第7話 王都へ
翌朝。
私は執務室の窓から差し込む朝日を浴びながら、静かに目を細めていた。
ヴァンパイアでありながら陽光に耐性があるというのは、やはり便利だ。
活動時間を夜に縛られないだけで、行動の自由度が段違いだった。
人間達が慌ただしく城内を行き来する気配を感じながら、私は今日の予定を整理する。
王都へ向かう。領主継承の手続き。後見人候補との接触。貴族社会の観察。
ついでに、この国というものを少し把握しておきたい。
「……ふむ」
悪くない。情報収集としては十分価値がある。
そこへ、支度を整えたアウローラが部屋へ入ってきた。
黒を基調とした簡素な旅装。以前の装飾満載なドレス姿より、幾分落ち着いて見える。
「御主人様、出発の準備が整いました」
「そうか」
私は席を立つ。
そして、そのまま数歩歩いたところで気付いた。
「……いや、待て」
アウローラが小首を傾げる。
「どうなさいました?」
「足がないな」
「……はい?」
私は冷静に現状を整理する。
まず、馬車。
これはある。壊れかけだが、一応収納の中に放り込んである。
馬もいる。シシリオール家の厩舎に残っていたものを確保済みだ。
だが。
「馭者がいない」
沈黙。
アウローラが瞬きをした。
私は彼女を見る。
「どうやって王都へ行くつもりだったのだ?」
「え……」
アウローラの表情が固まる。
数秒後。
「……あ」
間の抜けた声が漏れた。
私は思わず額を押さえた。
成る程。
この娘、今まで“行きたい場所へ行く”と言えば、当然のように馬車が用意される人生だったのだろう。準備が整ったのは自分の支度のみだな。
貴族としては普通なのかもしれんが、生活能力という意味では壊滅的だ。
いや、ある意味私より酷い。私は少なくとも、自力で空を飛べる。
「……御主人様」
アウローラが恐る恐る口を開く。
「もしかして、馬車というのは……馭者が居なくては動かないのでしょうか……?」
私は無言で彼女を見つめた。
アウローラの顔がみるみる赤くなる。
「い、いえっ! その、違います! わたくしも馬車は馬が引いている事くらい知っています! ただ、その……」
「馭者の存在を考えていなかった、と」
「……はい」
小さく項垂れる。
私は思わず小さく鼻で笑った。
「ふっ」
「わ、笑わないで下さいませ……」
耳まで赤い。
どうやら本気で恥ずかしいらしい。
私は腕を組みながら思案する。別に馬車である必要はない。最悪、私が抱えて飛べば済む話だ。
だが。
「……王都の門番が卒倒するな」
空から現れる黒翼の美少年と貴族令嬢。
どう考えても面倒事になる。
私はしばし考え、それから静かに口を開いた。
「仕方ない。誰か御者の出来る者を探すか」
すると。
アウローラが何かを思い出したように顔を上げた。
「あっ……でしたら、執事のフェデーレなら出来ると思います」
「執事が馬車を?」
「元々、父の護衛騎士でしたので」
「……万能だな」
人間社会の執事というのは、どこまで仕事をする生き物なのだろう。
少し感心していると、アウローラが小さく胸を張った。
「シシリオール家の使用人は優秀なのです」
「お前以外は、だろうな」
「うっ……」
即座に沈んだ。実に分かりやすい娘だ。
私は小さく笑みを漏らしながら、執務室の扉へ向かった。
「では、その優秀な執事を叩き起こしに行くぞ」
「も、もう起きている時間ですっ!」
「フェデーレ、お前なら馬車を出せるだろう?」
私がそう言い、アウローラが期待を込めた視線を向ける。
だが、老執事――フェデーレは静かに首を横へ振った。
「お嬢様、それは致しかねます」
即答だった。
アウローラが目を丸くする。
「え……?」
フェデーレは背筋を正したまま、淡々と続けた。
「そもそも、王都までは馬車を使っても片道五日。往復だけで十日を要します」
老いた声には一切の迷いがない。
「加えて、領主継承の手続き、貴族への挨拶、後見人問題などを考慮すれば、最低でも半月は掛かるでしょう」
そこまで言って、フェデーレは静かに私達を見渡した。
「その間、シシリオール領をどうなさるおつもりですか」
アウローラが口を閉ざす。
「弟君チェーロ殿は?」
「……っ」
「現在、領地は崩壊寸前です。治安も、人心も、物流も、何一つ安定しておりません」
その通りだった。表面上は静かになった。だが実態は違う。
兵は消え、役人は逃げ、商人は様子見をしている。
今この領地を辛うじて支えているのは、
“シシリオール家を継げる人間がまだ生きている”
“謎の化け物が敵を皆殺しにした”
という噂と恐怖だけだ。土台など何もない。
「私は留守居役として、この場を離れる訳には参りません」
フェデーレはきっぱりと言い切った。
アウローラが悔しそうに俯く。
「……ごめんなさい、そこまで考えていませんでした」
「お嬢様は元々、考える必要のない立場でしたので」
フェデーレは責めない。ただ事実を述べているだけだ。
私は腕を組みながら小さく頷いた。
「それもそうか」
馬車移動というのは、思った以上に時間が掛かるらしい。
人間の移動手段は不便だな。
私は即座に結論を出した。
「アウローラ」
「は、はい」
「飛んで行くぞ」
アウローラが固まる。
「……へ?」
「上空はかなり冷える。持っている外套の中で、一番防寒性の高い物を用意して来るんだ」
「え、あ、はいっ!」
アウローラは慌てて部屋を飛び出していった。
どうやら、まだ“私が空を長距離移動する”という事実に慣れていないらしい。
まあ当然か。
私はその背を見送り、それからゆっくり視線をフェデーレへ戻した。
老執事は静かに立っている。無駄な動きがない。背筋も崩れない。年老いてなお、妙に隙が少なかった。
「……さて」
私は椅子へ腰を下ろした。
「一つ聞きたい」
「何でございましょう」
「お前は、あの日どこで何をしていた?」
フェデーレの瞳が僅かに揺れる。
「何故、お前だけ生きている?」
静寂が落ちた。
暖炉の薪が、小さく爆ぜる。
フェデーレはしばらく沈黙していた。
だがやがて、小さく息を吐く。
「……お疑いになるのも当然ですな」
否定はしない。
私は黙って続きを待った。
老執事――フェデーレはゆっくり目を閉じる。
その顔には、深い疲労が刻まれていた。
そして。
まるで長年押し込めていたものを吐き出すように、静かに語り始めた。
「――あの日、私は奥様の命で、地下へ向かっておりました」
執務室には、暖炉の薪が爆ぜる小さな音だけが響いている。
やがて老執事は静かに目を伏せ、遠い過去を懐かしむような声で語り始めた。
「あの日は、領地の豊穣祭でした」
皺だらけの口元が、僅かに緩む。
「皆、飲めや歌えやの大騒ぎでございました」
その声音には確かな温度があった。
「街の者達も城の者達も、身分など忘れて笑っておりました。とても楽しい宴でした」
たった十日前の出来事だというのに。フェデーレの語り口は、まるで何十年も昔の思い出を振り返るかのようだった。
……人間というのは、喪失によって時間の感覚まで変わるらしい。
私は黙って続きを促す。
「大いに飲み、語り、夜も更けてきましてな」
フェデーレは静かに言葉を紡ぐ。
「お嬢様と弟君は先にお休みになられました」
アウローラと弟はまだ幼い。夜更けまで宴に付き合う年齢ではないのだろう。
「その後、用意していた酒が無くなりまして」
フェデーレは小さく目を細めた。
「奥様が、“息子のジューストの生誕年のワインを開けましょう”と」
その一言に込められた幸福を、私は理解出来た気がした。
大切に保管していた祝い酒。家族が揃っている夜だからこそ開けたかったのだろう。
「この城の酒蔵は地下にございます」
フェデーレの声が、少しずつ重くなる。
「私が地下へ降り、ワインを持って戻ってきた時には――」
そこで言葉が止まった。
老執事の拳が小さく震えている。
「……旦那様と御子息は、既に殺されておりました」
空気が冷える。
フェデーレは目を閉じたまま続けた。
「賊共は既に城内へ侵入しておりました。私は直ちにお嬢様と弟君を逃がすべく、息子を護衛につけて城外へ出しました」
息子。
恐らく、あの時護衛として死んでいた男の一人か。
「ですが、お嬢様は当然、ご家族の事をお尋ねになられました」
フェデーレは苦しげに眉を寄せる。
「……私は、言えませんでした」
老いた声が掠れる。
「旦那様達はまだ戦っておられます、と」
その一言を吐き出すように告げる。
「嘘を、つきました」
私は黙って聞いていた。
フェデーレは小さく息を吐く。
「その後、私も城へ戻ろうとしましたが、既に門は閉ざされておりました」
城下町にも賊が溢れていたらしい。
「賊共は略奪と放火を始めておりましたので、私はそちらの対処へ回りました」
なるほど。筋は通っている。
だが。人間は嘘を吐く生き物だ。特に、自責と保身が絡むと簡単に記憶を歪める。
私は椅子にもたれたまま静かに言った。
「真偽を確かめる。血を寄越せ」
普通の人間なら怯えるだろう。ヴァンパイアに血を差し出すなど、自殺行為に等しい。
だがフェデーレは躊躇わなかった。
「承知しました」
老執事は懐から小さなナイフを取り出す。
そして一切迷いなく、自らの指先を浅く切り裂いた。
赤い血が静かに滲む。
フェデーレはその指を、私へ差し出した。
私は差し出されたフェデーレの血を、掌で受けた。
赤黒い液体が掌の上で静かに揺れる。私はそれを摂取した。
瞬間。濁流のような情報が脳内へ流れ込む。
血は生き物だ。
肉体の奥深くに染み込み、積み重ねられてきた時間そのもの。
記憶。感情。後悔。覚悟。それらを内包している。
視えた。
若き日のフェデーレ。
剣を振るう騎士としての姿。
シシリオール家へ忠誠を誓った日。先代領主に拾われた事への恩義。
妻を娶った日、小さなマテルニタ。娘が嫁いだ日。孫を抱いた幸福感。
幼いアウローラを抱き上げて笑う姿。ジューストへ木剣を教える姿。
そして。
燃え盛る街の中を駆け回り、人を助け続ける老人の姿。
背中へ崩れた梁が落ち、皮膚が焼け爛れても。
悲鳴を聞けば走り。
子供を抱えて火を飛び越え。
何度も吐血しながら、それでも立ち続けていた。
……愚直だ。馬鹿げている。
だが。
嫌いではない。
私はゆっくりと目を開けた。
フェデーレは静かに頭を垂れている。
血を読まれる事への恐怖よりも、疑いを晴らせる安堵の方が勝っているらしい。
私は椅子から立ち上がった。
「フェデーレ」
「は」
「私とアウローラが王都から戻ってくるまでに、その背中の火傷を治しておけ」
フェデーレが僅かに目を見開く。
私は淡々と続けた。
「お前には、残されたシシリオール家の者達の為に、まだまだ働いて貰わねばならん」
素っ気なく言い捨て、私はそのまま執務室を後にした。
背後で、フェデーレが深々と頭を下げる気配がしたが、私は振り返らなかった。
廊下へ出る。
すると丁度その時、向こう側からアウローラが慌ただしく駆けてくるのが見えた。
もこもことした分厚い外套に身体を包み、両手にはさらに毛布まで抱えている。
どうやら本気で“上空は極寒”だと思ったらしい。
「御主人様! お待たせしました!」
走ってきた勢いのまま、彼女の髪がふわりと揺れる。
私はその格好を見て、思わず目を細めた。
「……お前は雪山にでも行くつもりか?」
「だ、だって寒いと仰ったではありませんか!」
アウローラは頬を赤くしながら抗議した。
その姿は、滅びかけた領地を背負う貴族令嬢というより、遠足前の子供のようだった。
出発前に、一悶着あった。
「では行くぞ」
私は当然のように、アウローラの脇へ腕を差し入れ、そのまま荷物のように抱え上げようとした。
すると。
「まっ、待って下さいませっ!?」
アウローラが悲鳴を上げた。
「どうした」
「ど、どうしたではございませんっ! そ、その持ち方は、お腹がちぎれてしまいそうですぅ……!」
涙目である。
私は首を傾げた。脇に抱えるのが最も安定すると思ったのだが。
「……人間は脆いな」
「御主人様基準で考えないで下さいませ……!」
仕方ない。私は抱え方を変え、今度はアウローラを肩へ担ぎ上げた。
米袋のような格好だ。
「ひゃあっ!?」
アウローラが変な声を出した。
私はそのまま数歩歩いてみる。
「これなら問題――」
「ありますっ!」
即座に却下された。
「後ろ向きです! 景色が逆です! 気持ち悪くなりそうですぅ……!」
青ざめている。
面倒な生き物だ。私は小さく溜息を吐いた。
「ではどうしろと」
「せ、せめて普通に……」
「普通?」
「お、おぶるとか……」
……なるほど。
私はしばし考えた後、背を向けてしゃがみ込んだ。
「乗れ」
「……はい」
アウローラはおずおずと私の背中へしがみついてくる。
柔らかな感触と体温。人間は妙に温かい。
私はそのまま立ち上がった。
だが。
「……む」
問題があった。
私の現在の肉体は十歳程度。
一方、アウローラは年頃の少女だ。
つまり。
普通に背負うと、私よりアウローラの方が頭一つ分大きい。
非常に不格好だった。
私は無言で考える。
アウローラも無言だった。
互いに“何かがおかしい”とは理解している。
結局、私は城のから紐を持って来させ、それを簡易的なおんぶ紐代わりに使用した。
ぐるぐると固定する。
これで飛行中に落下する心配はない。
だが。
「……まるで親に背負われる子供だな」
しかも背負っている側の方が小さい。実に奇妙な光景だった。
アウローラも流石に気まずかったのか、小さな声で呟く。
「……申し訳ございません」
「別に良い」
私は窓辺へ向かった。
背中では、アウローラが恐る恐る私の肩へ腕を回している。
その鼓動は妙に早かった。
「舌を噛むなよ」
「は、はい――きゃっ!?」
次の瞬間。
私は漆黒の翼を広げ、一気に空へ飛び立った。
しかし。
飛び立って数秒後、私はすぐに城の中庭へ降下した。
「きゃっ!? な、何かございましたか!?」
アウローラが慌てた声を上げる。
私は無言で翼を軽く動かした。
……駄目だ。
「翼が動かし難い」
「へ?」
「お前を背負うと、肩甲骨の動きが阻害される」
翼というのは、背中から生えていれば良い訳ではない。
飛行には繊細な筋肉制御が必要だ。
だが現在、アウローラがおんぶ紐で私へ固定されているせいで、翼の可動域が著しく制限されていた。
無理に飛べば、空中で失速しかねない。
私は即座に結論を出した。
「おんぶは却下だな」
「そ、そんなぁ……」
アウローラがしょんぼりする。
だが安全性の問題だ。仕方あるまい。
私は縄を解きながら考える。脇抱えは不評。肩担ぎも不評。おんぶは飛行不可。
となれば――。
「……こうか」
アウローラの腰を抱き寄せそのまま、まるで重さを感じさせない手際で、一息にその体を宙へと引き揚げた。
「ひゃうっ!?」
アウローラが驚きの声を上げる間もなく、その体はしっかりと抱え上げられていた。
所謂、片手抱っこ。
私の片腕はアウローラの体を力強く支え、安定させている。
驚いたアウローラは、反射的に私の肩を掴み、しがみついた。
アウローラの顔が一瞬で真っ赤になる。
私は片腕で軽々と彼女を支えたまま、小さく頷いた。
「これなら翼の動きに干渉しない」
「そ、そういう問題なのでしょうかこれは……!?」
「他に何かあるのか?」
「うぅ……」
アウローラが顔を隠すように外套へ埋まる。
どうやら羞恥が限界らしい。
人間の感性は実に面倒だ。
私はそんな事を考えながら、再び翼を広げた。
中庭では、見送りに出ていた使用人達が何とも言えない顔をしている。
フェデーレなど、咳払いで必死に笑いを誤魔化していた。
「……何だその顔は」
「いえ」
老執事は真顔へ戻る。
「何とも締まらぬ出立だと思いまして」
「奇遇だな。私もそう思っていた」
私がそう返すと、フェデーレの口元が僅かに緩んだ。
アウローラは腕の中で「もう嫌です……」と小さく呻いている。
実に締まらない。
領地再建を背負う主従の初出立としては、あまりにも威厳が無かった。
だが。
私はそんな事など気にせず、翼を大きく羽ばたかせる。
次の瞬間。
私達の身体は、一気に朝焼けの空へ舞い上がった。




