07:赤い日記帳
金持ちほど結婚は家の為、利益の為という価値観の一族なので相手を条件で選ぶ政略結婚が当たり前。
学生の頃にはもう見合いをしたり婚約者が居るものなのだ。
だからこそ鈴は頷いてはいけなかった。
どうしてなんて、そんなの。
「あなたは日下部のご長男なんですから、家を継ぐ人が風俗嬢をからかってはいけませんよ」
まるで大人が子供を諭す口調。
本気にしてない、今のは聞かなかったことにするとでも言いたげな。
雪雉が悲しげに顔を歪めても鈴は揺るがず。
「そんなこと言わないでくれ……確かに驚きはしたが、会えなかった間にお前が何してたって関係ない」
「いいえ、もう昔の私とは違いますから……」
雪雉が許しても、日下部家はそうもいくまい。
借金を返して卒業した後も過去とは付き纏うのだ。
忘れた頃に這い出してきて、古傷として鈴だけでなく全てを苛むことになる。
それに雪雉が好きなのは、大和撫子と呼ばれていた頃の鈴だろう。
もうこんなにも変わってしまった。
身柄を売り払われた日、令嬢の鴨志田鈴は父と義母によって殺されたものだと認識してきたのだ。
今と昔の自分を隔離して考えるのは精神の自己防衛。
鈴だって今の雪雉のことをほとんど知らない。
結局、ここに居るのは店のキャストと客という他人同士。
「跡継ぎなんか弟も妹も居るんだ。鈴と一緒に居られるなら、オレは日下部と決別しても構わないと思っている……それでも駄目なのか?」
これは流石に鈴も少し面食らった。
勢いだとしても、あまりに情熱的な口説き文句。
とはいえ答えは変わらない。
こういう時に相手を突き放す為に嘘で酷い言葉を口にするのはよくある方法だろう。
鈴の場合、そんな必要など無かった。
「……私はあなたのそういうところが苦手です」
これは正真正銘、ずっと黙っていた鈴の本音。
幼馴染として築いた長年の親愛ならある。
ただし、それはそれとして駄目なところまで肯定しない。
好意で目を曇らせては相手の姿をはっきりと見ることができないのだ。
「私がどうしたいのか無視して、勝手に決めて、従っていれば良いって、あなたはいつもそうですね。後継者の座を降りること自体はご自由になされば良いですけど、私を理由にされるのは重いです……」
淡々と告げる言葉は雪雉に突き刺さる。
これでもオブラートに包んだ上での拒絶なので優しい方だと思ってほしい。
いつも自分が正しいと思い込んでいて、その方向に引っ張って行こうとする傲慢ぶり。
幼馴染の鈴として窘めるのは最後の思いやりだ。
ああ、約束の時間が来てしまった。
グラスが空いたら今度こそアフターの終わり。
「また店に来ても良いですけど、これから火遊びは程々にして下さいね」
「鈴……ッ……」
なんて苦しげな声で呼ぶのか。
長年培ってきた傲慢さを手折られて可哀想に。
それから、少しだけ可愛いとも。
昨日のプレイルームでも雪雉に対して感じたこと。
ならばこちらも女王様の顔を作って返そう。
「もうそんな名前の女は居ませんよ」
子供の頃から雪雉の好意は真っ直ぐ。
ありがちな話、好きな子いじめでの意地悪など嫌なことをされた覚えも無し。
なので有難迷惑なら感じつつ鈴も決して彼を嫌ってはいなかった。
強い兄と控えめな妹のようだと、周りの大人達は微笑ましく見ていたと思う。
そういう訳で一度、日下部家から申し出があった。
「雪雉と鈴は仲が良いようだし、もし年頃になっても気が変わらないなら将来的なことを真剣に考えてみてはどうか」と。
普通ならば大変な名誉なので傲慢な言い分も致し方あるまい。
ただ雪雉と親しいというだけでなく、鈴の家柄や能力などを買った上での発言だったろう。
そこで鈴の父は尻尾を振って飛び付くかと思いきや、意外なことに「私どもには大変勿体無いお話ですが」と大慌てで頭を下げた。
確かに日下部家と繋がるのは鴨志田にとって有益。
しかし父は「良い婿を」と一人娘の鈴に言い聞かせていたのだ、跡継ぎが居なくなってしまうのは痛い。
繋がるにしても頭が上がらないような家では父の立場が無くなってしまい、却って困るのだ。
妻や娘など身内には支配的なくせに、小さい男だこと。
そして旧財閥最上家を支える分家のうち、特に日下部家は策士として名高い。
雪雉の父親である現当主の日下部朱鷺也は最上の中でも屈指の狡猾な狸親父だという噂。
いつも人当たりが良く屈託の無い笑みを浮かべてはいるが、そうした人物こそ底が見えないところがある。
仕事で長い付き合いがあるとはいえ、力量の差は歴然。
日下部の当主と対峙するたび父が密かに冷や汗を掻いていることを鈴は知っていた。
一見すると和やかな歓談でも、時に気を抜いたらあっという間に喰われてしまいそうな雰囲気すら。
父からそういう教育を受けて察することに長けた結果、娘に焦りを見抜かれてしまうとは皮肉。
そして、決定打の出来事があった。
あれは鈴が中学校へ上がって最初、両親に連れられて行ったのは何のパーティーだったか。
今でこそ平均身長に肉付きもバランス良い体型の鈴だが、当時はとても小柄で華奢。
人形じみた美少女ではあれど、底意地の悪い人間からは舐められがち。
だからこそ「鈴にはオレが居ないと」と雪雉の庇護欲を誘い、彼に秋波を送る令嬢達から嫉妬されていた。
そこで徒党を組んだ令嬢達に裁ち鋏を突き付けられ、無理やり連れ出されたのが惨劇の始まり。
脅しやせいぜい髪を切り落とすだけのつもりだったらしいが、異様な興奮状態で刃物なんて手元も狂う。
鈴の右耳まで深く切ってしまい、悲鳴と血塗れの大騒ぎになった。
鴨志田家やパーティーを台無しにされた主催の家に対し、令嬢達の家は賠償やら責任の擦り付け合いやらで大変酷いことになったのは言うまでもなし。
主犯の令嬢は以前にも同じようなトラブルを何度も起こしていたと発覚しただの、今回ばかりは庇ってもらえないことに腹を立てて父親まで刺してしまっただの、この際どうでも良いこと。
その一件以来、雪雉と鈴は確実に距離ができてしまった。
元を辿ると原因とはいえ、事件のパーティーには不在で蚊帳の外だった雪雉からすれば何が何だか分からない。
自分の所為で鈴に傷を負わせてしまったことで責任を感じて謝罪に来たが、鈴の母が拒絶した。
「あなたに罪は無くても、娘のことを思うならもう近付かないでほしい」と頭を下げながら。
手紙のやり取りくらいは許されても、二人きりで会ったのが五年も前になってしまったのはこういうことだ。
雪雉が海外に行ったのも「鈴を守れる立派な男になる為」と志を立ててのこと。
それまでは告白する資格も無いと決めて。
何もなければ子供の淡い初恋で終わる筈だったのだ。
負傷の責任と現状に対する同情で、今の雪雉はまだ冷静さを欠いているだけだろう。
日下部を継ぐには直情的すぎる。
思い出の美化とは大きく強く、心に残るもの。




