【番外編】02:パール(春告)
「芸能人は歯が命」とは歯磨き粉のキャッチフレーズである。
純白の歯を真珠のように輝かせる演出のCMはインパクト絶大で、数年前には流行語大賞となった。
ただ、今春告の足元に転がっていく歯は真っ赤。
赤潮の海で真珠は採れないというのに随分と豊作だこと。
そんな阿呆なことを考えながら、無理やり開かれた男の口へと春告は再びペンチを突っ込んだ。
そろそろ使い捨ての手袋が血で滑ってきた上、奥歯ほど手強くなってくるので力も要る。
この極寒の地に根を張る暴力団の一つ、鶯巣組。
そこに属する古城春告は歓楽街でシノギを得ており、フェティッシュバー&会員制SMクラブのホロルニスを経営している緊縛師でもある。
いかにも強面な無法者なら組に選り取り見取り。
比べれば冷たく整った顔立ちに細身の筋肉質で春告は女受けする容姿。
だというのに、気怠げな中に静かで圧のある妙な雰囲気で気味悪がられることも。
更に線の細かった若い頃なんて「幹部の情夫じゃないか」なんて陰口も叩かれていた。
現在はそれなりに地位があれど、組の面々にとって春告の認識は「サディストの変態」だろう。
その為か、いつからか拷問係の役割も振られるようになっていた。
単に痛めつけるだけでなく春告の腕前は一級品。
自白を任せれば、貝のように口を閉ざしていた者も素直な良い子になる。
そういう訳で今日の春告に課せられた業務は、手下達を連れて歓楽街でのルール違反者に対するお仕置き。
轡を噛まされて口が閉じられない男は顔中から涙や鼻水、血までも垂れ流し。
必死に暴れているが、全身に縄が絡まっていては軋む音を立てるだけで無駄なこと。
体重が掛かると却って締め付けが強くなる。
SMという合意の上での遊戯ならば快楽。
しかし暴力として行うと、これほどの恐ろしさは他ならぬ。
拘束具なら幾らでも種類はあれど、最も不自由になるのはやはり縄である。
縛っていくと拘束力を増していき、やがて関節どころか筋肉に至るまで動かせなくなるのだ。
それに、もし今解いたところでどうせ動けやしないだろう。
長時間に渡る縄の負担で、そろそろ手足が麻痺してきている頃。
ここから十年以上後に暴力団排除条例や契約の厳格化が進むまでの話、昔のAVはヤクザが深く関与していた。
アダルト産業を手掛けている鶯巣組もそこは同じく。
もともと身内が組の人間だった春告が極道へ転がり込むのは早かったが、仕事の一環でAV関係も経験がある。
そうしてSM系で緊縛師の巨匠と知り合い、手先が器用で呑み込みが早いこともあって縄を覚えた。
こういう時、普通なら血が洗い落としやすい素材や目立たない黒を着るものだろう。
むしろ春告の場合はわざわざ白衣に着替えて、マスクに衛生手袋。
本人に返り血を見せつけるのも効果があるのだ。
白衣の半袖には腕の和彫りもよく目立つ。
ペンチで歯を抜いていく姿はさながら、サイコホラー映画の歯科医。
《Say ah!》
春告の頭の中では宇宙から来た食人植物のミュージカル映画が流れていた。
最初は血の一滴から要求がエスカレートしていき、人間を喰らって巨大化するB級モンスターパニック。
ちょうど笑気ガスで酔い痴れた歯科医が乗り良く歌う場面を思い出す。
一方、春告といえば欠片も高揚せず冷たく硬い鉄のように無慈悲な表情。
躊躇わずに暴力を振るえるというのは、他人の痛みを自分のものとして感じないということ。
壁で分かれた自他の境界。
しかし、笑いながら弱者への暴力を楽めば碌でもない小物に成り下がってしまう。
これも春告が日頃興じているSMとは違う点なのだろうと考える。
自分が受けたプレイでなければ他人にやってはいけない。
だからこそMは加減を知らず、Sから自分の受けたい痛みを他人に与えてしまう危険性も。
「……なぁ、お嬢さん達もやってみな」
ふと春告が顔を上げて、部屋の片隅に声を掛けた。
手下数人と一緒に居所へと乗り込んで行った時には、ちょうど男が少女の一人を殴っていた真っ最中。
家出娘を監禁して客を取らせるなど、奴隷扱いしていたのは調べがついている。
鶯巣組のシマで勝手に売春などするからこうしてお仕置きされている訳だ。
何をされても悲鳴が漏れないようにと男が少女達を押し込めていた防音の部屋は今、皮肉なことに彼自身の地獄となっていた。
無法者達による突然の乱入で、置いてけぼりの彼女達はただ呆然とするばかり。
そういえば初めて会った時、マリと名乗る前の鈴もこうして腫れた頬をしていた。
あの頃は捨てられた黒猫じみた少女だったが、すらりと伸びた手足にボンテージが似合うイイ女に育ったものだと思う。
ホロルニスに引き入れて緊縛の師弟関係にあるだけ、何となく親目線になりがち。
三十代からすれば、ついこないだまで高校生だったお嬢さんなんて子供。
さて当然の話、春告に声を掛けられた少女達は肩を跳ねさせて怯えるだけ。
それても彼はペンチの持ち手部分を向けて続ける。
「これが終わったら俺らはコイツを連れて行く。今生の別れでも、やらなきゃ一生トラウマは抱えていくことになるぞ。アンタが"やめてくれ"と泣いた時、コイツはどうした?」
春告は助けに来てあげた訳ではないのだ。
この少女達とも一期一会、鈴のように引き取って責任を持つ義理も無し。
乗り越えたければ、自分の手を汚してでも応報しろと。
ここから先を選択するのは少女自身。
そうして春告に投げ掛けられた疑問は、その胸に火をつけたようだ。
恐る恐るながらも、血塗れのペンチに伸ばされた一つの手。
いざ腹を括ると女の方が強いのだ。
そう慌てなさんな。
医療用の衛生手袋なら、まだ替えがある。
「握って……そう、上手……」
春告の囁く声はこんな時だというのに酷く優しい。
素肌に香水を忍ばせている春告が汗ばむと、至近距離で仄かな甘さの花が綻ぶ錯覚。
震える華奢な手の上、骨張った手を重ねて支えてやる。
白い手袋は赤で汚れていく感触すら生々しく。
そしてペンチの先に挟み込まれた男の歯。
何度目かになる悲鳴は轡に遮られて声として響かず、生温かく空気を震わせるだけ。
渾身の力を込めて、梅の枝と鶯が彫られた腕に血管が浮く。
「ッ……ん、よく出来ました」
春告は手を貸したに過ぎない。
また一つ転がった真珠は、確かに少女がその手で採ったもの。
「二丁目に捨てるゴミ無し」といったもので、男は女と違って売れないなんて大きな誤解である。
むしろタチネコどちらでも使い道や価値がある上、別に目麗しい若者でなくとも構わない。
この男の場合「全ての歯を抜いた口で奉仕する奴隷が欲しい」という買い手がもう付いている。
今後は離乳食のような物が主食。
身動き取れないままで、何を言ってもやっても赤ん坊扱いで世話を受けるのだ。
絶望で真っ白になった後に俗世から切り離された監禁状態で教育されれば、誰もが狂ってしまう。
やがてこの男も歓楽街の闇で商品になる。
作中の映画は「リトル・ショップ・オブ・ホラーズ(86年版)」です。




