第13話 冬に向けて
「畑はどうなっている?」
私が問うと、フェデーレは手元の資料を確認しながら答えた。
「通常通りですと、今の時期は土地を休ませております。来春に備える為、何も植えておりません」
「ならばそこに蕪と蕎麦、馬鈴薯を植えさせろ」
フェデーレが目を瞬かせた。
「……蕪と蕎麦に馬鈴薯、ですか?」
「そうだ」
私は机上の地図へ指を走らせる。
「蕪は育ちが早い。蕎麦は痩せた土地でも育つ。そして馬鈴薯は収穫量が多い」
これはストランボの血から得た知識だ。
「これらは冬へ向かう今からでも、まだ収穫が見込める作物だ。この領は豊穣祭を開く程度には土地が肥えているのであろう?」
「……はい。それは間違いなく」
「ならば、この冬さえ乗り切ればどうとでもなる」
フェデーレは驚いたように私を見た。
「そのような知識をどこで……」
「王都のストランボの血から仕入れた」
鬱陶しい男だが、知識だけは本当に豊富だ。
「急げ。冬は待ってくれん」
フェデーレは暫し考え込むように黙った後、深々と頭を下げた。
「直ぐに手配致します」
老執事は慌ただしく執務室を出て行った。
扉が閉まる。
静かになった室内で、私は窓の外を見た。
壊されかけた領地だが、まだ終わってはいない。
私は椅子へ深く腰掛け、小さく息を吐いた。
「……全く」
人間の領地経営など面倒極まりない。しかし、面倒だからと放置する訳にもいかない。
このまま領地が痩せ細れば、民も死ぬ。 民が死ねば土地も死ぬ。 そして土地が死ねば、私の【糧】もまた失われる。
豊かで、安定し、安心して眠れる土地。人はそういう場所でこそ良い血を育む。
飢えと恐怖に満ちた血など不味いだけだ。
「……何事も初期投資と初動が大事か」
呟きながら机に肘をつく。今はまだ赤字でも構わん。 この領地を立て直せば、後々大きく返って来る。
長命種の強みとは、こういう部分にあるのだろうな。
「あとは城の食料だな。どこか他領で調達してくるか」
城下の備蓄だけではない。城そのものの食料も不足している。
残された人員は少ないとはいえ、何人もの口を養わねばならぬのだ。
私は頭の中で周辺領地の位置関係を整理した。
フェデーレとアウローラの血から、この周辺の情勢はある程度把握している。
加えて、この国全体の版図や主要街道、領地の特徴などはストランボの血から知識を得ていた。
あの男、本当に頭の中が書庫だな。放っておけば延々と喋るだけはある。
「南西の穀倉地帯なら多少高くとも買えるか……いや、冬前だから足元を見られるな」
人間という生き物は、こういう時に実に醜い。だが同時に商機にも敏い。
こちらが困っていると知れば値を吊り上げて来るだろう。
さてどうしたものか。
「……食料が何が必要かは、メイド長に聞かねばならぬな」
保存性。 必要量。 調理法。 冬越しに適した配分。
そういう実務は、実際に厨房を預かる者の方が詳しい。
私は椅子から立ち上がった。執務室ばかりに居ると気が滅入る。
少し城内を歩くとするか。
メイド長マテルニタは、折しも調理場にいた。
煮込みの香り。 薪の爆ぜる音。 忙しなく動く使用人。
この城が辛うじて機能しているのは、この場所のお陰かもしれんな。
マテルニタは私に気付くと直ぐに一礼した。
「お帰りなさいませ」
「メイド長、城の食料を買い付けに出る」
私がそう告げると、彼女の表情が僅かに引き締まる。
「何が如何程必要なのか書き出してくれ。ひと冬越せる量だ」
「かしこまりました」
マテルニタは即座に頷いた。流石に話が早い。
アウローラのように「旅費とは何でしょうか?」などとは言わぬ。
……いや、あれは本当に酷かったな。
マテルニタは棚から帳面を取り出しかけ――ふと動きを止めた。
「あの、貴方様の事は何とお呼びすればよろしいでしょうか?」
そういえば、まともに名乗っていなかったか。
「何とでも。好きに呼べばいい」
私が適当に答えると、マテルニタは少し考え込んだ。
厨房の火が彼女の横顔を照らす。やがて彼女は静かに口を開いた。
「では今後は【御館様】とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
「構わん」
短く答える。
するとマテルニタは安心したように微笑み、一礼した。
「承知いたしました、御館様」
……なるほどな。
人が私を呼ぶ名称で、大体その者が私との関係をどうしたいのか見えてくる。
アウローラは【御主人様】。
あれは依存と敬慕。
フェデーレは特定の呼称を避けつつ、主筋として扱っている。
ストランボは面白半分だ。
そしてマテルニタの【御館様】は――。
領主では無いが、この城の主としてきちんと立てる意思表示か。
成程、よく周囲を見ている女だ。
「それとアウローラだが、かなり無理をさせた」
私がそう言うと、帳面へ書き込みを始めていたマテルニタが顔を上げた。
「今夜辺り熱を出すだろう。見てやるといい」
「お嬢様が……?」
「慣れぬ旅に長時間の飛行だ。身体が悲鳴を上げている」
今は気力で立っているだけだ。張り詰めていたものが緩めば、一気に熱となって出る。
マテルニタは心配そうに眉を寄せた。
「直ぐに湯と氷を用意させます」
「頼む」
彼女は一礼した後、何かを言いかけて止まった。聞くべきか迷っている顔だ。
「何だ」
促すと、マテルニタは少し躊躇いながら口を開いた。
「……御館様は、何故そこまでしてくださるのですか?」
「そこまで?」
「何の縁もゆかりも無いシシリオールの為に、です」
静かな問いだった。責めるでもなく、探るでもなく。 純粋な疑問。
私は少し考え、肩を竦めた。
「不思議か?」
「はい」
マテルニタは真っ直ぐ私を見る。
「私共を【家畜】と仰っている割には、些か手を掛け過ぎのようにも思えます」
「……ふむ」
確かにそう見えるか。私は厨房の壁へ寄り掛かった。
「そうさな」
薪の火がぱちりと鳴る。
「異形が――私のような、人の血を糧とする生き物が、人に紛れて生きていくには少々難儀でな」
私は淡々と続けた。
「隠れ家、食料。表向きの立場。人間社会との繋がり。そういう物が必要になる」
力だけでは長く生きられない。
化け物は、人間社会から完全に外れた瞬間に討伐対象になる。
「それに」
私は少し視線を伏せた。
「私はついこの間、自我を持ったばかりだ。寄る辺というものが無くてな」
記憶も曖昧。 常識も欠落。ただ腹が減り、血を求める本能だけがあった。
そんな私に最初に手を差し出したのがアウローラだった。
「だからアウローラが恩を感じるよう仕向けて、安穏な暮らしを手に入れようとしているだけだ」
割と本音だった。人間らしい情愛で動いている訳ではない。
打算もある。利益もある。だが完全な虚偽でもない。
マテルニタは黙って私の話を聞いていた。やがて彼女は、小さく息を吐いて言った。
「……御館様は、正直なお方なのですね」
「そうか?」
「普通はもっと、綺麗な言葉で誤魔化します」
「面倒だろう」
そう返すと、マテルニタは僅かに笑った。その笑みは、以前より幾分柔らかかった。
「御館様、こちらがひと冬分の食料のリストです。よろしくお願いします」
マテルニタは実に手早かった。
穀物。 塩漬け肉。 干し魚。 豆類。 保存用の根菜。 香辛料に薬草まで、必要量が細かく記されている。
私は紙を受け取り軽く目を通した。
「思ったより現実的な量だな」
「足りないよりは良いかと」
「ふむ」
確かにその通りだ。
冬を甘く見ると死人が出る。
特に今のシシリオール領は余裕がない。
私がリストを収納へ放り込んだ時だった。
「母さん、こっちにチェーロ様来てない?」
カツ、カツ、と硬い音が近付いて来る。
現れたのは松葉杖を操る片脚の従僕――ヴィヴァーチェだった。
私の姿を認めた瞬間、その身体がぴたりと強張る。
無理もない。
私が人外である事を、この城の者達はもう理解している。
マテルニタは息子の緊張を和らげるよう、穏やかに問い返した。
「坊っちゃま、来てませんよ。お姿が見えないのですか?」
「え、あ、うん」
ヴィヴァーチェは少し慌てた様子で頷いた。
「俺……私が花瓶を取りに行ってる間に、お姿が見えなくなって」
「最後に見たのは?」
「庭で花を摘んでた」
するとマテルニタが小さく息を吐いた。
「……じゃあまた墓地かもしれませんね」
「あ」
ヴィヴァーチェが困ったような顔になる。
「探しに行ってきます」
そう言って踵を返そうとしたので、私は口を開いた。
「もう暗くなる」
二人がこちらを見る。
「私も行こう」
子供一人を夜に放置するのは感心せんな。
それに――。
この城の者達はまだ皆、心に深い傷を抱えている。
死者を求めて墓地へ向かうくらい、不思議な事ではなかった。




