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ヴァンパイア領主によるホワイトな領地経営  作者: 小兎


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第11話 ストランボという男

 私は椅子に深く腰掛けたまま、床へ崩れ落ちているストランボを静かに観察していた。


 男は未だ混乱から立ち直れていないらしい。  青ざめた顔で呼吸を整えながら、時折アウローラへ視線を向けては、現実を確認するように目を伏せている。


 ……さて、どうするか。


 私は頬杖をつきながら考える。


 面倒だな、いっそ精神支配してしまうのか。


 【暗示】を深く刻み込み、忠実な人形として扱えば良い。  余計な欲も抱かず、裏切りもせず、こちらに都合の良い後見人として動かせる。


 だが。


それをするには、まず相手の精神構造を把握したい。

血を摂れば分かる。

その人間が何を考え、何を望み、何を恐れているのか。  血は実に雄弁だ。


 私はゆっくりと視線をストランボへ向けた。


「……ストランボ」


「ひっ」


 男の肩が跳ねた。


 私が少し声を掛けただけでこの反応。随分と肝が小さい。


「な、何だい……?」


 警戒と怯えの混じった声だった。


 私は真紅の瞳を細める。


「お前の血を寄越せ」


 一瞬、部屋の空気が止まった。


「……は?」


 間抜けな声。


 アウローラも「えっ」と目を丸くしている。


 私は淡々と続けた。


「安心しろ。殺しはせぬ」


「い、いや、そういう問題じゃ……」


「寄越せ」


私は静かに【暗示】を乗せた。

声の奥に潜む魔性が、言葉を直接脳へ染み込ませていく。

ストランボの瞳から一瞬だけ抵抗の色が消えた。


「……あ」


 ふらり、と。ストランボは夢遊病者のような足取りで机へ近付き、ペーパーナイフを手に取る。

そのまま何の躊躇いもなく、自らの指先を浅く切った。


 赤い雫が滲む。


 ストランボ自身は、何をしているのか理解できていない顔をしていた。


私はその血を指先で受け止め、静かに舌へ乗せた。


次の瞬間、ストランボの血が持つ膨大な情報が脳内へと流れ込んできた。


 本。本。本。そして、また本。


 記憶の大半が紙の匂いに満ちていた。


 王立図書館の書架、埃を被った古文書。解読途中の魔術体系。失われた古代語。 滅んだ王朝。 宗教史。 貴族法。 税制度。 領地継承。


普通の人間ならば途中で脳が焼き切れそうな量の知識が、整理された形で積み重なっている。


だが、そこにあったのは野心ではない。権力欲でも。 金銭欲でも。 名誉欲でもない。


 ただひたすら純粋な――知的好奇心。


『知らない』


 それが耐えられない。


『知りたい』


 その欲求だけで、この男は動いている。


 私は小さく目を細めた。


 ……なるほど。


 この男は、知識に人生を食われている。


 食事も忘れ。  睡眠も削り。  風呂にも入らず。  身なりも気にせず。


ただ“知りたい”という欲だけで生きている。そして、その知識欲は倫理すら容易く踏み越える。


人体実験の記録を読めば興奮し。 禁書を見つければ寝食を忘れ。 危険な魔術にも躊躇なく手を伸ばす。


この好奇心は、この男にとって諸刃の剣だ。知識を得る為ならば、何でもやりかねない。


 私は静かに思考する。


 ……厄介だな。


こういう人種は、ある意味で最も制御しづらい。金で動かぬ。 権力でも釣れぬ。 脅しにも鈍い。


 だが。


 “未知”を前にすると止まれなくなる。


 もし私の正体に本格的に興味を持てば、間違いなく余計な事に首を突っ込むだろう。


 ヴァンパイアとは何か。 何故陽光に耐えるのか。  血の記憶とは。 精神干渉とは。

そんな事を調べ始めたら最後、この男は寝る事すら忘れて暴走する。


コントロールが効かなくなるのは面倒だ。


余計な事に首を突っ込まれるのもごめんである。


私はソファに沈み込みながら、未だぼんやりしているストランボを眺めた。


 さて。


この危険な学者を、どう扱うべきか。


私は頬杖をついたまま、ストランボを眺める。


 男は未だ自分が何をされたのか理解していない顔をしていた。  指先から滲む血を見て、ようやく「あれ?」とでも言いたげに瞬きをしている。


 ……間抜けな男だ。


 だが、侮るのは危険だろう。


 この男は権力欲が薄い。 金にも興味がない。 女色にも乏しい。だからこそ厄介だ。欲望で制御しづらい。


その代わり、知識への飢えだけは異常だった。


 未知を見れば手を伸ばす。 禁忌を見れば開きたがる。 危険よりも先に好奇心が勝つ。


 まるで、火を見れば触れたがる子供だ。


 私は小さく息を吐いた。


 ……ならば。


 鎖を付けるしかない。


 完全な精神支配は簡単だ。 だが、それではこの男の価値が落ちる。

思考力も、発想力も、探究心も鈍るのだ。


知識役として使うなら、それは惜しい。


 ならば必要なのは、“首輪”だ。


 自由は与える。研究もさせる。知識も餌として与える。


 だが、首輪は付ける。


 主人へ牙を向けぬように。 勝手に危険へ飛び込まぬように。


 私は静かに口を開いた。


「ストランボ」


「……っ、な、何だい」


 男がびくりと肩を震わせる。


「お前、ヴァンパイアに興味はあるか?」


 一瞬だった。


 ストランボの瞳の色が変わったのは。


 恐怖でも混乱でもない。純粋な知的興奮。


 先程まで青ざめていた男が、信じられないほど素早く身を乗り出してきた。


「……ある」


 掠れた声。


「古代種の吸血鬼伝承は複数存在する。だが実在例は確認されていない。精神干渉、血液操作、不死性、それに――」


 そこまで一息で喋ってから、ハッとしたように口を閉ざす。


 私は思わず笑いそうになった。


 ……本当に分かりやすい男だ。


 餌をぶら下げれば、自分から首輪へ頭を突っ込んでくる。


 ならば、使える。


 私は真紅の瞳を細めた。


「余計な事を調べぬなら、少しくらいは教えてやっても良い」


 その瞬間。ストランボの喉が、ごくりと鳴った。


 アウローラだけが、不安そうに私達を見比べていた。


 私はしばらく思案した後、静かに口を開いた。


「【誓約】を結ぶなら、今まで通りここで研究三昧の日々を保証しよう」


 ストランボの眉がぴくりと動く。


 私は続けた。


「王立図書館で好きなだけ本を読め。研究も続けて良い。私はそれを妨げるつもりはない」


 男の喉が小さく鳴った。


 餌には十分だったらしい。


 だが、私はそこで声を冷やす。


「無論、条件はある」


 ストランボが警戒したように目を細めた。


「私の事を調べても構わん」


「……え?」


 予想外だったのだろう。 男の目が丸くなる。


 私は淡々と続けた。


「ヴァンパイアについて調べようが、血の術を考察しようが好きにしろ」


 ストランボの呼吸がわずかに早くなる。


 完全に食いついている。


「だが」


 私は机を指先で軽く叩いた。


「知り得た情報を“残す”事は許さない」


 空気が静まる。


「紙にも書くな。本にもするな。他者へ話すのも禁ずる」


 ストランボは黙って聞いていた。


「だが、その代わり」


 私は少しだけ口元を緩めた。


「お前が知り得た事を、私へ質問するのは許してやる」


 その瞬間。


 男の瞳が、飢えた獣のように揺れた。


 ああ、やはりな。


 この男は権力などどうでもいいのだ。


 欲しいのは知識だけ。


 未知を知る事。 理解する事。 解き明かす事。


 それだけ。


 私は静かに言った。


「お前、功名心や出世欲は無いだろう?」


 ストランボは押し黙る。


「あるのは知識への渇望だけだ」


 図星らしい。


 私は背もたれへ身体を預けた。


「どうする?」


 しばしの沈黙。


 部屋には紙の匂いと、遠くのざわめきだけが漂っていた。


 やがてストランボが低く問う。


「……否と言ったら?」


 私は即答した。


「お前は何も覚えていなくなるだけだ」


 真紅の瞳が静かに細まる。


「私に会った事をな」


 長い沈黙の末。ストランボはゆっくりと顔を上げた。

その目には、恐怖と、それ以上の熱が宿っていた。


 知識への渇望。


 未知へ手を伸ばしたいという、人間の限界を踏み越えた飢え。


 男は乾いた唇を震わせながら言った。


「……【誓約】を受ける」


 声は掠れていた。だが、その瞳だけは異様なほど爛々と輝いている。


「だから……研究を、知識を私にくれ」


 私は思わず小さく笑った。


 ……堕ちたな。


 恐怖よりも好奇心を選んだ。この男は本当にどうしようもない。だが、だからこそ使える。


「よかろう」


 私は立ち上がると、ストランボの前へ歩み寄った。


 男は緊張したように息を呑む。


「動くな」


 そう告げ、私は自らの指先を軽く噛み裂いた。


 赤黒い血が滲む。


 その血は滴り落ちることなく、生き物のように空中へ浮かび上がった。


 アウローラが小さく息を呑む。


 ストランボは恐怖よりも先に、完全に見入っていた。


 私は血へ意識を向ける。


 赤い雫が細い蛇のように蠢き、ゆっくりとストランボの胸元へ潜り込んでいく。


「ひっ……!」


 一瞬だけ男の身体が震えた。


 だが血は皮膚を傷付ける事なく体内へ溶け込み、そのまま心臓へと絡み付いた。


 私は静かに告げる。


「私の血はお前の心臓へ取り付いた」


 ストランボの顔が青ざめる。


「【誓約】を違えた場合――」


 私は掌を軽く握った。


「潰す」


 その一言だけで十分だった。


 ストランボはごくりと喉を鳴らし、脂汗を浮かべながら頷く。


「り、理解した……」


 だが、その目には未だ知識への欲が燃えていた。


 ……本当に救い難い。


 私は小さく鼻を鳴らした。


「なら契約成立だ」




その後の話は驚くほど早かった。

先程まで半ば錯乱していた男とは思えぬほど、ストランボは機敏に動き始める。


「後見人申請書類はどこだい!?」 「領主継承の死亡証明は!?」 「証人欄が足りないな……いや、この場合は緊急時特例条項が使えるか」


 机へ雪崩れるように資料を広げ、羽根ペンを走らせ始めた。


 アウローラが呆然と目を瞬かせている。


 つい先程まで衝撃で固まっていた男が、今は嬉々として書類仕事をしているのだから無理もない。


 ストランボは乱れた髪を掻き上げながら、まるで新しい玩具を与えられた子供のような顔で笑った。


「いやぁ、面白くなってきた……!」


 そして。


 後見人を受ける為の書類へ、嬉々として自らの名を書き連ねていった。


「それで、御主人様はいつまで王都に滞在するんだい?」


 書類へ羽根ペンを走らせながら、ストランボがそんな事を聞いてきた。


 その目は完全に輝いていた。


「その間に質問する為の資料を探すからね。古代種の吸血鬼伝承なら禁書庫側にも幾つか――」


「手続きを終えたら直ぐにシシリオールへ帰る」


 私は素気なく答えた。


 すると。


「そんなぁ〜……」


 ストランボが本気で情けない声を上げた。


 私は思わず眉を顰める。


 ……何なのだこの男は。


 年齢だけなら間違いなく成人している筈なのだが、中身は好奇心だけで動く子供にしか見えん。


「お前の道楽に付き合っている暇などあるか」


 私が冷たく言い放つと、ストランボは露骨に肩を落とした。


「えぇ……」


 だが次の瞬間には、もう別の事を考え始めている。


「つまり御主人様が、シシリオールの実質的支配者と成られるのですね」


 私は一瞬沈黙した。


「……待て」


「うん?」


「何故お前まで私を『御主人様』と呼ぶ?」


 私が低く問うと、ストランボはきょとんとした顔をした。


「え? だってアウローラがそう呼んでいたし」


 隣ではアウローラが「ふぇっ!?」と変な声を出して顔を赤くしている。


「いや、その、わたくしは……!」


 わたわたと手を振るアウローラ。


 ストランボはそんな姪を気にも留めず、顎へ手を当てた。


「君、どう見てもシシリオールの主導権握ってるよね?」


「……」


「戦力的にも、実務的にも、精神的にも」


 淡々と事実を並べられる。


「むしろ君以外に領地運営出来る人材いる?」


「……いないな」


「なら御主人様で合ってるじゃないか」


 実に論理的で腹立たしい結論だった。


 私は小さくため息を吐く。


 アウローラは恥ずかしそうに俯きながらも、小さく口元を緩めていた。


 何故嬉しそうなのだこの娘は。


 一方でストランボは完全に切り替わっていた。


「いやぁ、実に興味深い。古代種らしき存在が一領地を支配する事例かぁ……」


 ぶつぶつ呟きながら、紙へ猛烈な勢いで何かを書き始める。


 私はその様子を見ながら思う。


 ……やはりこいつ、放っておくと危険だな。


 知識欲に歯止めが無さ過ぎる。


「あまり詮索すると絞めるぞ」


 私は呆れ混じりにそう言いながら、ストランボの胸の中――心臓へ絡み付かせた自分の血を軽く締め上げた。


「うわッ!?」


 ストランボの身体がびくりと跳ねる。


 胸を押さえ、椅子から転げ落ちそうになった。


「ほ、本当に絞まってる……!」


 顔を青ざめさせながらも、その目だけは異様に輝いていた。


「実に興味深い!!」


 私は思わず額を押さえた。


 ……何なのだこいつは。


 普通の人間なら恐怖で震える場面だろうに。


「お前、いい加減にしないと本当に死ぬぞ」


 低く忠告すると、ストランボは咳き込みながらもケラケラ笑った。


「ははっ、それは困るね」


「全く困っているように見えん」


「いやいや、死ぬのは嫌だよ? まだ読みたい本が山程あるし」


 そう言って乱れた髪を掻き上げる。


「ですがね」


 ストランボはふと真顔になった。


「かの東方には、こういう言葉があるのですよ」


 そして、妙に良い声で言った。


「『朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり』」


 そのまま屈託なく笑う。


 まるで、


 “真理に触れられるなら命など惜しくない”


 とでも言うように。


 私はしばし絶句した。


 ……本当に。


 本当に、おかしな奴だ!


 アウローラも困惑した顔で叔父を見ている。


「叔父様……昔から変わっていらっしゃらないのですね……」


「ん? 何だい急に」


「いえ……」


 アウローラは疲れたように小さく笑った。


 どうやら、この奇人ぶりは昔かららしい。


 私は深々とため息を吐いた。


 フェデーレは忠義者だった。


 アウローラは純粋だ。


 だが、この男は何だ。


 知識欲だけで動く危険生物ではないか。


 私は改めて思う。


 ……本当に支配下へ置いて正解だったな、と。

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