6 光が消えた塔
翌日は、怪しまれないように観光客に人気のある場所にも立ち寄った。
昨日侵入した湖の聖女の塔の近くにも訪れたが、塔には異変はなかった。聖女にも中の様子を聞いたが、
- いつもの居眠りと思っているらしく、何もありませんでした
と返事があった。
聖女は、昨日フィーリアがエアハルトと会ったことを知っていたが、話は聞いていなかったようだった。しかし、光の消えた塔の魔法使いが塔からの脱出を望んでいないことは知っていたようで、これから説得に行くことを伝えると、
- 光のない塔の魔法使いのことを頼みます
と、まるで聖女自身がフィーリアにアーリア救出を依頼しているかのように語ってきた。フィーリアこそ自ら願い、光の消えた塔の魔法使いを助けに来た者であるにも関わらず。
フィーリアは、旅の途中で見た湖を思い出し、そこに立つ湖の聖女を思い浮かべた。
- …あの湖の水は、たいそう美味でした。
- あの街は、湖が水を湛えればさぞ美しいことでしょう。
- いつか、湖畔で再びお会いできる日を楽しみにしています。
心に浮かんだ風景を伝えると、つかの間の休憩を終えたかのようにさりげなく塔から離れた。
夜になるのを待ち、フィーリアは遠回りをしながら光の消えた塔へと向かった。
塔の中に侵入するのはたやすかった。番人はやる気も緊張感もなく、眠り薬で容易に眠りに落ちた。
ゆっくりと塔を登る。湖の聖女がいた塔よりも古く、積み上げた石も所々欠けていた。塔の中は明かりはついていたが、街の明かりに比べると薄暗く、まるで罪を犯した囚人を閉じ込めているかのようだ。
長い周回の末たどり着いた最上階には、湖の聖女が捕らえられていた塔と同じく鉄格子があり、その向こうには豪華な調度品であつらえられた部屋があった。
その部屋にいたのは、アーリアだった。
「アーリア!」
思わず名を呼ぶと、中にいたアーリアは驚きの目をして駆け寄ってきた。
「フィーリア! どうしてここへ…」
「迎えに来たんだ。一緒にビリディスに帰ろう」
そう言った途端、アーリアの表情は陰りを見せた。
「…ごめんなさい」
俯いてつぶやいた言葉に、耳を疑った。
「私、ビリディスに帰れない。…私には、もう魔力がないの」
鉄格子を掴む手をそっと握ると、国では満ちていた魔力がもうほんの一握りしか残っていないことが判った。
「…塔に吸われたのか」
怒りのまま剣を抜き、今にも塔を破壊しようとしたフィーリアだったが、人の気配を感じ、自らの背後に剣を向け直した。
そこにいたのは、ザクス山でエアハルトと共にいた用心棒、ギルベルトだった。
「フィーリア殿…」
ギルベルトもまた、フィーリアを見て驚いていた。
「…エアハルトから聞いた。アーリアがビリディスの聖女だと」
ギルベルトは、両膝を地に着け、フィーリアに頭を下げた。
「…すまない、私は…」
「あなたが悪いんじゃないわ!」
鉄格子の向こうで、アーリアが訴えかけた。
「ギルベルト様は、塔を出たがらない私を説得に来ていたの。同時に5つの塔を止めないといけないから、協力して欲しいと。でも、私はビリディスに帰りたくなかった。ただ祈り、病気や怪我を治してもそれを当然と思われ、助けられなかった時の蔑む目を思い出すと、戻ることが怖くて仕方なかった…」
10歳まで、フィーリアとアーリアは共に過ごしていた。先の聖女が亡くなるまで。
新たな聖女に選ばれてから、アーリアは神殿で国の安寧と人々の健康を祈り、訪れる者達に魔法を施して怪我や病気を治すことに専念することを求められた。それ以外のことは全て「しなくていい」。しかし、それはアーリアが望んだものではなく、アーリアの日常を奪っていた。
外に出るにも、誰かがついてくる。しかも、自由に移動できるのは神殿の周辺のみ。
神殿では全てが儀式に則り、聖女と称えられ、畏まれる毎日。
フィーリアがいる時は少しは自由になったが、フィーリアには様々な仕事が回され、なかなか聖女付きでいられなかった。
神殿での孤独な生活の中で、聖女として生きるプレッシャーは、いつしか重荷になっていたのだろう。
聖女を、アーリアを守るために仕事に追われていたが、それがアーリアを孤独にしていた。誰よりも、一番にアーリアを理解していなければいけない自分が判ってなかった。共に生まれてきた、大事な姉なのに。
「ここでの生活は、私にとっては神殿にいる時とさほど変わらなかった。だけど侍女には我慢できなかったみたいで、やがていなくなってしまった。この国の衛兵といい仲になったそうよ。魔法使いではないから、いなくなっても誰も咎めなかった。そして、代わりの侍女も来なかったわ。ずっと、ずっと一人だった。
ここにいると、思った以上に自分の力が減っていくのを感じて、ますます怖くなった。この力が吸い尽くされればここから出され、国に帰って普通の生活ができるんじゃないかって、期待した時もあった。だけど、考えれば考えるほど怖くなって…。魔力がない、聖女じゃない私なんて、もう国でも引き取ってもらえないんじゃないかって」
「そんなことある訳がない。国が引き取らないなら、一緒に別の国に行ったっていいんだ」
「あなたならきっとそう言ってくれるって、今なら思える。だけど、ただここにいて魔力を奪われるだけの毎日はとても不安で、どうしようもなかったの。聖女として戻るのも、力を失って戻るのも、どちらも怖くて仕方がなかった。
5つの塔にいる魔法使いを解放する話をギルベルト様から聞いても、受けることができなかった。初めはただ断って追い返していたのだけど、そうしたら、毎日のように説得に来てくださって、気がついたら、それが唯一の楽しみに…私の生きる意味になっていた」
アーリアが鉄格子の扉を開けて出てきた。
鍵がかかっていない。鍵がかかっていないことさえ気付かれていないほどに、アーリアは放っておかれていたのだ。
「聖女として生きるより、ギルベルト様と生きていきたいと、願ってしまったの。でも私がここからいなくなれば、ビリディスに何をされるか…」
「すまない。聖女に対して、私は…」
開いている扉。ギルベルトの謝罪。
連日訪れるただ一人の男に、アーリアが思いを寄せたのも仕方がないことなのかも知れない。
フィーリアは、アーリアを助ける者は自分ではなくなったのだと悟った。
「ギルベルト殿。あなたはアーリアを幸せにできるのか? 一時の横恋慕ではあるまいな」
フィーリアの言葉に、ギルベルトは少し怒りすら見せて反論した。
「そんなことはない。貴殿の国にとっては損益となるだろうが、私はアーリアを妻として迎えたいと願っている」
「アーリアは? ギルベルト殿と生きることに迷いはないんだな?」
アーリアはフィーリアの目を見つめ、こくり、と頷いた。
「…判った」
フィーリアは、塔の魔法が溜まらなくなった理由を察した。
歴代、ビリディスには夫を持つ聖女だっていた。だから乙女でなくなったからではないだろう。恐らく、アーリアはその体に新しい命を宿したのだ。アーリアの力は守りの力だ。その力が我が子へと向けられ、外に向かなくなったのだ。子を産めば、また幾分かの魔力は戻ってくるだろうが、聖女として人に分け与えるほどの力は期待すべきではない。
「聖女は引退だ。国にはそう伝えよう。…今までありがとう、アーリア。ギルベルト殿と共に行くといい」
フィーリアは、アーリアの手を引いて、鉄格子の中に入った。
「ギルベルト、少しの間、後ろを向いていてくれ」
そして、フィーリアはアーリアに服を脱ぐよう指示し、自身の服と交換した。
聖女の服は薄いながらも軽く、暖かで、長いスカートの裾には守りの護符が刺繍されていた。かつて、フィーリアも祈りを込めて針を刺したが、自らが袖を通すことになるとは思わなかった。
ズボンを身につけていない格好は幼い頃以来で、少し心許なく感じたが、アーリアになりきるために耐えることにした。
剣は念のため手元に置き、普段ほどかない髪をほどくと、ギルベルトが驚くほどに二人はよく似ていた。屋外で過ごすフィーリアの肌は少し色が濃く、荒れていたが、遠目に見れば判らない。何せ、双子なのだから。
フィーリアはアーリアの髪を手早く結い上げると、鉄格子の向こう、ギルベルトの方へと押し出した。
「私は明日、ここの回路を壊し、聖女として脱走する。これは聖女である私が決めたことだ。…ビリディスのことは心配するな」
まだ戸惑いを残すアーリアに、フィーリアはあえて厳しい視線を向けた。
「ギルベルト、アーリアを頼んだ」
二人は手を取り、塔の階段を駆け下りていった。
塔から二人の足音が消えるのを待って、フィーリアは鉄格子を閉ざすと、床に敷かれたラグの上に腰掛け、ゆっくりと目を閉じた。
魔力を吸われる、チリチリとした不快な痛みを感じた。
明日、この塔の回路を破壊する。そして、一人、国に帰る。
聖女を連れ帰れなかった、情けない聖女の番人として。
その汚名に、フィーリアは笑みを浮かべた。アーリアの幸せを前になんとすがすがしい汚名であることか。むしろその汚名を背負えることを誇らしいとさえ思った。




