03:北風と太陽
はて、本当に雪雉はどうやって鈴を探し当てたのだか。
本来ならたかが父親同士のビジネス上での関係だった筈。
そもそも幼馴染とはいえ、大金や手間を掛けてこんな遠い歓楽街まで迎えに来るような義理など無いのだ。
黙っていても引く手数多だったのだから遊び慣れていて興味本位かとも思ったが、SMは初めてだというのでますます分からない。
あの頃、懐いていた小さな女の子はもうどこにも居ないのに。
「おはようございます」
歓楽街の住人は夜明けまで遊んで帰って眠り、再び夕方から活動する夜行性。
それでも挨拶は時間帯問わず「おはよう」である。
雪雉との再会から一晩、今日の鈴はクラブでの指名が無くフェティッシュバーだけのシフト。
女王様も四六時中厳しい態度や身体のラインが出る格好をしている訳でなく、開店前は意外と緩め。
ただでさえ寒い地方、ダッフルコートだけでは心許ないので下にフリースをもう一枚。
九〇年代後半から大ヒット商品となったフリースは軽くて暖かく、色も種類が豊富。
ここから社会現象を起こした某アパレルブランドは、やがて日本を代表する企業の一つとして成長する。
外がどれだけ極寒でも、店に立つ鈴はいつも露出の多いボンテージ姿を晒す。
ファッションが精神に与える影響とは馬鹿にできず、着替えは変身のスイッチが入る。
「あぁマリ、おはようさん……」
渋みの深く低い声で呼ばれる「マリ」とは鈴の女王様としての名。
気怠げな雰囲気で伏し目がちにひっそり笑う三十代半ばの男は、ここホロルニスの経営者である古城春告という。
ショートのツーブロックですっきりした首筋、通った鼻筋と合わせて横顔のラインが綺麗な色男だった。
ツーブロックというと俳優も取り入れ始めているだけに再流行が来ている頃だが、形だけの真似でなく様になっている。
女が見惚れそうな容姿の春告ながら、その両腕に気付いた途端に目を伏せてしまう者も多い。
しなやかな細身の筋肉質の肩から手首には和彫りの刺青。
曲がりくねりながら伸びた黒い枝に艶やかな紅梅の花が散りばめられ、羽を広げた鶯の姿も。
花札でお馴染みの取り合わせなので見覚えがあるだろう。
冷たい雰囲気は雪雉が白雪なら、春告は鞘に収まる刃物を思わせた。
この店のバックと例の闇金融の大元は同じであり、春告はその鶯巣組に所属しているヤクザである。
そして、鈴を女王様に仕立て上げた張本人。
話は遡って鴨志田家を追い出された時のことである。
日下部家ほど裕福ではないにしろ、鈴が生まれた鴨志田家も池付き庭園が優美な屋敷だった。
一人娘の鈴は「良い婿を取って家を継ぐように」と父から言われてきたのに、どうして歓楽街に居るのか。
人生が変わり始めてしまったのは高校生の頃。
母が事故で亡くなってすぐ、父が後妻として若くて底意地の悪い女を迎えた所為である。
そんな家から脱出したくて、必死で勉強した鈴が遠くの名門大学に受かった矢先に事件は起きた。
ホストクラブが増加して一般人にも敷居が低くなってきた時代、隠れて夜遊びしていた義母が闇金融で多額の借金を負ったのだ。
しかも何ともタチの悪い話、勝手に鈴の名義を借りてなりすました上でのやらかしである。
髪型を真似られたり知らぬ間に私物を使われていて、以前から気味が悪いとは思っていたのだ。
一応は家の女主人なので実印なども持ち出し可能だった立場。
濡衣だと訴えても、借金が鈴本人のものかどうかなんて闇金融の人間達には知ったことでない。
物心付いた頃から鈴を冷遇していた父は一切信じず殴り付け、勘当を言い渡してその場で売り払ってしまった。
「女に学歴は不要」と言っていた父にとって、むしろこの事態は厄介払いとしてちょうど良かったのだろう。
跡継ぎなら義母に男児を産ませるつもりなので、鈴は要らなくなったと。
借金も邪魔者も片付いて、これ見よがしに父にしなだれかかる義母は醜く笑っていた。
「勉強しても無駄でしたね、バーカバーカ♡あはん♡」
追い出される際、いつの間にか鈴の服のポケットに捩じ込まれていた手紙がこれだ。
どれだけ性根が腐った化け物かなんて、これだけでお察し。
雪雉曰く、そうして消えた鈴のことも周りには「例の大学へ送り出した後、退学して遊び回っている親不孝者」と適当に説明していたらしい。
事実は口が裂けても言えやしないのだ。
闇金融の利用だけでも醜聞だというのに「娘を借金のカタに売り飛ばした」なんて信用ガタ落ちだろう。
世間体が大事なら品行方正に過ごせば良いものを。
売られた後はすぐにでもAVか何かかと思いきや、父に殴られて頬の腫れが残っていたのでそこは免れた。
代わりに、まず鈴が押し込まれたのはどこかの寝室。
強面の無法者達から「身を差し出してこい」と凄まれたが、その相手とは気の毒なくらい狼狽えている若い男だった。
ただ彼らの会話から察するに、無法者達よりも偉い立場だというのは確か。
要するに裏社会で顔が利く家の引きこもり息子らしい。
「女でも抱かせたら自信もつくだろう」と父親から言いつけたらしいが、その引きこもり息子本人は取り乱していてそれどころではなかった。
急に知らない男女から囲まれては無理もあるまい。
しかもこうして無遠慮に見られている前で、裸になって性行為をしろなんて。
家畜の交尾だってもっと気遣いしてもらえる。
何とかドアの外に男達を追い出して待機させてからは、これこそ鈴の正念場。
下手すれば殴られて犯されて殺されるのだ。
絶望なんてしている場合でなく、死にたいなんて言っていられず。
もう生き残る為なら何でもする覚悟。
とはいえ、思いきり媚びて痴女のように振る舞うのは間違っている気がした。
他人と話すこと自体が年単位で久々とあれば、彼が最も埋めてほしいのは孤独感ではないだろうか。
一か八か、まず対話を試みることにした。
温かな微笑みをたたえながら、金目には慈愛。
野良猫だか迷子だかを宥める優しさで包み込み、友のように母のように叱る態度で接してみたところ功を奏す。
引きこもり息子はすっかり大人しくなって鈴の腕で安心して身を預けた。
物心ついた時から溜め込んでいた弱音を吐きながら子供のように涙を流し続け、時間いっぱい抱擁だけで満たされた様子。
男達がドアを開けた頃、彼はすっかり泣き疲れて眠ってしまっていた。
こうして聖母になりきったお陰で純潔は守れた訳だが、運良く一時的に回避しただけ。
今後どうしたものかと思っていると、そこへ現れたのが春告である。
「黒髪ロング、色素薄いでっかい目に小さめの鼻と口……才能あるし、これは売れるな。うちが引き取る」
鈴の顎を掴む手には梅の刺青、何より冷徹に見下ろす目が恐ろしくて鈴も目が離せなかった。
人間ではなく商品として見られている実感。
「あと手当ぐらいしてやれよ、お前ら気が利かねぇな……おい、ちょっとコンビニで冷やす物とか色々買ってきてやんな」
こうして応急処置を施されてから再び車に乗り、辿り着いたのがネオンの眩しい歓楽街。
暴力団と水商売や風俗は切り離せないもので、春告はそちらでシノギを得ているヤクザだった。
本来なら鈴の傷が治ってから販売先を決める手筈の為、下見に来ただけだったらしい。
独断のみで自分のところに抱え込むのは幾つか問題もあったろうが、階級が高い春告に無法者達は逆らえず。
当時ホロルニスは創業者が引退して春告が後を継いだばかり。
それに伴いちょうど新しいキャストを求めていたタイミングで拾ったのが、鈴だった訳である。




