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生き甲斐VS了

 昨今、生き甲斐というフレーズが、表裏一体になってきた。昔であれば、生き甲斐の『甲斐』を、苦労を惜しまないで頑張るという、大きな負荷を楽しむ意味合いが強かったが、昨今は真逆になりつつある。負荷がなくて、楽しむ人が増えてきた。豊かになった――と言えば聞こえはいいが、心まで豊かになったとは、まだ、言えないだろう。


 苦しみがあるから――楽しみがある。


 不安があるから――安心がある。


 そんな、多くの人間にとって、わからないような言葉ばかりが、頭に浮かんでくる。生き甲斐を、どう説明すればいいのだろう。どうしたら、生き甲斐を持つことができるのか、それは、色んな偉い思想家や哲学者に任せておくとしよう。ぼくは思想家や哲学者ではないのだ。


 負荷がなければ、人生は生き甲斐がないのか。そんなことは、ないはずだ。ただ『生き甲斐が欲しい』と思っている人ほど、楽で好きなことばかりやっている現実がある。統計を取れば、きっと、わかるだろう。


 テレビやネット動画を視聴することが生き甲斐なら、それでいいのではないか。その時間が充実していれば、それで、いいだろう。でも、それでは、ダメな人もいる。いまのままじゃダメだ、と危機感を抱いている人はいる。いまの生き甲斐の意味は、楽に楽しく生きるになっているのだから、仕方がないのかもしれない。そんな時代に生まれた自分を嘆くがいい。


 と、まあ、巫山戯た冗談はそれくらいにして、ぼくは、恒例の戦闘を開始しようと思う――思う、というか、既に始まっている。既に、生き甲斐とか、どうでもよくなった。これは生きるか死ぬかの生き残り戦なのだ。人生とは、総じて、過酷なものだ。


 生きることは戦いである。戦いであれば、ぼくに死角はない。というのは嘘だ。死角はあるが、狙われない。だって、隠密で見えないようにしているからだ。


 ぼくは、なにかと戦っていた。それは――自分自身と(以下略)。


 それにしても今回の敵は手強かった。こっちが、最大火力でブッパしても、全然倒れないのだ。むしろ、攻撃することで、更に強くなってる感じだった。


「これが――生き甲斐、かよ。巫山戯てんのか」


 どうしても、ぼくは生き甲斐を巫山戯させたいみたいだった。やり甲斐だの、生き甲斐だのなんて、そんなの、どれだけの価値があるのかなんて、自分で決めるっての。だから、勝手に決めんなよ。


 生きることは戦いだ。負ければ、全て終わり。ゲームオーバー。そんな中で、甲斐を見出していくことが、どれほど、現代人に難しいことなのか。ぼくは、なんとなくわかった気がしたのだった。

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