終わりVS了
不安ごとがあって眠れない人がいるらしい。なるほど、それはしんどそうだ、とぼくは思った。だが、共感はあまりできなかった。なにせ、ぼくはご飯を食べたあと、寝床で横になると、すぐに眠たくなる人間だからだ。
まあ、すぐにとはいっても――0.93秒の記録保持者の、野比のび太選手には負ける。彼の偉業は、全人類を震撼させた。ぼくが彼の足元に及ばないのは自明のことだろう。
さて、えっと、なんの話しをしていたのか忘れてしまったが、まあ、いいだろう。忘れることが、必ず悪であるとは限らないだろう。忘れることは、人間にとって大切な能力だ。人間が機械に勝る点の一つだ。
ぼくのように、なんでもかんでも忘れてしまうのは、困ったことになりそうだが……。それはいいとして、そうそう、思い出した。不安について語ろうとしていたのだった。
不安について――彼について記憶に新しい人はいるだろう。
彼――不安院のことを忘れたとは言わせない。ネット掲示板にも書き込ませない。因みに、ぼくはさっきまで忘れていた。彼はあらゆる不安を常に抱えて生きていて、まさに闇の代名詞が相応しい人間だった。
果たして、彼はずっと不安でい続けることができただろうか。いずれ――終わりがくるのではないのか。
ぼくは、そこに疑問を感じる。不安院の不安の根源がなにでできているかは知らないけど、彼だって一人の人間だ。二人の人間なわけがない。ん。いや、まてよ。もしかすると、十二人の人間だった可能性だって(以下略)。
長い話しを聞かせてしまった気がする。ぼくが言いたいのは、たぶん、世界には救いがあるということだろう。マイナスになっている時に、救いはある。
「神様が救ってくれる。なんて」
そんなことを、信じれるようになれば、彼のように思い悩むこともないのだろう。わからない。どっちが正しいかなんて、各々の主観で決まる。
なににも終わりがある。だから、安心できる。
つまり――終わりがあってはじめて安心できる。さまざまな苦悩は、終わる時がいずれくる。そのときに、安心できるということだ。身も蓋もないと思う。
そんなことは、ほとんどの人間が経験してきたことだろう。終わって、はじめて、安心できるなんて。始まって、はじめて、不安になるなんて。
――終わって、始めて、安心できる。
――始まって、始めて、不安になる。
もしくは、初めて、かもしれないが。初めて不安を感じるのは、何歳からだろう。と、まあ、そんなことはどうでもいいか。ぼくは、やつと戦った。
終わりと――戦った。だが、いつになれば、終わりがくるのか、それさえも曖昧なまま、あらゆる物事を見てきた。あらゆる問題を棚に上げたまま、終わりがくるのを待っていた。
だが、現実は一向に終わらなかった。どこまでが、結末なのか。それを、僕達は知りたかったのだろう。小説でもそうだ。終わりたくて物語を読んでいるのだろう。いまが、不安だから、それを終わりたくて完結したいのだ。もしくは、いまが安心だから、それを終わりたくて、読み始めたのかもしれない。
曖昧模糊な世界に一区切りをつける。終わりを知りたくて、ぼくは今日も、小説を読んだ。いつか、終わりが終わる日がくる、その時までずっと。




