19:桃色片想い
二度目のシャワーは泥々になった顔と身体を洗い流す為のもの。
一息ついたコウには下着だけでも履くように命じて、今は後戯の時間。
どこか乾いて緩んだ空気の中、鈴はボンデージのミニスカートにコウの頭を載せて膝枕。
まるで子供か犬でも愛でるような手で金髪を撫でてやりながら。
女王様とはただ冷酷非道なだけでなく、激しく扱った後でMを優しく労るのもルールの一つ。
この辺りは性行為にも通じることであろう。
飴と鞭とはよく言いつつも、Mの嫌がる手荒いことをして泣かせるのを鞭と呼ぶのは大間違い。
その後に優しくするのは飴でなくDVのハネムーン期という全くの別物、果てに待つのは破滅だけ。
Mが隠し持つ刺激的な味の欲望、本当の鞭とはSがそれを暴いて叶えてあげること。
その上で甘い飴まで与えるのだから至れり尽くせり。
春告の言っていた「スレイブとマスター」とはこういう意味なのだ。
結局のところSよりもMの方が愉しい。
こうして異性と密室で二人きりというのは危うさも含んでいるが。
勿論いざという時には怖い黒服も飛んでくるにしても何か起こってからでは遅く、猛獣使いの心境。
忘れてはいけない、鈴の膝に身を預けているのは恐ろしい深海の魔物だと。
「今日も結構なお点前でした……マリちゃん大好き……」
まだ余韻に浸って半裸のコウは恍惚の溜息を零す。
九〇年代半ばのストリートファッションブームから、某ブランドのロゴが入ったボクサーブリーフが若者に流行り始めた時代。
その布一枚の下、叩かれた尻はまだ赤く色付いていて丸々とした白桃よりも硬く締まったネクタリンに近い。
座るとまだ響くのに寝転がっているのに、消えてほしくないという我儘な矛盾。
「俺は女の子にお仕置きされて悦ぶド変態です……」
「そうですね」
コウの呟く自虐に対して鈴は冷ややかな低音で肯定、隠し味程度で嘲りも。
これもまた奉仕のうち。
一口にスパンキングを希望するMというだけでも、その好みは全く違うのだ。
道具、叩き方、強さ、タイミングから限界まで。
固定客として三年も付き合えば、流石に鈴もコウの好みを熟知している。
根気強く付き合う鈴の方はなかなか大変だが。
コウが満足した後、こちらの掌は白から赤、腕も疲れ切って一回り太くなった錯覚。
鞭ならまだしも、平手打ち連打は女王様にも負担が大きい。
しかし女王様は息切れを悟らせてはいけないもの。
最初のうちは意地でも必死に冷徹な仮面を被っていたが、今は慣れたもので腕が気怠い程度だ。
ハイヒールに網タイツなどMは女王様の足を好むとされるが、実はSは手こそが命。
指先の動き一つまでしなやかな色香で魅了する。
ある時は蝶々、またある時は狐、責めによって形を変える鈴の華奢な手。
女子校時代は化粧禁止だったものでマニキュアの塗り方も知らなかったのに。
短めに整えられた小さな爪は今や薔薇の艶めき、こんな色が似合うとは自分でも思わなかった。
「こんな薄くて小さい手で、真っ赤になるまで叩いてくれるのって……もうさー、こんなん愛だろ愛」
これは昔よくCMで聞いたカクテル飲料のキャッチフレーズ。
女を口説く台詞としては軽すぎる。
後戯の甘さに加えて、コウはバーで酒も飲んでいたので酔っているのだろうか。
それはそれとして、コウの方も我儘の自覚ならある。
女の手に惹かれる性質は本人でさえどうにもならないので目は瞑ろう。
とはいえ女王様に労力を掛けさせることで愛を感じたいなんて、酷く子供じみた欲求。
「ところで、あの美人のお兄さん初めて見る顔だけどご新規さん?」
ああ、今そこに触れてしまうのか。
誰のことを指しているかなんて言うまでも無し。
SMの遊戯とは、ある意味で恋人同士の交わりよりも激しく情熱的。
終わった後に他の男の話をするのは無粋だろうに。
「私のペットですけど」
コウが望む通りの言葉ではぐらかしてやっても良いが、いずれ雪雉のことは知られてしまうもの。
それに女王様はMに媚びたりなど以ての外、常に堂々としていなければ。
「えー、マリちゃん何年経っても俺のことは飼ってくれないのに?」
「コウさんは私と主従関係を結びたいのでなくて、飽くまでも痛みが欲しい訳ですから」
「今は叩かれるのマリちゃんじゃないとヤダよ……それじゃさ、普通に付き合うのもダメ?」
「それ何も譲歩してないですよね」
下着一枚きりの恥ずかしい格好、膝枕から見上げてくるコウは可愛いと言えば可愛い。
濡れて項垂れたシャンパンゴールドの髪が洗いたての犬を思わせる。
かといって、恋愛対象としてなら話は別。
それはお姉様達が「NO」の意見で一致していたからというだけでなく。
まずホストというだけで鈴にとっては心象が悪い。
義母が多額の借金を負ったのはホストクラブにのめり込んだ所為だという。
まさか義母のお気に入りがコウだった、なんて偶然は流石にありえないが。
極道と水商売や風俗は切り離せないもの。
義母の通っていた店と鶯巣組が繋がっていたのは確かだが、仮に探し当てようとしてもあまりに広範囲すぎる。
店の後ろ盾になるケツモチから客の借金を取り立てる売掛金の回収など、経営以外にも絡み方は様々。
そう、何よりコウの両腕を彩る鮮黄の高麗鶯が煩いくらいの声で確かに啼いているのだ。
この男はヤクザだということ。
「……俺はマリちゃんのこと本当に好きなんだけどな」
正直、それは知っていた。
今日はここまで喰い下がってくるとは思わなかったが。




