第15話 河川港交易都市ベルムハーフ
河を跨ぐ巨大な石橋が見えた頃には、日は既に高く昇っていた。
橋の向こうには灰白色の城壁。
その内側には無数の倉庫、林立する帆柱が見える。
河川港交易都市――ベルムハーフ。
この地方最大級の物流拠点だ。私は上空から街を見下ろし、小さく鼻を鳴らした。
「……人が多いな」
河には大型船が幾つも停泊している。穀物船。塩を積んだ平底船。木材船。干物を運ぶ冷却箱付きの船まで見えた。ーー
なるほど。この周辺一帯の物資が集まる場所という訳か。
私は街道から離れた森へ降り立った。
流石に翼を広げたまま門を潜るのは面倒だ。
外套を整え、人の姿へ馴染む。私は一人街門へ向かった。
門前は喧騒に満ちていた。
「急げ急げ! 午前の荷下ろしに間に合わねぇぞ!」
「塩樽はそっちじゃねぇ!」
「おい誰だ魚箱ひっくり返した馬鹿は!」
怒号。家畜の鳴き声。車輪の軋み。人間というのは集まると実に騒がしい。
門番は私を見ると少し怪訝そうに眉を顰めた。
まぁそうだろう。外見だけなら十にも満たぬ子供だ。
「坊主、一人か?」
「そうだ」
「保護者は?」
「必要か?」
門番は苦笑した。
「最近は物騒でな。まぁ金さえ払うなら止めはしねぇよ」
通行税を払い街へ入る。その瞬間、空気が変わった。
魚。香辛料。酒。汗。鉄。獣脂。
様々な臭いが入り混じっている。人も荷も金も絶え間なく流れていた。
私は周囲の会話へ耳を向けた。
『……シシリオールが襲撃されたらしい』
『いや、まだ正式発表は出てねぇ』
『ガルファーレンに死体が降った噂だ』
『魔物の仕業なら深入りしねぇ方が良いな』
なるほど。噂は既に出回っている。だが確証が無いようだ。
だから商人共はまだ様子見なのだ。
……まぁ、連中らしい。
死体に群がる鴉のようなものだからな。
私はフェデーレから受け取った食料一覧を思い返した。
小麦、蕎麦。豆。塩。燻製肉。干し魚。油。保存酒。家畜飼料。
かなりの量だ。小口では面倒臭い。大商会を当たるべきだろう。
私は近くを走っていた荷運び人夫を呼び止めた。
「この街で穀物を大量に扱う商会はどこだ」
「ん? 大量ならドゥーガル商会だな。港沿いの赤煉瓦倉庫だ」
「案内しろ」
銀貨を一枚投げる。男の目の色が変わった。
「へ、へい!」
現金な奴だ。まぁ人間など大体こんなものか。男に案内されながら街を進む。
途中、私はふと違和感を覚えた。妙にこちらを見てくる者が多い。
理由は分かる。この外見で一人歩き。しかも躊躇なく銀貨を切る。
浮いているのだ。
私は小さく溜息を吐いた。こういう時、フェデーレ辺りを連れてくれば誤魔化しが利いたのだろうが。
やがて港沿いへ出た。巨大な赤煉瓦倉庫。壁には『ドゥーガル商会』の看板。人足達が忙しなく荷を運び込んでいる。
私は倉庫を見上げ、口角を吊り上げた。
「さて……ここの商人はどう出るかな」
ドゥーガル商会の倉庫は、外から見た以上に広かった。
高い天井。
積み上げられた木箱。
麻袋の山。
河から運び込まれた荷が次々と仕分けされ、人夫達が怒鳴り合いながら走り回っている。
湿った穀物と埃の臭いが鼻についた。
私は構わず中へ足を踏み入れる。
すると入口脇の机に座っていた男が、露骨に眉を顰めた。
「おい小僧。勝手に入るんじゃねぇ」
無精髭を生やした中年男だった。
帳簿を片手に、鬱陶しそうにこちらを見る。
「買い付けだ。物を見せてもらおう」
「はぁ?」
男は呆れたように鼻で笑った。
「ガキが何言ってやがる」
私は懐から書類を取り出した。
「金ならあるし、シシリオールの委任状も有るぞ」
男は半信半疑でそれを受け取る。
だが紋章を見た途端、目付きが変わった。
にやり、と嫌な笑みを浮かべた。
「……へぇ。シシリオールねぇ」
その笑いだけで大体察した。
噂はかなり広まっているらしい。
そして商人共は、弱った獲物へどう噛み付くかを考えている。
「何がいるんだ」
「麦と塩だな」
「着いてこい」
男は立ち上がると倉庫の奥へ歩き出した。
私は黙って後を追う。
途中、人夫達の視線がこちらへ向いた。
『シシリオールだってよ』
『襲撃されたんじゃねぇのか』
『まだ金あんのか?』
好き勝手囁いている。
まぁ良い。
男は倉庫の一角で立ち止まった。そこには麦袋が山積みにされている。
麻袋の口を開け、中身を見せてきた。
「これだ。上等品だぞ」
私は無言で袋へ手を入れた。
麦を掴む。
……軽い。
指先で転がす。実が詰まっていない。空籾だ。しかも湿気ている。保管状態も悪い。
「麦10kgで金貨五枚だ」
男は平然と言った。私はしばし沈黙した後、溜息を吐いた。
「話にならんな」
「……あ?」
「値段も法外なら品質も最低だ」
私は掴んだ麦を男の机代わりの樽へ撒いた。
ぱらぱらと軽い音がする。
「袋の半分が空籾ではないか。しかも湿気っている。倉庫管理も雑だな」
男の顔から笑みが消えた。
「ガキが分かったような口利くんじゃねぇ」
「分からぬのはお前の方だ」
私は足元の袋を軽く蹴った。
どさり、と不自然に軽い音が返る。
「乾燥不足。選別不足。更に古麦も混ぜているな」
周囲の人夫達がざわついた。図星なのだろう。男は舌打ちした。
「……シシリオールは現金払いしか受けられねぇんだ。だったらこっちにもリスクがある」
「だから腐りかけの麦を掴ませると?」
「嫌なら他所へ行きな」
男は肩を竦めた。
「どこ行っても今は似たようなもんだぜ? 噂じゃシシリオールはもう終わりだ。貸し倒れになるくらいなら先に回収するのは当然だろ」
なるほど。これが商人の理屈か。合理的ではある。
……短期的にはな。
私は倉庫を見回した。積まれた荷、働く人足。流れる物資。
そして目の前の男。
「随分と目先しか見えておらんな」
「何?」
案内していた男が眉を吊り上げる。
「確証のない噂に踊らされ、商機を失う愚か者だと言う事さ」
男の目が細くなる。
「『今代の』領主は健在だ。冬の備蓄の一部が焼かれただけ。シシリオールにはそれを補うだけの財もあるし、弱ってもおらぬ」
勿論、半分は嘘だ。だが商人にとって大切なのは“事実”より“見え方”だ。
領地が終わったと思われれば足元を見られる。
ならば堂々としていれば良い。不安を見せた時点で負けなのだから。
男はしばし黙り込み、それから値踏みするように私を見た。
「……金貨三枚だ」
値引きしたつもりなのだろう、話にならない。
「馬鹿な事を」
私は肩を竦めた。
「それがたとえ銅貨一枚だとしても、お前達から買い付けることはしない」
「……は?」
「商人は“信用第一”だからな」
私は男の脇を通り過ぎた。
「邪魔したな」
「お、おい待て!」
背後で声が飛ぶ。だが私は止まらない。倉庫を出ると、川風が外套を揺らした。河川港は相変わらず騒がしい。
船乗りの怒鳴り声。荷運び人夫の掛け声。客引きの声。
その喧騒の中へ溶け込むように歩きながら、私は口元を歪めた。
情報が曖昧な今だからこそ、商人達は様子見をしている。
だからこそ足元を見る。
ならばこちらも相手を選ぶまでだ。焦って買えば舐められる。
飢えていると思われれば、次から更に吹っ掛けられる。
長く領を維持するなら、この手の連中には最初に“線引き”を見せておかねばならない。
「さて……」
私は港を見回した。ドゥーガル商会のような三流は切った。
ならば次だ。この喧騒の中にこそ有益な情報が聞こえて来るというものだ。
ならば次だ。
私は喧騒に満ちた河川港を見下ろした。
荷車が行き交い、船乗り達が怒鳴り合い、人足が汗を流す。
この手の場所では、金と情報は同じ場所に集まる。
むしろ有益な情報ほど、酒場や路地裏ではなく、こうした雑踏の中に紛れているものだ。
私は近くの倉庫の屋根へ軽やかに舞い上がった。
人の目など夜鳥ほどにも気にならぬ。
瓦の上へ腰を下ろし、目を閉じる。
そして耳を澄ませた。
喧騒。
怒号。
笑い声。
その全てが一つの濁流となって流れ込んで来る。
だが、必要なのはその中から価値あるものを選び取る事だ。
「北の麦がまた上がるらしいぞ」
「川向こうのベルク領は今年豊作だってよ」
「いや駄目だ、あそこは最近魔物が増えて街道が危ねぇ」
「海が荒れてるせいで南方船がまだ着かねぇんだ」
「塩がまた高くなるぞ」
ふむ。
麦。
塩。
輸送。
冬前の市場らしい話だ。
私は頭の中で必要な情報を整理していく。
シシリオールが今必要としているのは、安定供給だ。
多少高くても確実に手に入る先を押さえねばならぬ。
その時、別方向から聞こえた声に片眉を上げた。
「やっぱ代替わりした途端だよなぁ、グレッセン商会」
「あぁ、親父の代は凄かったのによ」
「倅が馬鹿でなぁ。帳簿も見れねぇ癖に女遊びばっかだ」
くつくつ、と私は喉で笑った。
どこの世界も同じか。
代替わり一つで潰れる家など珍しくもない。
血筋だけでは組織は維持出来ぬという良い例だ。
更に別の声。
「おい聞いたか? ラングド商会、また役人に金握らせたらしいぞ」
「港の検査飛ばしたって話だろ?」
「だから最近あそこだけ荷の通りが早ぇのか」
賄賂。
癒着。
利権。
実に人間らしい。
だがこういう話は軽視出来ぬ。
商売とは結局、人の繋がりと欲で回っている。
どこが腐っているか知っておけば、後々利用も出来る。
「……なるほどな」
私は夜風を受けながら目を細めた。
この街は思った以上に使える。
そして――
雑踏の中に、一つだけ妙に気になる単語が混ざった。
「ガルファーレン領、もう駄目らしいぞ」
私はその声がどこから聞こえて来るのか耳を澄ませた。
男達は酒樽の横で声を潜めながら話している。
「徴税が倍になったってよ」
「領主が病で寝込んでるとか何とか」
「農村から逃げ出す奴も出てるらしいぜ」
「冬前にありゃ死人が出るな」
私は口元を僅かに吊り上げた。
……ほう?
あの豚。
中々愉快な事になっているではないか。
まぁ、どうでもいいが。
その中で、一つ耳に引っ掛かった話があった。
「新参のクセに買い付け過ぎたんだとよ」
「麦船が捌けず、川に浮かんだままだとか」
「今年はどこもそこそこ豊作だったからなぁ」
「欲張った商会の負けだな」
私は目を細めた。
……なるほど。
つまり読み違えたのだ。
不作を見込んで大量に買い付けたが、蓋を開ければ各領が普通に収穫出来ていた。
結果、相場はそこまで上がらず在庫だけが膨らんだ。
新参商会には中々痛い失敗だろう。
だが――
今の私には都合が良い。
「行くか」
私は屋根から飛び降り、人混みへ紛れ込んだ。
港の奥。
古い石倉庫が並ぶ区画を抜ける。
川霧が濃く、湿った木材の臭いが漂っていた。
やがて目当ての場所が見えてくる。
「……小さいな」
思わず呟いた。
倉庫の規模は先程のドゥーガル商会の三分の一程度。
看板も新しく、木材の色もまだ浅い。
急造したばかりなのだろう。
川辺へ目を向ければ、荷船が二隻繋がれたままだった。
しかも荷下ろしが終わっていない。
船倉には麻袋が山のように積まれている。
あれが全部麦か。
港湾使用料だけでも相当な負担になっている筈だ。
つまり――
この商会は今、早急に在庫を現金へ変えたい。
私は薄く笑った。
「ようやく“話の出来る相手”に当たったかもしれんな」
ドゥーガル商会のような老舗は、まだ余裕がある。
だから足元を見る。
だが追い詰められている商人は違う。
利益より“回転”を優先する。
生き残る為にだ。
私はそのまま倉庫へ向かった。
入口では若い男達が帳簿を抱えて慌ただしく走り回っている。
顔色が悪い。
睡眠不足だろう。
金の流れが止まった商人というのは、皆ああいう顔になる。
……悪くない。
少なくとも、先程の三流よりは誠実に商売をしそうだ。




