第6話 ガルファーレンの末路
「貴様ぁっ!! どこの手の者だ!? 私にこんな事をして、タダで済むと思っておるのかぁ!!」
床に転がった肥え太った男――ガルファーレンは、脂汗を撒き散らしながら怒鳴り散らした。
醜い。耳障りだ。
私は僅かに眉を顰める。
どうして人間というものは、自分より上位の存在を前にしてなお喚き散らせるのだろう。理解に苦しむ。
「……うるさい」
私は静かに告げた。
「醜悪な豚が喚くな」
「なっ――」
「人の脳というのは面白いものでな」
私は床に転がる男を見下ろしながら、淡々と続ける。
「少し血の塊を作ってやるだけで、言葉も出なくなるし、身体も麻痺する」
次の瞬間。
ガルファーレンの脳内で、私は小さな血栓を形成した。
「ごっ――!?」
豚のような悲鳴が途中で途切れる。
男の目が大きく見開かれ、その身体がびくびくと痙攣した。
声が出ない。手足も満足に動かせない。だが意識だけは鮮明に残してある。
恐怖も。痛みも。絶望も。全て理解できるように。
「安心しろ」
私はしゃがみ込み、男の顔を覗き込む。
恐怖に染まった瞳。実に見苦しい。
「簡単には死なせない」
私は柔らかく微笑んだ。
「お前はこれから、身体の端からゆっくり壊死していく」
男の瞳が揺れる。
「指が腐り、足が腐り、内臓が腐る」
私はまるで子供に絵本を読み聞かせるように、優しく語りかける。
「中から腐っていく痛みは凄まじいぞ」
クスクス、と自然に笑みが漏れた。
「何年もかけて、“死んだ方がマシ”な激痛に苛まれ続けるんだ」
ガルファーレンの喉から、ひゅうひゅうと掠れた音が漏れる。
泣いているのか。叫びたいのか。どちらでも良かった。
「激痛の中、死ねないというのはどんな気分だろうな」
私は愉快そうに首を傾げた。
その時。ベッドの上から、小さく鎖の音が鳴った。
私は視線を向ける。
痩せ細った少年が、怯えきった目でこちらを見ていた。
私はゆっくり歩み寄る。少年の身体がびくりと震えた。
当然だ。今の私は、彼にとって救い主などではない。化け物そのものだろう。
私は鎖を掴む。そして軽く握り潰した。鉄が飴細工のように砕け散る。
「ぁ……」
少年が呆然と目を見開く。
私はそのまま彼の顎を軽く持ち上げ、真紅の瞳で真っ直ぐ覗き込んだ。
【暗示】
精神へ直接染み込ませる、ヴァンパイアの力。
「よく聞け」
鈴を転がすような私の声が、静かに室内へ響く。
「直ぐに殺してはならぬ」
少年の瞳から徐々に恐怖が薄れていく。
代わりに、虚ろな従順さが宿り始めた。
「ガルファーレンが腐ってきたら、焼き鏝で焼いてやると良い」
私は床で痙攣する豚を見下ろした。
「一旦、腐敗は止まるからな」
少年は瞬きもせず、私の言葉を聞いている。
「お前は、お可哀想な領主様を」
私は柔らかく微笑む。
「一日でも長く、苦しめながら生かしてあげると良い」
それは命令だった。
呪いだった。
そして救済でもある。
少年は静かに頷いた。
もう恐怖はない。
あるのは、絶対的な服従だけだ。
「……良い子だ」
私は少年の頭を軽く撫でる。
それから踵を返し、バルコニーへ向かった。
背後では、喉を鳴らしながら脂汗を流すガルファーレンの苦悶の音が続いている。
実に耳障りだ。だが、この城の者達はすぐ慣れるだろう。
これから先、何年も聞き続けるのだから。
私は夜空へ視線を向ける。月は変わらず白く、美しかった。
「さて」
漆黒の翼を広げる。
「帰るか」
次の瞬間。私は音もなく夜の闇へ溶け込むように飛び立った。
背後に残されたのは。腐り始める豚と。その世話係となった、一人の少年だけだった。
夜空を裂きながら飛翔し、シシリオールの城へ戻った頃には、空気はすっかり冷え込んでいた。
人間なら震えるような寒さなのだろう。だが、ヴァンパイアである私には心地良い程度でしかない。
静かにバルコニーへ降り立ち、そのまま執務室へ足を踏み入れる。
すると。
室内にはまだ灯りが残っていた。
「……ん?」
こんな時間まで起きている者がいるとは思わなかった。
扉を開けると、暖炉の火が小さく揺れている。
そして、その傍らにはアウローラが座っていた。
私の姿を見た瞬間、彼女の肩がびくりと震える。
「……御主人様」
「まだ起きていたのか」
私は呆れ半分で言った。
「明日は王都へ出立するのだろう。早く寝ろ」
アウローラは何か言いたげに唇を開きかける。だが結局、言葉にはしなかった。
「……はい」
小さな返事。その声音には、どこか沈んだ色が混じっていた。
私は数歩近付き、彼女を見下ろす。
黒い喪服。疲労の滲む顔。それでも私を待っていたらしい。
「私が帰ってこないかと思ったか?」
そう問い掛けると、アウローラは弾かれたように顔を上げた。
薄紫の瞳が大きく揺れる。それから、気まずそうに再び俯いた。
「……申し訳ございません」
「別に責めてはおらん」
私は淡々と答える。
アウローラは膝の上で指をきゅっと握り締め、小さく呟いた。
「御主人様がいらっしゃらない屋敷に居るのが、不安で……」
言葉が途中で細くなる。
「眠れませんでした」
私は僅かに目を細めた。
なるほど。私の不在に不安を覚えるか。ヴァンパイアに依存してどうするんだ、この娘は。
普通なら逆だろう。恐怖し、遠ざかろうとする側だ。
人間というものは極限状態を経験すると、時として“恐怖の対象”へすら縋るようになるとでもいうのか。
アウローラは、家族の大半を失い、領民を失い、日常を失い、生存基盤そのものを失いかけている。
僅かに残されたものをすくい上げたのは私だ。
……まあ、依存するのも無理はないか。
「仕方のない奴だな」
私は小さく息を吐いた。
「黙って居なくなったりはせぬ」
アウローラの肩が僅かに揺れる。
「もう寝なさい」
そう告げると、彼女はゆっくりとこちらを見上げた。
そして。ふわりと。まるで幼な子のように、無防備にはにかんだ笑みを浮かべた。
「……はい」
その笑みを見て、私はほんの僅かに思う。この娘は、壊れかけているくせに妙に健気だな、と。
暖炉の火が静かに揺れる中、私は窓の外へ視線を向けた。
明日からは王都。また面倒事が増えそうだった。




