11:Wait & See(緊縛)
「日下部さんアンタさ、ルール破って一見さんがいきなりクラブの方に来たろ……多めに金出しゃ良いってモンじゃないよ?駄目だよ?」
他の客にはくれぐれも内緒の話。
春告の叱る口調は優しくも、裏側に冷たく重いものが潜んでいる。
「んじゃまぁ、お仕置きってことでステージ来てくれる?顔の良い男が縛られてんのは絵になるからねぇ」
あまりに春告が軽々と言うものだから、雪雉の小さな苛立ちは溜息で抜けてしまった。
少しばかり恥を掻くだけ、これで済むなら呑もう。
最初にルール違反をしたのは雪雉の方なので拒否権は無し。
逃げずに罰を受けようとする真面目な点は美徳。
しかし安易に乗ったりするのは失敗だった。
なんて、後で動けなくなってから気付いても遅すぎだが。
ステージなんて呼ばれていても段差程度の小さなもので、天井から吊るされたフックの下に椅子。
ここではちょっとしたSMショーをやることもあるそうで、その為の設備。
雪雉がジャケットを脱いで促されるまま座ったところで、春告が二重の麻縄を鞭のようにしならせる。
真っ赤な色がまた何とも毒々しい。
そして雪雉の手首を周って結び目一つの早業。
と思いきや頭の後ろに両腕を引っ張られて、強制的に背筋が伸ばされた。
ステージに身を置く者は俯くことを許されない。
客達の視線が突き刺さる居心地の悪さを感じて、雪雉は軽く顔を顰めた。
一纏めになった雪雉の両拳はうなじ辺りで固定。
そこから先の赤い長縄が首筋に掠れて、ようやく危機感が冷たく肌を撫でた。
見世物になるだけならこの場限りの恥。
しかしもしもの話、春告はこのまま雪雉を絞め殺すことも出来るのだ。
まさかそんな、馬鹿げているなど言えるだろうか。
この男との間に信用なんてものは無いのに。
なめらかに動き回る細くて長い指はまるで毒蜘蛛。
そうして雪雉が怯えを隠している間にも赤い縄はシャツの背中で交差して、平たい胸を上下で二周。
女ならちょうど乳房を挟み込む扇情的な形になったのだろう。
男なのであまり見応えは無いが、雪雉からすれば二重に胸を縛られているのできつくて息苦しい。
「これが諸手上げ縛り。脇が無防備になるから、ここからくすぐったりとか責められる訳な」
春告は飽くまでも講じるのみで、そこから先は雪雉に触れたりしない。
要するに、ただ客達相手の教材にされているだけか。
どうでも良い、下らない。
もともと雪雉は鈴を尋ねて辿り着いただけ。
別にSMなんて変態趣味に興味があって来た訳ではなかった。
そうして、早く終わりにしてくれと投げやりな気分でいたのに。
「白雪さん縄処女だろうし、もうギブアップしとく?……まぁ、マリならもう少し頑張ったけどな」
ふと春告が付け加えた呟きで、雪雉の中に小さく火が爆ぜた。
どうしてその名を今。
反射的にそちらを睨もうとしても拘束状態、首を動かすことも儘ならずに縄が軋む。
これでは鎖に繋がれた犬ではないか。
「貴様が、鈴に……っ……」
「あぁ、そういう仲?痛いのも気持ち良いのも、アンタの知らないこといっぱい教えたよ……そりゃもう手取り足取り」
笑いもせずに淡々と春告は答える。
挑発ですらなく、ただ事実を述べているだけとでも言いたげ。
具体的には語らず嫌な妄想ばかり掻き立てられてしまい、それがまた雪雉にとって堪らなく忌々しい。
しかし雪雉が殺気立ったところで無意味なこと。
縛られているのは上半身のみ、下半身は自由であっても椅子に腰掛けている状態なのだ。
雪雉の片方の腿を掴むように、上から春告が手で押さえ込まれるとそれだけで動けなくなる。
この手が蜘蛛ならば、噛まれて毒が回った状態。
されるがままとはなんて無力か。
何も知らないままだった。
それこそが雪雉の罪。
鈴と離れていた数年間、手紙のやり取りならしていたがあれらの言葉は飽くまでも自己申告。
同じ女子校の姉や妹にも聞く限り、学校生活では特に変わった様子を見せずにいたというので安心していたのに。
まさか、鈴があんな目に遭っていたなんて。
家こそが一番危険な場所になるだなんて雪雉は考えたこともなかった。
鴨志田の外面の良さに騙されただとか、後妻のことをよく知らなかったなんて言い訳。
最悪の事態になって変わってからでは全てが遅い。
SMの緊縛とは、罪人を捕縛する技術が進化して発展したものだという。
これは巡り巡って、雪雉に与えられた罰なのだろう。
無かったことにできないなら、そうすることで折り合いを付けるしか。
「……あの、これ、どういう状況ですか」
一つ落ちた静かな声は、呆れなのか笑いを堪えているのか。
どうしてこんなタイミングで来てしまうのだろう。
感情が読めないまま真っ直ぐ向けてくる、金色の目。
すべやかな髪と同じく、漆黒の軍帽とボンテージを纏った艶姿。
今夜もまた麗しく"マリ様"となった鈴が小首を傾げた。
ああ、見られてしまった、恥ずかしい。
鈴の前では格好良くいたかった。
格好つけていたかった。
そうでなければ彼女に相応しくないのに。
雪雉の方は再会してからずっと空回って無様な姿。
あまりにも情けない気持ちになり、こんな人前だというのに泣きそうだ。
そもそも振られたばかりの後で店に来てしまう時点でプライドなんてものは粉々。
好きな子を守りたかったのに、社交界で騎士だ何だのと黄色い声を浴びたって役立たず。
女王の証たるヒール、近付く足音は警告。
「そこで待っていろ、覚悟しろ」と。
何故かこちらへ距離を詰めてきた鈴は片手を振り被った。
「お師匠様、ハイタッチお願いします……ここから先、私が引き継ぎますので」
気怠げな空気に感情を隠す春告が初めて小さく笑った。
同じくひらりと挙げられた男の片手。
先程まで雪雉の胸を這っていた例の蜘蛛は、乾いた音を立てて叩いた鈴の手で居なくなる。




