夜のひかり、昼のひかり

七瀬ひかりは、自分のことを「演技がうまい人間」だと思っている。


俳優みたいに、というわけじゃない。

そんな大げさな話じゃなく、ただ単に、「教室で、求められている七瀬ひかりを、ちゃんと演じきれる人間」という意味で。


朝、教室のドアを開ける前に、いつも一回だけ、深呼吸をする。


口角を、ほんの少しだけ上げる。肩の力を抜く。歩幅を、半歩だけ広くする。目線を、いつもより五センチだけ高く保つ。


それだけで、世界はちゃんと、「学校一の七瀬ひかり」を受け取ってくれる。


「おはよ〜! みんな、今日も生きてる?」


声を、ワントーン高く。

語尾を、ほんの少しだけ伸ばす。

笑顔を、八十パーセントの強さで。百パーセントは、警戒される。六十パーセントだと、足りない。八十が、ちょうどいい。


これで、教室の照明はだいたい、ひかりを中心に再配置される。


中学のころ、ある日ふと気づいた。

「みんなに好かれる女の子」のフォーマットには、再現性がある、ということに。


声のトーン。歩き方。リアクションのタイミング。誰の話にどれくらいの強さで反応するか。誰の冗談を、何回に一回、ちょうどいい強さで笑い飛ばすか。

全部、観察して、真似して、調整して、組み合わせれば、再現できる。


そうして再現された「七瀬ひかり」は、たしかに、教室のいちばん明るい場所に立てる女の子になった。


——なった、けれど。


「ひかり、ねえねえ、昨日のドラマ見た?」

「あー、ごめん、見れてない! でも気になってた、どうだった?」

「もうやばいの、ラスト五分でさ——」

「えー、なになに、ネタバレ?OKだよー!」


教室の中央で、女子三人と笑いあいながら。

ひかりはずっと、ブレザーの内ポケットの上に、左手の指先を、軽く添えていた。


そこには、白い、小さなワイヤレスイヤホンのケースがある。


それは、彼女が今朝、家を出てくる直前に、机の上の「神棚」から、お守りのように手に取ってきたものだった。


ケースの内側、蓋の裏には、小さな文字が書いてある。

誰にも見えない場所だ。本人ですら、家以外でこのケースを開けないから、その文字は、教室のどんな照明の下でも、いちども光を浴びたことがない。


その文字には、ひかり自身の小さな手書きの字で、こう書かれている。


————

「ヨルさんは、わたしの夜を、終わらせてくれた人。」

————


中学三年の冬。

両親の不仲がいちばんひどかった、あの冬。家の中の空気が、毎晩、薄い氷の張った湖みたいに固まっていた、あの冬。


ひかりは、自分の部屋の毛布の中で、イヤホンを耳に押し込んで、震えていた。

震えながら、たまたまおすすめに上がってきた、再生回数たった三千回の曲を、たまたま、再生した。


その曲のサビ前に、ぴたりと三秒、音が止まる瞬間があった。


その三秒の間に、ひかりは——、たぶん人生で初めて、「自分が今、ちゃんと息をしている」ということに気づいた。


息をしてもいい、と、誰かに、初めて言われた気がした。


曲の最後の音が消えたあと、ひかりは投稿者の名前を、画面の中で何度も読み返した。


ヨル。


夜、と書いて、ヨル。


————

それからの彼女は、ヨルが新しい曲を出すたびに、何百回も繰り返し聴いて、歌詞を全部書き写して、考察を鍵アカウントに書き散らして、布教ツイートを世界に向けて打ち続けた。

————


「ヨル先生の新曲、ほんとうに、今日生きていてよかったって思える曲。何回聴いても、サビ前で息が止まる。世界でいちばん優しい3秒間だと思う」


それは、ひかりが、たぶん自分の人生で書いた、いちばん本当の文書だった。


——でも、教室では、それを誰にも、絶対に、言わない。


「ひかりってさー、流行ってるものなんでも知ってるよね」

「えー、そうかな?」

「この前のあの曲も知ってたじゃん」

「あれは、たまたま! 妹が聴いてただけ!」


ぱっ、と笑って、両手を顔の前で振る。

そういうとき、ひかりは、いつも自分が、ガラスの向こう側からこちらを眺めているような、奇妙な感覚に襲われる。


ガラスの向こう側で、ちゃんと「七瀬ひかり」が笑っている。

ガラスのこちら側に、本物のひかりが、ぎゅっと膝を抱えて、息を潜めている。


二人とも、たぶん、自分だ。


ただ、教室のなかで「本物のほう」を出してしまったら、たぶん、いろいろなものが壊れる。友達も、評判も、両親が「うちの娘は学校で人気者」と言うときの、あの少しほっとした顔も。


だから、ひかりは「演じる」。誰にも、本物を、見つけられないように。


——昨日、教室で、藤宮陽人くんに話しかけた時のことを、ひかりは何度も思い返していた。

自分でも、なぜあんなことを聞いたのか、わからない。


「藤宮くんって、音楽聴くの好きだよね」

「ボカロとか、聴く?」


理由はある。ある、けれど、それを認めるのは、いまの自分には、まだ、ちょっと、こわい。


最近、ひかりは、ある「気づき」を、ずっと、心の奥のほうに沈めている。


藤宮陽人くん。


教室のいちばん後ろ、エアコンの真下、廊下側の席。半年間、誰とも話していない、と女子たちが噂している、影の薄い男子。いつも、机の下で、こっそりスマホをいじっている男子。


——その男子のスマホの画面に、先週、たまたま、廊下ですれ違ったときに、ほんの一瞬、見えてしまった、白い波形のような画面。


DAW、というやつだ。作曲ソフトの、画面。


ヨル先生がインタビュー記事のなかで、ぽろっと「使ってる」と言っていたのと、同じUI。


それと、もうひとつ。


藤宮くんが、退屈そうに机をトントンと叩いていた、あの指先のリズム。

なんてことのない癖だと思っていたそれが、新曲のメロディと、信じられないくらいに瓜二つだったこと。


いや。


それは、本当に、本当に、偶然の話で。


世の中には、DAWを使っている男子高校生なんて、たぶん、たくさんいる。

ヨル先生の曲を聞いてる男子だって、たくさんいる。

深夜まで起きていそうな目をしている男子だって、たくさんいる。

教室で誰とも話さない、影の薄そうな男子だって、たくさんいる。


たくさんいる。

たくさん、いる、はず、なのに。


————

「ヨル先生って、たぶん、教室では誰とも話さないタイプの人だと思う」

「『別に、誰にも知られなくていい』って、インタビューで言ってた言葉、あれが本当に本心の人」

————


——自分が、何ヶ月も前に、鍵アカに書いたツイートを、ひかりは思い出していた。


頭の中で、何かが「カチッ」と、嫌な音を立ててハマろうとしていた。


それは、ひかりが、いちばん認めたくない仮説だった。


なぜなら、もしそれが正しかったら。

自分はこれから、毎日、毎時間、毎分、毎秒——「ヨル先生」と同じ教室の、同じ空気を吸っていることになる、から。


そんなの、心臓がもたない。


「ね、ひかり。トイレ行こ」

「あ、うん、行く行く!」


立ち上がる瞬間、ひかりは、もう一度だけ、教室のいちばん後ろの席を、視界の端に、ほんの0.2秒だけ、入れた。


藤宮くんは、机に肘をついて、相変わらず窓の外を眺めていた。

ワイヤレスイヤホンの片方だけを耳に挿し、もう片方は手元のケースに入っている。


ひかりの中で、また、心臓が、変なリズムで一回鳴った。


そのイヤホン、ヨル先生が、こないだのインタビューで「最近、これに変えました」って書いてた、新しいモデルだ。


新発売の。わりと、マイナーな。

発売されたばかりで、まだ街でほとんど見ない、あの。


「ひかり? どしたの、ぼーっとして」

「あ、ごめんごめん、なんでもない!」


ぱっ、と、八十パーセントの笑顔。

ワントーン高い声。

半歩、広い歩幅。


教室の照明は、ちゃんと、ひかりの動きを追って、再配置される。


——大丈夫。今日も、ちゃんと、ガラスは割れない。


トイレに向かう廊下を歩きながら、ひかりは、ブレザーの内ポケットの上を、もう一度、そっと指で押さえた。


ケースの中には、ヨル先生と「同じイヤホン」が、入っている。

一週間前から入れている。


それを、教室の誰にも、絶対に、見せない。


「ヨル先生のおすすめ」だから揃えた、なんてことを、誰かにバレたら、たぶん、自分はもう、教室の「いちばん明るい場所」には、立てなくなる気がする。


そして、もし、藤宮くんが、本当に、ヨル先生だったら。


——彼にだけは、もっと、絶対に、バレてはいけない。


なぜなら。


「学校一の陽キャ美少女が、自分の熱狂的なフォロワー」だなんて。

そんなの、ヨル先生からしたら、たぶん、いちばん、めんどくさい話、だから。


ひかりは、そう思っていた。


廊下の窓の外、午後の光が、彼女の栗色のセミロングの毛先を、淡く透かしていた。


その光のなかで、ひかりはほんの一瞬、自分でもよくわからない笑みを、口の端にこぼした。


教室のなかで「七瀬ひかり」を演じているときの、八十パーセントの笑顔ではなく。

鍵アカウントで、ヨル先生の新曲を再生する直前の、誰にも見せない、夜の自分の笑顔のほうだった。


そして、それを、廊下のいちばん端の窓越しに、たまたま、ひとりの男子が、見ていた。


幼馴染と一緒に、屋上手前の踊り場から、教室に戻る途中の——藤宮陽人だった。


ひかりは、まだ、それに気づいていない。

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― 新着の感想 ―
前回、黒澤が言っていた「七瀬さんは普通に強い人」っていうのは、多分、七瀬があの明るさを標準装備していることに対してだ思いますが、今回の七瀬は「演技」方面で強いということを全面に出てたのは面白いと思いま…
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