01:君をさがしてた
歓楽街の夜とはどことなく深海にも似ている。
好奇心で海面に浸しただけの足は、ふとした時に誘惑の手で絡め取られてしまう。
たちまちロマンと危険性を併せ持つ底無しへ沈み、呑み込まれる未知の領域。
その闇は奇妙な生態を持つ命が無数に潜む。
太陽光が届かない代わり、鮮烈に煌めくネオンは彼らの脂ぎった欲望。
間近に迫ってきた二十一世紀の到来に、景気後退。
それでもここでは一晩で大金が動くというのだから恐ろしい暗黒世界である。
「やっと見つけたぞ、鈴」
「……こちらでは初めまして、ご指名ありがとうございます日下部様」
その歓楽街のとある店の個室で一対一、果たされたのは感動の再会とはいかず。
「見つけた」とは穏やかでないことを仰る。
椅子に掛けたまま、飽くまでも鈴は堂々たる態度で受け止めていた。
彼女、鴨志田鈴が歓楽街に流れ着いてから早三年。
人は見かけによらないとは歓楽街での常識だが、今日の客は随分と若くて小綺麗。
何もかも捨ててきたと思っていたのに、昔の知り合いが来るのは初めてのこと。
流石に驚いても"ここ"では毅然が求められる立場の鈴は顔に出さず。
睨まれる覚えなど無いとばかりに、目の前に立つ男を真っ直ぐ見つめるだけ。
この男、日下部雪雉は北を拠点として全国にも関連グループを持つ旧財閥最上家分家の長男。
父親同士が仕事の付き合いで、元令嬢の鈴とも幼い頃から長く交流はあった。
ずっと海外へ行っていただけにいつ帰ってきたのやら。
こうして二人きりになるのは約五年ぶりになるか。
それにしても長身で冷たく華のある美貌は相変わらず。
白薔薇でも持たせたらさぞ似合いそうな青年である。
鈴の一つ上なので今は二十二だったか。
涼やかな切れ長の目が怜悧ながら、少し癖のある黒髪と形の良い厚めの唇が色気を添える。
広い肩幅や大きめの手など立派な体格。
順調にエリートとしての道を歩んでいるらしく、コートやスーツを始めとした身なりからして裕福そうだ。
昔は白皙の美少年だけに社交界のご令嬢やご婦人方の間でもちょっとしたアイドル扱いだった。
名前の「雪」と「雉」の字をもじって「白雪の騎士」なんて陰ながら冗談半分で呼ばれていたくらい。
恋愛感情ではない分、ファンとして愛でるのがちょうど良い訳である。
確かに子供の頃はよく遊んでもらって兄のように思っていたこともあるが、もう遠い昔の話。
年頃になると、彼に秋波を送る少女達から誤解されて面倒なことになる事態も増えてくる。
男女はいつまでも同じ距離感でいられず、そうしたことを経て二人で会ったりできなくなってしまった。
その上、金で女を買う人だったとは軽蔑する。
「何を言っている、お前を連れ戻しに来たに決まっているだろう。金の問題なら……」
「あなたもですか……私も"自分だけの物になってくれ"とか、そういうお誘いは聞き飽きていますので」
「お前、何人の男にそういうこと……」
「同じことしてあげましょうか?」
鈴が強気に返してみせると、明らかに雪雉は苛立った。
それが可笑しくて少しだけ笑ってみせる。
歓楽街での再会とは夢の欠片も無いことだ。
明るい茶髪や金髪が流行っている中、鈴の売りは珍しいくらい綺麗な長い黒髪。
可愛らしいドーリーフェイスに、丸みのある大きな目はアンバーアイやウルフアイと呼ばれる黄金。
世界的にも割合が数%と、非常に希少価値が高い色だった。
黒の毛並みに金目は神秘性で猫を彷彿とさせる。
適度な大きさのお椀型の乳房を寄せて谷間も腹も露わ、ミニスカートに網タイツの衣装。
何年も客を満足させることで飯を食ってきただけに、雪雉に対しても自信ならあった。
「……良いだろう、そういうつもりなら相手してもらおうか」
上着を脱ぎ捨てた雪雉の声に凶暴な艶が混ざり込む。
ああ、こうやって話しているうちに思い出す。
傲慢な物言いに、勝手に決めつけて物事を進めようとする強引さ。
そう、こういう人だったのだ。
昔から雪雉に幼馴染としての好意はありつつ薄っすら苦手だと感じていた点も相変わらずらしい。
周りから見れば、強い兄と控えめな妹のような関係。
導いてもらいたいタイプにとっては心強いだろうが、根が気丈な鈴には合わなかった。
「鈴にはオレが居ないと」とよく言われ、成長するにつれて内心苦笑していたことを彼自身は知るまい。
今も雪雉は王子様にでもなりきって、囚われの鈴を連れ出すつもりだったのやら。
それならそろそろ現実を見てもらわねば。
ここに居るのは、小さな女の子でもお姫様でもない。
「キスならヒールにしなさい」
雪雉に顎を掴まれても鈴の唇は重ならなかった。
代わりに、威厳を込めた低音の命令。
黒革のハイヒールがきめ細やかな光沢の革靴を踏んで制す。
大粒のビジューが煌めく軍帽の陰は、鈴の大きな金目に凄みを持たせる。
着せ替え人形のように手足が長くバランス良い肉付きの身体を引き締める、艶めいた漆黒。
このボンテージこそ女王様たる証。
はて、マナーも知らないで雪雉は何しに来たんだか。
ここ「Horornis/ホロルニス」とは老舗のフェティッシュバー&会員制SMクラブである。
バーはSM初心者歓迎と間口を広く開いているが、高級店にありがちな話でこのクラブは一見お断り。
まずバーの方で常連になってからでなければクラブへ通れない。
SMとは信頼関係が大事なのでお互いを知る必要あり。こうして指名のキャストと二人きりで遊戯に興じる権利が与えられる。
「バーに出てる時、あなたと会ったことないですよね」
「……強いコネある常連から紹介してもらって、黒服に金を積んだ」
正直ルール違反ではないだろうか。
その常連が誰なのか、幾ら詰んだのかは聞かないでおく。
「あら、悪い子……お仕置きが必要ですね」
さて、どうしてくれようか。
バーでの対話や体験を経てないので、今の雪雉のことを鈴は何も知らないのだ。
予約の際には希望やNGを自己申告する問診票も書いてもらうのだがほとんどお任せのような空欄だった。
人それぞれ違う、心に秘めた欲望や隙間。
果たして傲慢な雪雉はどんな形を持っているのやら。




