第16話 プロスペリタ商会
倉庫の入口に掲げられていた看板には、
――プロスペリタ商会。
と記されていた。
新しい看板だ。だが文字は丁寧で、安物の商会にありがちな雑さがない。
少なくとも見栄えに気を遣う程度には余裕か矜持があるらしい。
私はそのまま中へ入った。忙しなく人が動き回る倉庫。
帳簿を抱えた者。荷を数える者。船荷の確認をしている者。
どうにも全体が慌ただしい。在庫過多で現場が回っていないのだろう。
「買い付けだ。物を見せてもらおう」
私がそう言うと、入口近くで指示を飛ばしていた若い男が振り返った。
年は二十代半ばほどか。日に焼けた顔に愛想の良い笑みを浮かべている。
だがその目の下には薄く隈があった。
「坊ちゃん。悪いが、うちは小売はしてないんだ。市場に行けば小売もしているよ」
申し訳なさそうに言う。
……ふむ。
少なくとも最初から馬鹿にして追い返しはしないか。
「どのくらいの量からの取引だ?」
「そうだねぇ……最低でも麦なら一袋、十キロからだね」
「麦十キロでいくらだ?」
男は少し考えてから答えた。
「小銀貨1枚と銅貨5枚。百キロ買ってくれるなら、一袋小銀貨1枚かな」
私は内心で片眉を上げた。
安い、今年の相場を考えてもかなり良心的だ。余程在庫を抱えて困っているのだろう。
となれば重要なのは品質だ。
「物を見せてくれ。良ければ二十袋買う」
「本当か!?」
男の顔が一気に明るくなった。やはり相当に困っていたらしい。
「今案内させる。フルボ! お客様だ! 麦の案内を頼む!」
そう叫ぶと、倉庫の奥から一人の男が現れた。
細身。吊り気味の目。神経質そうな顔。帳簿を抱えてる男だ。
私を見るなり露骨に眉を寄せた。
「……子供?」
「お子様だろうと買ってくださるならお客様だ」
若い男が諭すように言う。
「しかしですねリッコさん――」
「いいから案内!」
「はぁ……」
丸聞こえだぞ。私は呆れ半分で二人を眺めた。
どうやら若い方が商会頭。神経質そうなのが番頭らしい。
新参商会にしては妙に人間臭い組み合わせだな。
フルボはまだ疑わしげな目を向けながらも、渋々こちらへ手を向けた。
「……こちらです」
案内された先には、大量の麻袋が整然と積み上げられていた。
私は一つ開かせ、中へ手を差し入れる。粒は揃っている。乾燥状態も悪くない。虫食いも少ない。
ドゥーガル商会のゴミとは比べ物にならぬ品質だった。
私は静かに笑った。
「この品質なら追加であと30袋。合計50袋貰おう」
私は麦粒を指先で擦り合わせた。乾燥具合は良好。
保存状態も悪くない。
少なくとも冬越し用の備蓄としては十分合格だ。
それに、余計な混ぜ物をしている気配もない。
商人によっては砂や空籾を混ぜて嵩増しする者もいるが、この麦はきちんと選別されていた。
一瞬、倉庫が静まり返った。
「……ご、五十?」
フルボが目を見開く。
入口にいた若い商会頭――リッコなど、完全に固まっていた。
まぁ無理もない。
見た目だけなら十にも満たぬ子供が、平然と大量買い付けを口にしているのだ。
だが私は構わず続けた。
「問題あるか?」
「い、いや! 問題なんて無い! 大歓迎だ!」
リッコは慌てて両手を振った。顔に浮かんだのは隠し切れない安堵だ。
在庫が動いた。しかもかなりの量。
今の彼らにとっては救いに近いのだろう。
麦一袋は十キロ。価格は小銀貨一枚相当。五十袋で小銀貨五十枚。金貨に直せば二枚半程度か。
安いものだ。
それに―【収納】へ入れておけば腐敗も劣化もしない。
この能力と備蓄は極めて相性が良い。冬前に買い込めるだけ買っておいて損はない。
「支払いは現金で構わないか?」
私がそう言うと、フルボの目が僅かに変わった。
疑念から警戒へ。そして警戒から計算へ。
「……先払いなら」
「構わん」
私は収納から革袋を取り出し、中身を机へ並べた。
金貨1枚、大銀貨2枚、小銀貨1枚。小銀貨だけなら50枚だがそんなに小銀貨ばかり持っているわけがないので金貨も混ぜた。
「これでいいだろう?」
途端、二人の空気が変わった。特にフルボだ。さっきまでの“子供を見る目”が消えた。
小銀貨を瞬時に計算して両替した金額で出してくる子供を目の前にして、ようやく対等な取引相手と認識したか。
実に分かりやすい。
「……失礼しました、お客様」
フルボが僅かに頭を下げた。
「先程の非礼をお詫びします」
「別に気にしていない」
私は素っ気なく答えた。実際、どうでも良い。重要なのは商売が成立するかだ。
リッコは隠し切れない笑みを浮かべながら叫んだ。
「おい! 五十袋準備だ! 急げ!」
倉庫が一気に慌ただしくなる。人足達が動き出し、麻袋を運び始めた。
その様子を眺めながら、私は小さく息を吐いた。
……さて。
ようやくまともな商人に当たったな。
「麦を運ぶ馬車が来ているのなら積むが、どこだい?」
リッコが辺りを見回しながら聞いてきた。確かに五十袋ともなれば、普通は荷馬車が必要だ。人力でどうこう出来る量ではない。
「必要無い」
私は淡々と答えた。
「ここに並べてくれれば、私が持って帰る」
「「……は?」」
リッコとフルボの声が綺麗に重なった。実に間の抜けた顔だ。
私は気にせず、倉庫中央の空いた場所を指差した。
「そこへ」
「い、いやいや坊ちゃん、五十袋だぞ!? 幾ら何でも――」
「いいから並べろ」
私がそう言うと、二人は顔を見合わせた。
そして最終的には、
「……まぁ、お客様のご要望なら」
と、半ば困惑したまま人足達へ指示を飛ばし始めた。
麦袋が次々と運ばれてくる。
どさり。
どさり。
十キロ袋が積み上がり、小山のようになっていく。やがて五十袋全てが並べられた。普通なら荷車数台分の量だ。
「これで良いかい?」
「あぁ」
私は前へ出た。そして床へ片手を向ける。黒い魔力が指先から滲み出た。
「――【収納】」
低く呟く。
次の瞬間。積み上がった麦袋の下に、黒い紋様が広がった。
円形の魔術陣。影のように揺らめく闇。
「うわっ!?」
リッコが思わず声を上げ飛び退いた。
麦袋が沈み始めたのだ。ズブズブと。まるで底なし沼へ落ちるように。重さなど存在しないかのように。
一袋。
二袋。
十袋。
五十袋全てが虚空へ飲み込まれていく。
最後には何事も無かったかのように床だけが残った。
静寂。
倉庫中の人間が固まっている。人足など口を開けたままだ。
私は何事も無かったかのように振り返った。
「これで良いな」
リッコとフルボは、目を丸くしたままこちらを見ていた。
「……」
「……」
数秒沈黙した後。
フルボが震える声で呟く。
「……空間魔術?」
「いや待て、こんな規模聞いた事ないぞ……」
リッコも顔を引き攣らせている。
私は肩を竦めた。
「便利な術だろう?」
実際便利だ。大量輸送。長期保存。隠匿。備蓄。領地経営と異常なまでに噛み合っている。
リッコはしばらく呆然としていたが、やがて乾いた笑いを漏らした。
「……ははっ」
そして額を押さえる。
「麦の他にも、お使いを頼まれているのだが――ここで揃うか?」
私は収納を閉じながら、マテルニタから渡された食料リストを取り出した。
乾物。塩。燻製肉。豆類。油。保存用香辛料。
冬越しを前提にした実に堅実な内容だ。
私はそれをリッコへ渡した。リッコは受け取ると目を走らせる。
「……あぁ、大丈夫だ。全部とはいかないが、かなり揃う」
途中から商人の顔になっていた。在庫。利益。輸送。
頭の中で計算しているのだろう。
「集めて来るから、二階の事務所へどうぞ。茶ぐらいは出しますよ」
先程までの困窮した若造の顔ではない。完全に“上客への対応”だった。
「では世話になろう」
私は素直に頷いた。
フルボがまだ若干警戒した目をしていたが、もう子供扱いはしていない。
むしろ“厄介だが逃してはならない客”を見る目だ。
私は二人の後を追って階段を上がった。
倉庫二階は事務所になっていた。
帳簿棚。地図。積み上がった書類。机の上には開きっぱなしの台帳。
寝泊まりしているのか、隅には毛布まで置いてある。
……随分切羽詰まっているな。
「散らかっていてすみません」
リッコが慌てて机の書類をどける。
「気にしていない」
私は適当な椅子へ腰掛けた。
直後。
ギシリ、と椅子が軋む。
安物だな。
私の体重程度で壊れるなら、そのうち誰か尻餅をつくぞ。
フルボが湯を沸かし始め、リッコは再びリストへ目を落とした。
「……冬越し用、ですか?」
「そんな所だ」
「かなりの量ですよ」
「必要だからな」
私は窓の外へ目を向けた。川ではまだ荷船が揺れている。
冬は近い。今を逃せば、食料は更に値上がるだろう。
そうなれば領民が飢える。それは困る。
せっかく拾った“餌場”が痩せ細るのは面白くないからな。
「塩と乾燥豆は在庫があります。燻製肉は……少し集めれば何とか」
フルボが帳簿を捲りながら呟いた。仕事は出来るらしい。
神経質なだけで無能ではなさそうだ。
その時、リッコがふと顔を上げた。
「……お客様」
「なんだ」
「失礼を承知で聞きますが……どちらの方で?」
探るような目。当然だろう。大口現金払い。異常な収納魔術。
しかも子供。怪しまぬ方がおかしい。私は茶を受け取りながら、口元を薄く歪めた。
「シシリオールだよ」
私は隠す事なく答えた。
そして懐から委任状を取り出し、机へ放る。
「ほら。委任状も持っている」
リッコが慌てて受け取り、目を通す。
横からフルボも覗き込んだ。
二人の顔色が変わる。
「……本物、ですね」
「あぁ」
領主印も署名も正式なものだ。
偽造ではない。
しばし事務所が静まり返った。
やがてリッコが慎重に口を開く。
「噂では……」
「なんだ?」
「シシリオールは賊に襲撃されて、この冬を越すのもままならないだろうって……」
言葉を選んでいる辺り、先程のドゥーガル商会より遥かにまともだ。
私は茶を一口飲んだ。
薄いな。
だが出された物に文句を言う程でもない。
「噂だな」
私は素っ気なく答えた。
「確かに襲撃はあった。被害も出た」
二人が息を呑む。
「だが、だからどうした?」
私は椅子へ深く腰掛けた。
「領地は残っている。畑もある。人も生きている。なら立て直せる」
事実だ。むしろ問題はそこではない。
初動を誤れば領民が逃げ、冬を越せず死に、領そのものが痩せる。
だから今こうして動いている。
「機会が有れば、真偽のほどを確認したければ、シシリオールに来ればいい」
私がそう言うと、リッコとフルボは顔を見合わせた。
商人の顔だ。この話にどれだけ利益があるか測っている。
「……行商を受け入れて貰えると?」
フルボが慎重に聞く。
「まともな商売をするならな」
私は即答した。
「少なくとも、空籾を混ぜたゴミを法外な値段で売る連中よりは歓迎する」
「……ドゥーガルですか」
「察しが良いな」
フルボの口元が僅かに歪む。どうやら同業として思う所があるらしい。
リッコは腕を組み、しばらく考え込んでいた。
そしてぽつりと呟く。
「……実は、うちは新参でね」
「見れば分かる」
「今年大きく賭けに出たんだ。麦を大量に押さえれば冬前に儲かると思って」
「だが豊作だった」
「そういう事」
リッコは苦笑した。
「正直かなり危なかった。今日の取引は本当に助かる」
ふむ。やはり切羽詰まっていたか。だが悪くない。
追い込まれた時の商人の動きは、その者の本質が出る。
少なくともこの商会は、足元を見るより信用を選んだ。
なら今後使える可能性はある。
私は湯呑みを置いた。
「なら生き残れ」
「……え?」
「商人は潰れたら終わりだ。だが生き残れば次がある」
私は窓の外の河川港を眺めた。
「冬を越えれば、物の流れはまた変わる」
リッコはしばらく黙っていたが、やがて静かに笑った。
「……変な坊ちゃんだなぁ、あんた」




