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02:サウダージ(拘束、目隠し)

「SMは初めてですか?そうですね、まずは座って……そこじゃありませんよ」


まずは指先を差し伸べるように、手探りでそっと撫でて捉えていく。

隣に腰掛けようとしてきた雪雉に対し、(すず)が視線で促したのは硬い床。

両膝をつく雪雉(ゆきじ)の前、椅子に掛けて足を組むのは鈴だけ。


「折角の再会です、よく顔を見せて下さい」


器用に雪雉の顎を持ち上げてみせる、ヒールの爪先(つまさき)

見上げてくる目は訝しげながら反抗的なもの。

そうして視線はお互いを捕まえた。


SMの初歩とは相手を見つめることにある。

睨めっこだけでも睦み合いは可能。

控えめな少女だったので雪雉の知る鈴はこんなにも強い目をしていなかったろう。

今は微量の笑みに艶を隠し、真っ直ぐ堂々と。



「あぁ、その目、綺麗な黄金をしていると昔から思っていた……お前は相変わらず美しいな……」


眩しげ愛しげに、恍惚と雪雉が言葉を零した。

SMに耽美を求めるなら没入感が高まるので良いことだろう。


音楽や文学など芸術を愛する少年だった所為か、時に雪雉はやたら叙情的なことを口にする。

そうやって褒められても、鈴の方は昔からあまり本気にしたことはなかったが。

容姿なんて偶然生まれ持っただけのもので、別に自分から選んだ訳では。


特に、目の色に関しては言及されがちな部分だった。

親愛で接してくる友人から「綺麗だ」と褒められ、無遠慮に粗探しする他人から「気味が悪い」と陰口を叩かれる。


しかし鈴本人からすれば鏡と向かい合って初めて意識するものなので、よく気付いたものだと感心するだけ。

こちらも相手の反応を伺う為に目を見ること自体はよくあれど、色自体は気にしたことが無かったので首を傾げる。



そういえば、この流れなら訊いても良いだろうか。

他にも気になっていたことがあったのだ。


「ところで、ただ私に会うだけならバーに来れば良かったのにどうしていきなりクラブに?」

「本当は一晩お前を買うつもりだったよ……せめて一時でも良いから、オレだけの物になってほしかった……」


新規クラブ会員は初回六十分コースのみのルール。

一見お断りを破ったのだ、これ以上の違反は無理だったか。


というか、まず雪雉はSMクラブのシステムを誤解しているのでは。

順を追ってないだけに、大体しか説明を聞いてない可能性まであった。

確かにSMと聞いて想像する幅はそれぞれ。

こうして露出の多いボンテージでサディスティックに客を責めるので、確かに歓楽街には粘膜接触まで行くような店もある。

しかしホロルニスの女王様は一切身体を開かない。


平たく言ってしまえば、鈴はまだキスすら知らない処女。

幼稚園からお嬢様校育ちだった上に今まで交際経験すら無い。

飽くまでも研修なら先輩女王様がハードなプレイも付き合ってくれたが、あれは数に入るのやら。



雪雉もSMは初めてなら軽いところからにしつつ、念入りに責めることにした。

顎を持ち上げていたヒールの爪先は流れるように下へ、ネクタイもなぞってみせる。


「外しても良いですか?」


これは問い掛けの形をした強制。

鈴が小首を傾げると、雪雉も俯くように頷いた。


鈴から伸ばした手、重なり合って今初めて互いの体温が触れ合った。

こうするのは子供の頃以来だろうか、大人になってからはもう別人のものだ。

身長に見合って骨張った大きな手と、華奢で長い指が並ぶ細い手。



それがこうして男が女に易々と手首を縛られているのだから可笑しなこと。

魔法じみた指先で巻き付けられているのは、鈴が抜き取った雪雉のネクタイ。

光沢があり滑らかな手触りの素材、これは絹か。


初心者向けやお遊び程度ならネクタイが向いている。

しなやかで丈夫、痛みは無く跡が残りにくい。

柔らかく手首を握られる程度の拘束力。


手枷に手錠、縄に鎖にテープまで。

SMクラブなのでここには拘束具も揃っているが、身近な物の方が興奮するということもある。

無理やりに固められているより抵抗感が無いのだ。

加えて、今まで自分が身に着けていた物で他人から優しく自由を奪われているという倒錯。



縛り上げられた後の雪雉はまな板の鯉。

押し倒したりすると思わせながら、すぐには触れたりしなかった。

代わりに鈴の手が伸びたのは帽子のツバ。


軍帽を外す時こそ、女王様の鈴が最も美しい。

細い首筋へ流れ落ちる烏濡羽の長い髪。

アンバーアイとは光によって変わる摩訶不思議。

ずっと濃い陰を落としていた帽子が取り払われ、琥珀色は黄水晶よりも冷たい金色となって現れた。

見下ろす双眸は月のように神々しく、蜂蜜のように甘く。

視線だけで魔力を持っていて、それに焦がれる雪雉をはっきりと捉える。

力強く跳ねた鼓動が聴こえた気がした。


ただ、それもほんの一瞬だけのこと。


指先でくるりと回す軍帽。

目深に被せて、こちらを見つめる雪雉に目隠し。



「鈴……っ、おい、見えない……」


急に視界を遮られて、雪雉の不安な声。

慌てて見回しても手が使えなければ帽子は外れず。

躍起になっているのに儘ならない仕草が何だか可愛らしい。

ヒールの踵は音を立てずに、そんな雪雉の後ろへと回り込む。


「……さぁ、捕まえた」


背後から腕を絡めて、鈴は捕食の強さで抱き締める。

耳元の含み笑いは目眩がしそうに艷やかな微風。



「見つけたと、言ったろう……オレがどれだけお前のこと探したと思っているんだ……」


その囁きに、雪雉はとうとう酷く苦しげに顔を伏せてしまった。

胸の前で両腕を結われていては抱擁を返すこともできない。

自由も視覚も奪われたまま、ただされるがまま。


その方が良いこともあった。

鈴の体温だけが確かな薄闇の中、押し込められていた雪雉の感情が流出していく。


「手紙もいきなり返事が途絶えて……お前の実家を訪ねたら"勝手に大学を辞めてから、家出して遊び回っている"と説明されたぞ。納得いかなくて調べさせてもらったら、こんな……」


ただでさえ鈴は厳しい女子校だったので携帯禁止。

海外行きなどの事情もあって、雪雉とは電話よりも手紙で年に何度かやり取りしていた。

ここに辿り着くまでどれだけ長かったろうか。

最悪の事態を幾つも考えたかもしれない。


不安にさせたのなら悪かったとも思うが、鈴に非は無いので謝罪はしなかった。

何しろ真実は、ほとんど身一つで親に売り払われたのだから。



「こんなことになるなら、鈴も一緒に連れて海外に逃げるべきだった……すまない、オレはお前のこと、また守れなかった……」


帽子で隠して後ろ向き、雪雉は鈴に涙を見せないまま泣く。

どうにもならない切れ切れの懺悔を零しながら。


責め苦の際にMは「お許し下さい」と決まって口にする。

守れなかったことを罪だと受け止めている雪雉にとって、これは鈴からの罰を甘んじて受けているつもりなのだろう。

こうして救われるのなら必要なこと。



「……その話はもう良いって言ったでしょう」


そして広い心で受け止めねばいけないのがSの役目。

鈴はただ黙って胸の中に吹き荒れる冷たい嵐を感じていた。

もし正反対、これが熱を持っていれば殴っているところだ。

本当のところ雪雉は哀れんでいるのか、後悔なのか、感傷に酔っているのか。

判別つかないまま苛立ちを抑え込む。


「また」に込められた意味は痛みが走るので、鈴は思い出さないことにしておいた。


実の妹でもなければ恋人でもないのに。

だからこそ、本来ならここまで探し回る義理なんて雪雉には無い筈なのに。

今更もう全てが遅いのだ。



身動き取れない状態にして、背後から抱き締めるだけの時間。

そうしている間にも刻々と時計の長針は一周。


ああ、もう終わりが来てしまった。


「……また来る。この手は一度しか使えないだろうから、今度はバーの方に」

「凝りませんね……それなら、良い子になるまで躾けてあげますよ」


コートとスーツを着込み直して、雪雉は乱れの無い姿に戻る。

最後まで鈴は胸に秘めた嵐を悟らせなかった。

女王様の顔を崩さないまま、去って行く男を見送る。




極寒の地の歓楽街、一段と冷え込む夜空にはもう雪の兆し。

深海にも真っ白な雪は降る。

とはいえマリンスノーの正体は無数の小さな生物の死骸。

もともと雪だって空に舞う埃に過ぎず、幻想なんて目を凝らして見ようとするものではない。


ここ歓楽街は冷たく暗い海の底。


進化とは残酷、生きる為に変わり果てた姿で再会が遂げられた。

しかしこの奇妙な生態を鈴は既に受け入れている。

これもまた自分の一面なのだと。

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