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聖女の塔  作者: 河辺 螢
8/11

8 海の見える街

 フィーリアは目を覚ますと小さな宿にいた。周りには誰もいなかった。

 宿のおかみから3日も寝たままだったことを告げられ、じきに連れが戻ってくる、既に一週間分の宿賃は預かっているのでゆっくり休むよう言われた。

 その宿はアルムラピスにほど近いフリューメン国にあった。

 アルムラピスの帝都はその後、魔法回路が復活したらしい。しかし、魔力を供給する者達が一斉にいなくなり、今、塔にため込まれた魔力がなくなると、帝都は動かなくなる。

 華やかに明るい街も、今では極力光を落とし、唯一皇帝のいる城だけが皇帝自身の魔力により輝いているという。属国から魔法使いの提供は拒否あるいは渋られている。アルムラピスの帝都には魔力を供給できるほどの魔法使いは少ない。その者達は帝都を警備する魔法騎士であり、街への魔力供給にその力を使うわけにはいかなかった。

 城を除き、帝都の明かりはあと一月も持たないのではないか、というのがもっぱらの噂だ。


 フィーリアは聖女の服と交換で得た男物の服に着替えると、剣を携え、誰にも行き先を告げることなく宿を抜け出した。

 小さな街だったが、住民は親切で、アーリアと服を替えた時に預かった腕輪と引き換えに、旅のための食料を得、ビリディスへの戻り方を尋ねた。

 フィーリアの祖国ビリディスのことは名前以外は知られていなかったが、少し離れた街に馬車の駅がある、と聞き、まずはそこへ向かうことにした。

 国には自分がたどり着くより早く帝国やアーリアのことが伝わるだろうが、今後の帝国への対応、聖女の新たな候補のことなど、国としてしなければならないことは多い。

 魔力を使い果たして寝込んでいたせいで、体は本調子ではなかったが、気は(はや)った。

 途中、付近の地理に詳しい者から、乗合馬車で海に近いヴェントゥスヒルという港街まで行けば、ビリディス行きの船があると聞いた。

 目的地は定まったが、いつもならさほど苦にもならない行程がままならない。途中、疲れを感じて木陰で休憩を取り、目を閉じるとそのままうっかり眠りに落ちてしまった。


 やがて、何かの気配を感じ、目を閉じたまま剣に手をやった。

 近づく者にそのまま剣を向けると、瞬時に相手の剣で受け止められ、鉄の当たる鋭い音が響いた。

「一週間は休めるようにしておいたはずだが?」

 目の前には、騎士の隊服を着たエアハルトがいた。かつてザクスの山であった時の、用心棒に扮した姿からは別人のように見えた。だが、王命を受けて動くような身分の者だ。平民であるはずがない。これが本来の姿なのだろう。

「あの状態から目覚めてすぐにここまで移動するとは、さすがというか、呆れるというか」

 二度、いや三度しか会ったことのない割には、遠慮のない言い方だった。

「どうしてここが…」

「ビリディスに戻りたいなら、必ず戻そう。今は休むんだ」

 伸ばされた手で今にも抱きかかえられそうになり、フィーリアは驚いて身を後ろに引き、自力で立ち上がった。しかし、自分が自覚している以上に体力は奪われていて、よろめく体をエアハルトに支えられ、共に馬で近くの街まで向かうことになった。馬に揺られるうちに、半ば気を失うように眠りについていた。


 フィーリアは気付いていなかったが、フィーリアは既にアルクスマリス国内に入っていた。目指していた街ヴェントゥスヒルはアルクスマリスの港だった。


 次に目覚めた時、フィーリアがいたのは宿ではなく、どこかの屋敷の一部屋と思われた。部屋には侍女がいて、フィーリアの目覚めを確認すると、すぐさま部屋を出て行った。

 入れ替わるように現れた医師の診察を受け、もうしばらくは大人しく体を休め、少なくとも3日は療養するよう言い渡された。

 自分は丈夫な方だから、と言いかけたが、余計な発言で縛り付けられてもかなわないと思い、あえて口を閉ざした。

 眠れぬまま横になっていると、遠くで汽笛の音がした。

 誘われるように起き上がり、掃き出しの窓を開けると、懐かしい海風が髪を揺らした。

 遠くに見える、波が日の光を受けきらめく海。

 異国にいるにも関わらず、ビリディスに戻ってきたような錯覚を覚えた。旅の間、見ることがなかった海だ。

「お嬢様、体が冷えてしまいます」

 侍女がショールを持ってきた。

「…ありがとう」

 慣れない「お嬢様」という言葉に戸惑ったが、侍女に勧められるまま部屋に戻り、ソファに腰掛けた。じっとしていられるような性分ではなかったが、さすがに疲れが出ているのを実感した。


 夜になり、館の主が戻ってきた。予想したとおり、エアハルトだった。フィーリアは世話になったことの礼を言おうとしたが、それより先にエアハルトが謝ってきた。

「俺の采配ミスで、おまえに負担をかけてしまった。すまなかった」

 フィーリアには何のことか判らなかった。

「ビリディスの聖女殿に代わり、塔の魔法使いとして力を吸われる者になったにも関わらず、おまえ一人にあの塔を任せ、誰もつけなかった。明らかに俺のミスだ。さらに回路を破壊するような力まで使わせてしまった」

「自分がやると言ったことだ。気にしなくていい」

 そんなフィーリアの言葉で自分を許すようなエアハルトではなかった。渋い表情を崩すことなく、

「おまえがあんな魔力を持っているとは思わなかった。たった1日で塔が光を取り戻し、そのせいで帝都の騎士団の目を引いてしまった。おかげで他の4つの塔からの脱出は容易になったが、おまえ一人を追い詰めることになってしまった」

 フィーリアにとって、それは自分の力不足、判断ミスが原因であり、助けに来てくれたエアハルトに感謝こそすれ、謝られるようなことは何もなかった。

「自分がどの程度魔力を吸われているかも判らない未熟者だ。それに…、助けに来てくれただろう? それだけで充分だ。ありがとう」

 フィーリアの柔らかな笑みを見て、エアハルトはその礼を受けるべく、苦々しい表情を少し緩めた。

「他国の魔法使いは、皆無事に自国へと旅立った。近い国なら、そろそろつく頃だろう。アーリア殿も無事この国にたどり着き、今は王都にあるギルベルトの家にいる」

「そうか…。みんな無事で何よりだ」

 何よりアーリアの無事を聞けたのが嬉しかった。自分の役目を果たせたのなら、体を張った甲斐があったというものだ。

「今回の一件で、アーリア殿は死んだことになっているので、アーリア殿はこの国で名を変えることになるだろう」

「死んだ?」

 どうしてそういうことになっているのか。いぶかしがるフィーリアに、エアハルトは事の経緯を説明した。

「おまえが塔から落ちた時、おまえが落ちた残像を残した。逃走の時間稼ぎのつもりで見せた幻影で、どこにも遺体はなかったんだが、帝都の兵達は塔の魔法使いは死んだと思い込んでしまったようだ。今後、追われることはなくなったが、ビリディスにも報告は行くだろう」

 フィーリアは、聖女の番人でありながら、聖女を死なせてしまったことになる。それは、許されないことだ。

「良ければ、おまえもこの国に残らないか」

 エアハルトの申し出を、フィーリアは断った。

「きちんと報告に戻らなければ。…私は聖女の番人だ」

 引き留めても無駄なことを、エアハルトは知っていた。だが、このままビリディスで罪人として過ごさせるのは惜しい、と思ってしまった。

 そこで、フィーリアが一番つられるであろうエサを巻いておくことにした。

「アーリア殿の婚姻式は一月後に行われることになりそうだ。たった一人の身内だと聞いた。国のことが片付いたらでいい。参加を検討してはどうだろう」

 聖女はいなくなっても、姉は生きている。たった一人の、自分の家族だ。

 フィーリアはアーリアの婚姻式には参加したい、と意向を伝えた。


 その二日後、エアハルトへ宛てた礼状だけを残し、フィーリアは誰にも見送られることなくビリディス行きの船に乗り込んだ。


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