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学校一の陽キャ美少女が、俺の匿名アカウントの熱狂的なフォロワーらしい  作者: 虎山雲龍


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第11話 教室の対角線が、半歩ずれる日

火曜日の朝の教室は、月曜日の朝の教室よりほんの少しだけ、空気が軽い。


月曜日のあの「一週間が、また始まってしまった」という、教室全体の淡い疲労感が、火曜日の朝には、もう半分くらい消えている。その代わりに、まだ水曜の中だるみは来ていない。


たぶん、一週間のうちで教室が一番普通に、機能している曜日が火曜日だ。


そんな普通の火曜日の、普通の朝のチャイムの、ちょうど七分くらい前に、藤宮陽人は、教室の自分の席にゆっくり座った。


教科書を机の中の決まった位置にしまう。

ペンケースを、机の上の、右上の位置に、置く。

ノートを、机の上の、左上の位置に、置く。


それから、一番最後に。

カバンの外ポケットから、淡い水色の無地のハンカチを一枚取り出した。

凛から、業務支給品として、押し付けられたハンカチだ。


俺はそれを、机の上の、ペンケースの左隣に、ぽつん、と置いた。

誰の目にも見える位置だった。


「誰の目にも見える位置」というのは、つまり、ひかりの席からも見える位置、ということだ。


俺の机の上に、ハンカチが一枚、無造作に置かれている。それは、火曜日の朝の教室の風景としては、たぶん、ほんの少しだけ、ちぐはぐな置物だった。


そして、その「ちぐはぐ」は、たぶん教室全体の中で、一人だけにちゃんと伝わる。


俺は、それを見ている、と見ていないの間の距離で、自分もぼんやり見ていた。




「藤宮、おはよ」


凛が、机の前を通り過ぎながら、いつもの淡々とした声で、軽く片手を上げた。

そして、机の上の淡い水色のハンカチを一瞥して、ふっ、と口の端だけで笑った。


「業務支給品、ちゃんと出してきたね」

「……うん」

「机の上に、わざわざ、見えるところに置いてる」

「……うん」

「だっせ」

「……」


凛は、すれ違いざまに、わざわざ、そう一言置いていって、自分の席のほうへ歩いていった。


その背中を見送りながら、俺は心の中で、半分笑って、半分感謝した。


「だっせ」と言いに来てくれる人間が一人教室にいる、ということは、たぶんこういうときに一番ありがたいものだった。


それは、たぶん、「お前の作戦は、ちゃんと私のところからも見えてる」「だから、変なところで滑っても、私が一番近くで観察してる」という、凛なりの安全装置の声だった。


幼馴染というのは、たぶん、こういう距離だ。

踏み込んでこない代わりに、全部見ている。全部見ているのに、一言もこちらの背中を押さない。押さないことが、一番の押し方になっている。


そういう距離の人間が、一人いると。

ハンカチ一枚を、机の上に置くだけのことが、全然怖くなくなる。


——のだけれど。


俺は、ふと、凛の自分の席に向かう途中の後ろ姿にもう一度目をやった。


凛は、いつも通りに、まっすぐ歩いていた。

背筋もきれいで、歩幅も普段と変わらなかった。


ただ、いつもとほんの少しだけ、違っていたのは。


彼女が、自分の席に着く直前、ほんのコンマ何秒、教室の対角線の一番端——七瀬ひかりの席のほうへ、視線を滑らせた、ということだった。


ひかりの席には、まだひかりの姿はなかった。

今朝のひかりは、まだ登校してきていなかった。


なのに、凛はそこを見た。

そこを見て、そこに誰もいないことを、自分の目で確認してから、自分の席に、ストンと腰を下ろした。


そして、座ったあとで、ほんの一瞬だけ、自分の短いボーイッシュな黒髪を片手で軽く押さえた。


——あれは、なんだろう。


俺は、その仕草を見て、頭の中で軽く引っかかるものを感じた。


たぶん、凛は今、ひかりが来る前に、自分の心の準備を一つ整えていた。


「『藤宮の机のハンカチを最初に見つける』のは、絶対にひかりにする」

「自分は、それより先に、それを何か言うのはやめる」

「自分は、全部見える位置にいるけれど、全部口は出さない」


そういう彼女の観察員としての、業務上の決意のようなものだった。


——のだけれど。


その決意のいちばん深い底のほうに。

たぶん、まだ彼女自身も、ちゃんと見ようとしていない別の温度のものが一つ混じっていた。


俺は、それに、まだ踏み込んではいけないことを本能的に知っていた。だから、視線を自分の机の上に戻した。

戻して、普段よりほんの少しだけ、自分の机の上のハンカチを丁寧に向きを揃え直した。


そのとき、教室の前の扉のほうで、軽い笑い声が聞こえた。


「あ、ひかり、おはよー」

「おはよ〜!」


七瀬ひかりが、教室に入ってきた。




ひかりは、月曜日とほぼ同じ髪型だった。

低い位置のゆるい一つ結び。


たぶん、彼女はもう、その髪型をしばらく続ける気でいる。

姿見の前で自分のうなじを、もう一度確認して家を出てきたに違いなかった。


彼女は、入り口で女子三人組と、軽く笑い合った。そして、笑顔のまま教室の中央の通路を自分の席のほうへ、歩いてきた。


歩いてくる途中、彼女の歩幅はいつも通り、半歩広かった。笑顔は、いつも通り、八十パーセントだった。声のトーンは、いつも通り、半トーン高かった。


全部、いつも通りだった。

全部、いつも通りだった、けれど。


ひかりが、自分の席にたどり着く前にいつもなら、絶対にしない寄り道を一回した。


——わざわざ教室の後ろのほうへ、軽く視線を振り向けた。


それも、教室の後ろのほう、全部ではなく。教室の対角線の一番遠い、一番端、エアコンの真下、廊下側の席。

俺の席。


ピンポイントに視線を置いた。

置いて、置いたまま、コンマ三秒くらい戻さなかった。

そのコンマ三秒で、ひかりは、机の上の、ペンケースと、ノートと、その隣の淡い水色のハンカチを全部見た。


そして、一番最後にハンカチの上に視線を軽く止めた。


ハンカチの上に止めた瞬間、ひかりの口角が、ほんの一瞬だけ、八十パーセントの位置から、ぐらりとズレた。

ズレた、というよりも。

正確には、八十パーセントの笑顔のまま、別の

、二十パーセントの、まだ名前のついていない笑みが、その上に薄く重なったように見えた。


そして、そのコンマ三秒の間に、彼女の左手の指先がほんの少しだけ、ブレザーの胸元——内ポケットのあたりに軽く添えられた。


そこには、たぶん、まだ白いレースのハンカチが入っていた。

昨日、廊下で俺が拾ったアレだ。

彼女は、家でちゃんと洗ってきた、に違いなかった。

洗ってきて、何故かまだ返さずに、内ポケットに閉まったまま登校してきていた。


——それは、たぶん、「貸し」というセリフの続きを、彼女がちゃんと覚えている、という証拠だった。


ひかりは、コンマ三秒のあと、すぐに視線を自分の席のほうへ戻した。


戻して、いつも通りの半歩広い歩幅で、自分の席まで歩いて座った。


座ってから、一旦息を一つ吐いた。

吐いたあと、彼女は自分のノートを机の上に置いた。


ノートの右上に、シャープペンで「火曜日」と書いた。「火曜日」のあとに、書くべき教科の名前を、彼女は書こうとして、書く前に、一度、シャープペンを止めた。


止めて、ほんの一瞬、彼女は教室の対角線の一番端のほうへ、もう一度視線を戻した。

俺は、その視線が戻ってくる前に、自分のノートに視線を落としていた。


落としていた、はずだったのだけれど。

たぶん、ひかりはそれをちゃんと見つけてしまっていた。

俺の視線が、ほんのコンマ何秒、ハンカチと、自分のほうのあいだを、何度か、行き来したことを。


たぶん彼女は、内心こう思った。


——「藤宮くんの机のハンカチは、たぶん、私のために置いてある」。


そして、それはたぶん、ほとんど当たっていた。




朝のホームルームの間。


俺は、頭の中で一つだけ、シナリオを組み立てていた。


「『おはよう』とか、そういう当たり障りのない一言は、たぶん今教室で、俺から彼女にかけることはできない」。


なぜなら、教室はまだ俺の側の定義では、「一番暗い席の住人が、一番明るい場所の住人に、わざわざ話しかける」場所ではなかった。

そのルールを、いきなり火曜日の朝にぶっ壊すのは、たぶん彼女のほうにも、いろんなものを壊す。


だから、俺は、教室で「話しかけ」はしない。


代わりに「教室の外で、自然に会う」ための入り口だけ置いておく。

具体的には、机の上のハンカチをホームルームの終わりに、わざと机の角から、半分はみ出した位置にズラしておく。


ひかりが、休み時間の最初に、教室の後ろを通るときに、それに気づく。気づいたうえで、彼女がこちらに、何か一言声をかけるかどうかは、彼女に任せる。

声をかけてこなければ、それはそれで、いい。

入り口は開けたけれど、入るかどうかは向こうの選択。


——それが「正解には、触れない」「ただ、入り口だけは開ける」の、いちばん具体的な形だった。


朝のホームルームが終わった。


担任が教室の前の扉を閉めて、出ていった。


俺は、自分のノートを机の上で、軽く整え直した。

整え直すついでに、淡い水色のハンカチを机の上の自分から見て、一番右側——通路側の机の角のちょうど半分、はみ出すあたりまでズラした。


ずらした瞬間、教室の対角線の、いちばん遠い席で、ひかりの肩が、ほんの少しだけ、こわばった。


その「こわばり」を、たぶん教室で見ていた人間は、俺ともう一人いた。

凛だった。


凛は、自分の席で、シャープペンの後ろを軽く頬に当てながら、教室の対角線の二つの席を、ほぼ同時に視界の端に入れていた。


その顔は、たぶん観察員の顔だった。

だったけれど。


頬に当てていたシャープペンの後ろが、ほんの少しだけ、いつもより強く頬の肉に押し込まれていた。


凛は、今自分の中の「観察員」と、別のまだ名前のついていない誰かが、同じ場面を別の角度から見ようとして、軽くぶつかっていた。


ぶつかっていたのを、たぶん本人はまだちゃんと自覚していなかった。


自覚していないかわりに、凛は自分のシャープペンの先で、ノートの右上の何もないところに、ごく小さく、何かを書こうとして、結局書かなかった。


書こうとして、書かなかった字の最初のいち画めは、たぶんひらがなの「ふ」だった。


「ふ」のあとに、何を書きかけたのかは、たぶん本人すら、まだちゃんと認めていなかった。


「ふじみや」かもしれなかった。

「ふと」かもしれなかった。

「ふつう」、だったかもしれない。


「ふつうの幼馴染でいるのが、一番いい」——その「ふ」だったかもしれない。


凛は、書きかけの字をシャープペンの後ろの消しゴムで、ほんの少しだけ、こすって、消した。消した後に、彼女はもう一度、頬杖をついた。そして、教室の一番明るい席と、一番暗い席の対角線を、もう一度ぼんやりと視界の端に戻した。


その目つきは、いつもの観察員の目つきだった。

だった、けれど。


その一番奥のほうに、たぶん、初めて「自分もたまには、その対角線の外側に、ちゃんと立っていることを、確認しなきゃいけない」という、彼女自身の小さな小さな警報音が、鳴り始めていた。


凛は、その警報音を聞いていないことにした。


聞いていないことにしながら、自分のシャープペンをペンケースの中に、一旦戻した。戻して、ふと教室の窓の外を見た。


火曜日の朝の、ふつうの青空が、そこにあった。

ふつうの、青空だった。


——ふつう、で、いられる間は、普通でいる。


凛は自分自身に、心の中で、そう一言念を押した。


そして、その念押しのちょうど最後の音節と同時に。


教室の対角線の一番遠いところで、七瀬ひかりがゆっくり立ち上がった。


休み時間の女子の三人組の輪に、いつも通り混ざるフリをして。

ひかりは、自分の席から教室の後ろのほうへ、ゆっくり、ゆっくり、歩いてきた。


歩いてくるその通路の一番奥の角。

そこに、淡い水色の無地のハンカチが、机の角から半分はみ出していた。


ひかりの半歩広い歩幅が、その机の手前でほんの一瞬だけ止まった。


止まって、彼女は、深く息を吸った。


教室の対角線が火曜日の朝、確かに半歩ズレた。


その「半歩」を教室の中で、一番最初に認めなければいけなかったのは。

たぶん、ひかりでも俺でもなくて。

教室のちょうど中間で頬杖をついていた、黒澤凛という、一人の幼馴染、だった。



教室の対角線の、いちばん細い場所で。

一人の女の子の覚悟と、もう一人の女の子の、まだ名前のついていない感情が、ほぼ同じ深さで息を吸った。その小さな音が、たぶん誰にも聞こえないまま、教室の天井のあたりまで、立ち上がっていた。

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― 新着の感想 ―
普通に面白くて最新話まで見てしまいました。 音楽で繋がる2人。互いに真正面から行かず少しずつ探り合いながら距離が縮まる様子が甘酸っぱくてめっちゃ良かったです。 幼なじみの凛ちゃんは、もしかして…? と…
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