06:くちばしにチェリー
折角見つけた同士とは、是非とも好きな物について話したいもの。
そもそもバーは語り合いの場である。
こうして入店早々シロハラに絡まれてしまい、その後の雪雉は鈴とはあまり言葉を交わせなかった。
ただ鈴の方からすれば、タイプの違う男性二人が並んで喋っているのはなかなか面白かったが。
初めて来たフェティッシュバーという独特な雰囲気に呑まれてアウェイな状況だ。
傲慢な雪雉も調子が出ず、シロハラの好意を無下にもできずと珍しいものが見られた。
そうこうしているうちに鈴も他の客の相手をしたりと、ホロルニスの夜は更けていく。
今日も雪雉とは大してお喋りしないまま時間切れかと思ったのだが。
「この後、店が終わったら二人で会えないか?」
「……一時間だけなら」
帰り際に雪雉から囁かれる、アフターのお誘い。
バーに初来店の後にしては大胆なことで。
一瞬だけ考え込んでしまったが、鈴は時間制限付きで頷いた。
延長希望なら乗ってやっても良い。
こちらの方も言いたかったことくらいあるのだ。
雪雉が選んだのは、大人の社交場としてしっとり落ち着いたジャズバー。
バーでの労働を終えた後、またバーというのも可笑しな話か。
しかしフェティッシュバーは変態の社交場、かなりカラーが違うので別世界だった。
「まず全員きちんと服を着てて新鮮な光景ですね」
「お前は何を言っているんだ」
ジャズバーに踏み入れて一歩、思わず零してしまった鈴の発言がこれだ。
ホロルニスの華である女王様はボンテージ、客も下着で隠れるところまでは脱いでも可。
肌色の多い方が通常の光景だったので、慣れとは恐ろしいもの。
ところでジャズバーにドレスコードは無いとはいえ、軽すぎる格好は恥ずかしいので今が冬でまだ良かった。
ダッフルコートは学生というか子供っぽくなりがちな形ながら、色は濃紺で上品な印象。
育ちの良さは滲み出るもので鈴には似合っている。
こちらの店も昭和から続く老舗。
ジャズバーというと敷居が高いイメージがあったが、初めて来たというのに懐かしさを感じさせる温かみがあり小洒落た空間。
何だか飴色のガラスコップ越しに物を見ているような錯覚に陥る。
優しい暖色の照明でほんのりと薄暗い店内に、主役の存在感を誇るピアノやドラムが目を引く。
「祖父がジャズ好きだから、ここには若い頃よく来ていたと言っていた」
ゆったりと心地良いジャズは酒や煙草と調和する。
疲れや凝り固まったものを夜に溶かして、ラグジュアリーな気分。
だからこそ、鈴も引き結んでいた口元が緩んだ。
「日下部のお爺様お元気ですか?」
「あぁ、あの爺さんは確実に百まで生きる」
日下部のお爺様というのは還暦を迎えて尚も苦味走った伊達男。
ビジネスでは怜悧な切れ者らしいが、女性の扱いも手慣れているようで若い頃は浮き名を流したと聞く。
社交界でもまるで往年の俳優を思わせる立ち姿で、ご婦人方から熱っぽい視線を浴びていた。
それなら、かつてここにはデートで来ていたのかもしれない。
隠れ家とも呼ばれる思い出の地なら可能性は高かろう。
子供の頃の雪雉は母親似だと思っていたが、大人になった今は髪の癖や切れ長の目がどこかその祖父に似てきた。
きっと彼も年を取ったらこうなるのだろう。
この後、恐らくロマンスを壊すことになるのは鈴も少しばかり気が重い。
頼るつもりでアルコールを口にした。
メニューから鈴が選び取ったのはカシスコーラ。
世間では「炭酸飲料は歯や骨を溶かす悪い物」と言われていたので、父から禁じられていた。
こうして好んで飲むようになったのは遅れて来た反抗期みたいなもの。
覗き込んだグラス、真っ黒な中に弾ける無数の泡はまるで星空の煌めき。
口に含めばカシスでフルーティ感が増した香りに、スパイシーな甘い刺激が突き抜ける。
添え物は蜂蜜漬けの薄いレモン皮とサクランボ。
洒落たピックで刺してひとまとめになっており、ほんの一口で食べられるところだが。
「食べますか?」
「ありがとう、折角だから貰おうかな……」
蜂蜜漬けは雪雉の好物だった筈、とピックを差し出してみると存外素直に頷いた。
寒さが堪えるので雪雉はお湯割りのブランデー。
ウィスキーと似ていても、グラスの琥珀色から柔らかく立つ湯気は仄かに甘い香りがする。
酒には強そうに見えるので意外でもないが、やはり大人になったものだと密かに思う。
こうして渡すだけのつもりが、それは叶わなかった。
ピックを摘む鈴の指先ごと包み込む男の手。
引き寄せられて果実に喰い付く一瞬、動揺が走る。
雪雉の口腔に消えていった、艶めく鮮やかな赤と黄。
唇に垂れた蜜まで舐め取って欠片も残さず。
餌付けでもあれば情交の一幕を思い起こさせる。
或いは、自分の一部ごと頬張られたような錯覚。
丁寧に歯で磨り潰して呑み下され、喉仏が動いた。
尚も、二つの手は重なったまま。
もう果実は無いのに。
「今日は願いが叶ったな……大人になったら、鈴とここに来たいと思っていたんだ」
心から嬉しそうに雪雉が少しだけ微笑んだ。
そうして、ふと余裕が消えて本気の表情。
決意の表れは強く握る手に。
ああ、そろそろか。
「鈴……昨日も言った通り、オレはお前のことを連れ戻しに来た。事情や借金のことなら全部何とかしてやるし、今度こそ一生懸けて必ず守るから、オレの妻になれば良い」
鈴を逃さず雪雉は視線で突き刺しながら告げてくる。
妙に艶めいた吐息が落ちてから、その言葉を。
「子供の頃から、ずっとオレにとって女は鈴だけだった……お前が好きなんだ」
正直、それは知っていた。
ここまで大体なら鈴も予想もしていたこと。
だから、返事は決まっている。
「ごめんなさい」
あまりに真っ直ぐで強い雪雉の視線は毒。
頭を下げるのは、目を見なくて済むから鈴にとってちょうど良かった。
断る方だって胸が痛いのだ。




