飽きるVS了
飽きるということは――飽きないということだ。
飽きないということは――飽きるということだ。
そんな言葉でわかった気になれれば、単純だろう。わからないけれど、単純だ。飽きるということは、飽きないことに敏感である。飽きないということが、そもそも、あり得ないのだ。いつかは飽きる。
ずっと飽きないのは、ずっと飽きているということなのかもしれない。そういうことを、誰かが言わないとわからないだろう。いや、言ったところで、当人にとっては、なんの効果もないかもしれないが。
それか、本当にずっと飽きない人がいるのかもしれない。飽きないで、ずっと同じようなことを続けている人がいるかもしれない。そのようなことを続けることができるのは、同じようなことの中に、変化があるからなのかもしれない。それは実際に、やっている人にしかわからないのかもしれない。
飽きるとは、飽きないということだと、そんな言葉でなにもかもがわかればいいが、そうはいかないだろう。そんな単純な言葉で、わかれば、苦労はしない。みんなは、飽きることで、苦労するんだ。こんなことやったところで、無駄だとわかるのだろう。
なにが無駄で、なにが無駄でないのか。相対的な無駄と絶対的な無駄。その違いさえもあやふやで、わかることのない、こんな世界のどこかに――ぼくはいた。
最大火力でブッパなすことなんて、もう飽きてしまったけれど、ここで、久しぶりに言ってみよう。飽きた言葉を、何度も言って、みんなに飽きてもらおう。ぼくと同じように、飽きてもらおう。
ぼくはやつと対峙した。二つの勢力は、向き合った。どちらが劣勢で、どちらが優勢なのかはわからない。わかったところで、簡単にひっくり返る。昨日までのことが、今日になったら、飽きているし、今日、飽きていたことが、明日になれば、飽きていないかもしれない。
それでも、ぼくは同じことを繰り返す。もし、バケツリレーをして、途中で、バケツをひっくり返して全ての水をぶちまけてしまったら、きっと、ぼくの心は折れしまうかもしれない。いままでの苦労が水の泡だったと思うかもしれない。それでも、ぼくは繰り返す。同じことを。
飽きても――飽きても――飽きても――飽きても――飽きても――飽きても――飽きても――飽きても――飽きても――飽きても――飽きても――飽きても――飽きても――飽きても――飽きても――飽きても――飽きても――飽きても――飽きても――飽きても――飽きても――飽きても――飽きても――飽きても――飽きても――飽きても――飽きても――。
飽きてもぼくは繰り返す。最大火力でぶっ放す。あらゆる矛盾を、矛盾じゃないとぶっ放す。正しいことを、正しくないかもしれないとなあなあにする。いいとされることを、悪くする。あらゆるものをひっくり返す。表裏一体だと、そんな言葉で曖昧にする。




