05:楽園ベイベー
この歓楽街は十月の後半から雪が舞うような極寒の地。
本来なら季節とはいつの間にか移り変わっているものだろうに、冬はまるで灰色の巨体がのっそりと這うような長きに渡る。
そうして凍てつく厳しさを踏み越えて辿り着いた先、薄着の女性達が接客してくれる常春の楽園あり。
中でも一味違う刺激を求めるならホロルニスへ。
色狂いの同士を迎え入れて、初心者歓迎。
「いらっしゃいませ」
重々しいドアが開くと、優美な女の声が出迎える。
SM黎明期に開かれたホロルニスは創業二十年。
昭和から続く店だけにレトロな匂いが色濃く残っている店だった。
壁一面に色彩豊かな酒瓶が並ぶバーカウンターに、アンティーク調の家具や内装。
全体的にチョコレート色で統一しており、刻まれた細かな擦り傷は歴史の証。
しかし落ち着くというよりも、むしろ奇妙さに気圧される空間である。
天井の一点に吊り下がっているのは存在感抜群、赤い照明器具と物々しい大きさのフック。
コレクションのように拘束具や鞭などが一面に飾られた壁。
見回すだけで、つい好奇心が刺激されてしまう。
「こちらは初めてですね、どうぞ」
案内してくれるのはビスチェ型ボンテージに網タイツが妖艶な美女。
ホロルニスの経営者は春告だが主な接客は彼女、ママの桜が行う。
「桜」の名を持つ彼女は小さな花というより、背が高く威風堂々としており大きな樹木の存在感を持つ。
明るい茶系や金などの髪色が流行っている中で桜は少し珍しく、淡いピンクグレージュの波打つ長髪。
これがまた透明感と上品な甘さがある容姿によく似合い、黒のボンテージに映えていた。
SMはファッションからして独自の世界を持つので変わった髪色も違和感無し。
そしてまた謎の多い人でもある。
ママを務めて十年以上、三十代前半に見える桜は容姿がほぼ変わらず「Mの生気を吸っている不老不死なの」と笑う。
客達はこうしてからかわれて喜ぶ訳だが。
「んまー、鎖で縛って薔薇でも散らしたら似合いそうなイイ男」
「BLとかエロ少女漫画の表紙?」
縄を扱う際には何があっても集中、余所見しない。
常連客の緊縛に勤しんで鈴が一息ついたたころで、背後から桜の感嘆と春告の相の手。
「……指名はもう決まっている。こちらへ来てもらっても宜しいかな、"マリ様"?」
そんな表現をされる男は鈴の知る限り一人しか居らず、聞き覚えのある声まで。
何故というか、やはりというか。
鈴が顔を上げた先、雪雉と目が合った。
また外では降り始めたらしく、頭やコートの肩を薄っすらと白く染めて寒そうな出で立ち。
とはいえ動揺は一瞬、顔に出さず呑み込んで鈴は頷く。
「また来る」なんて社交辞令とばかり思っていたら昨日の今日だ。
あれだけ切なさを味わったというのに、回復が早いこと。
そういうつもりなら、鈴にも考えくらいあった。
是非ともホロルニスの礼儀で迎えてやらねば。
「ご新規さん、お名前は?」
「白雪の騎士です」
桜に問われて口を開こうとする雪雉を遮り、先に鈴が答える。
何人かが酒を噴き出した気配まで。
「シラユキ?お姫様なの?」
「白雪の騎士です」
「あらー、変わったお名前ね」
「かつて女性達は彼をそう呼び、恐れ慄いたものです……ほら、こんなに雪が積もって」
鈴が真面目に言うもので桜も付き合う流れ。
不老不死ジョークを定番とするだけあって、いきなりお伽噺めいた発言をしても順応してくれる。
一方、雪雉は訂正するタイミングを逃して言葉が上手く出てこない模様。
「気遣い無用、既にプレイは始まっていますので」
そして鈴の方も雪雉に名乗らせたりせず、これは牽制だ。
笑いを堪えている客が居ても、この程度の羞恥は挨拶代わり。
バーでの鈴は飽くまでも皆の女王様。
昨日の一対一とは違うのだ、思い知らせてやらねば。
「……こんな所で本名を出すものじゃありませんよ」
黒服に持ってこさせたタオルを雪雉の頭に被せてやったのは、内緒話の口実。
傍から見れば、風呂上がりの犬を拭いてやる飼い主ような構図か。
それにしても、やはり氷の彫刻めいた顔立ちである。
あまりに冷たくては流石に気の毒。
温めるつもりで鈴が冷たい頬に触れてやると、体温で溶けてしまいそうな錯覚。
雪雉もまた飼い主に撫でられる犬のように目を細めた。
鞭の後にはこうして飴が必要。
とはいえ二人きりではないので、こんなやり取りもほんの束の間。
ふと、ソファーに掛けていた雪雉の隣から陰が落ちる。
「白雪殿、私もお隣宜しいですかな?」
「……どうぞ」
雪雉が気圧されてしまったのも無理はあるまい。
断りを入れてきたのは、先程まで鈴に縛られて喜んでいた客だった。
服の上からでも真っ赤な縄が絡んでいる姿はインパクト抜群。
緊縛の代表、胴体に六角形が二つ並ぶ亀甲縛り。
両手足を拘束してないので意外と自由に動けるのだ。
これはMの身体を美しく見せる観賞目的と、羞恥を煽る為の緊縛。
「ホロルニスにようこそ、私はマリ様親衛隊長のシロハラと申します」
厚ぼったい瞼の目を引き締め、礼儀正しく頭を下げるのは大柄な男だった。
赤い縄で異様な雰囲気になってはいるが、日頃はむくむくとしたクマのぬいぐるみめいた親しみやすさがある。
シロハラはある意味で一番付き合いが長い客。
鈴にとって最初のM、例の引きこもり息子だ。
とある事情で部屋から出られなくなっていた日々に、鈴が現れたのは大きな転機。
「あの女神はどこの誰だ」と探し回り、時間は掛かっても会いたい一心で社会復帰したという。
以来、恩義を返す為にとバーに通い続けて数年。
汗水垂らして労働した金を鈴に使うのが喜びだという。
しかし意外なことに鈴はアイドル、シロハラはファンという立ち位置のつもりだそうだ。
恋人でなく女王様であることを望むというのだからSMは奥深い。
支配されたい、崇拝したい、どんなに愛しても決して自分には靡かないでほしいという欲求。
平たく言えば、Mとは大変我儘なのである。
「いや、お目が高い。どこでマリ様のことご存知に?」
「あぁ……ホームページを見て……」
こういう時、昔からの知り合いとは明かすべきでない。
流石に雪雉も察して気を利かせた返答。
それはそれとして、鈴の脳裏に過ぎるのは怪しさ満点のホームページ。
一般家庭でパソコン普及率が急速に広がっていることもあり、最近ホロルニスも公式で運営を始めたのだ。
SMとは耽美な世界観が大事。
業者に頼んで凝ったものにすればいいものを、個人サイトもやっていてhtmlが組める事務員が居たので作らせたものである。
何とかホームページとして格好はついていても、黒地に赤文字でどうも目が痛い。
見目麗しい女王様達の写真で華を添えているのが救いか。
雪雉も鈴の居場所は独自ルートで調べたのだろうが、ホームページまで見られていたとは。
「ネットに顔を載せるのはご法度、半永久的に残る」と言われている時代だ。
キャスト紹介欄の「マリ様」は軍帽を被って顔が陰になっている上、手で目元を隠したポーズ。
ボンテージの立ち姿だけでも美しいのでこれで十分だった。
果たして、雪雉はあれを見て鈴だと判っただろうか。
もう別人になってしまっているのに。




