10 水の加護
アーリア改め、アリアンの婚姻式に現れたフィーリアは、珍しくドレスをまとっていた。
婚姻式の二日前にアルクスマリスに戻ったフィーリアは、遠くから姉の幸せな姿を見てそっと立ち去るつもりだった。自分は祖国を追放された者であり、貴族制度もない小国の元騎士にすぎない。アルクスマリスのような大国の王都で開かれる式に出られるような準備などできるはずもなかった。
それなのにどういう訳か港に着いた途端、何も知らせていないのにエアハルトが港で待ち受けていた。ビリディスならどこかで噂が立つことがあっても、他国で自分の行動が把握されている意味が分からなかった。
「よう、無事戻って来たな」
ザクス山で見たようなラフな格好で、軽く手を挙げるその姿に、
「な、何で…」
と戸惑うフィーリアを有無を言わせず馬に乗せ、半ば強制的に自分の屋敷に招いた。
婚姻式への準備は万全に整っていた。測られた覚えもないのに何故かサイズぴったりなドレスに手袋、靴、シンプルながらも粒の大きなサファイアが輝く、どう見ても簡単には手に入りそうにない装飾品。
それらを「詫びと礼」と言われても、あまりに過分で気が引けたが、フィーリアの同意などはなから求められず、侍女達によって前日から身支度を調えられ、エアハルトのエスコートを受けて、式典に出席することになった。
アルクスマリスの王都にあるギルベルトの家には多くの人が招かれていた。貴族階級と思われる者が多かったが、聖女として他国からの来賓にも応対することが多かったアーリアはひるむことなく、堂々としていた。
しかし、当然のことながら、この会場の中でアーリアの身内はフィーリア一人だ。
ギルベルトの家の者もアーリアには親切にしてくれていたが、それでも不安はあっただろう。自分がこの場で祝える機会を逃さずに済んだことにエアハルトに感謝しながら、アリアンとして末永く幸せが続くことを祈った。
アリアンの婚姻式が終わり、王都からヴェントゥスヒルに戻ると、フィーリアは「借りた」装いを全て屋敷に残し、「式への参加」という充分すぎる礼をもらったことに感謝を綴ると、翌日早朝には屋敷を抜け出した。
それからしばらく、フィーリアはアルクスマリスやその周辺国を旅した。
特にどこに行くともいつまでとも決めず、着の身着のまま旅を続けていたが、ふと思い立ち、デセルタムの砂丘にある湖畔の街まで足を伸ばした。
帝都を離れて四ヶ月が過ぎていた。湖はかつてより水量を増していたが、まだ街までは届いていなかった。その割に周辺の木々は生き生きとし、少しばかり下草も生えていた。
以前泊まった宿に立ち寄ると、宿の主人は人のいない時期に来た珍しい客のことを覚えていたようで、歓迎してくれた。
以前と違って他にも客がいて、少し忙しそうにしていた。
「聖女様が戻ってから、街も生き返ったようだな」
フィーリアがそう言うと、
「聖女様ももちろんだが、あんたのおかげでもあるよ」
と、思いがけないことを言われた。
「以前立ち寄った時、雲の魔法を使っただろう? あれを見た子供達の間で雲の魔法を作るのが流行ってな。わずかな水だったが、干上がりそうだった湖が何とか持ってくれ、草木も枯れず、聖女様のお帰りを待つことができたんだ」
今も誰かが雲の魔法を使ったのか、外に小さな雲が浮かんでいるのが見えた。ほんのわずかな時間の小さな雲でも、楽しみながら魔法を真似、水を生み出す力を得た者がいたのだ。自分が魔法を学んだ時のことを少し思い出し、嬉しさがこみ上げてきた。
その日は神殿に外国から貴賓が来ているらしく、一般の者は立ち入りができなかった。
聖女アクエリアに会えなかったのは残念だが、復活しようとしている湖に聖女の力を感じることができて、フィーリアは満足だった。
少し冷える夜の砂丘をぶらつきながら、月を映して光る湖面を見つめた。
思い出すのは、海だった。
次は海の見えるところへ行こうか。そう思っていた時、背後に三人の男が立っているのに気がついた。
「一人で旅行?」
服装から、神殿を訪れている外国客の従者のように思われた。
一度は振り返ったが、興味がなくそのまま湖面に目を戻すと、一人がすぐ隣に座ってきた。近すぎる距離が不快で離れると、反対側にも座られて、挟まれてしまった。
剣を宿に置いてきていたが、素手でもある程度は戦える。しかし、相手は帯剣していた。聖女の客なら、あまり派手なことはしない方がいいだろう。
手に握った砂を上に撒き、残像を残して立ち去ろうとしたが、うちの一人は魔法を使えるらしく、残像を見破って腕を掴んできた。
とっさに相手の腕をひねり、気を込めてみぞおちをつくと、尻餅をついた。しかし相手は反撃されたことへの怒りから殺気を見せ、軍人らしい素早い動きですぐに立ち上がるとフィーリアを取り囲んだ。
しかし、フィーリアの耳の辺りを見た一人が急に「あっ」と叫ぶと、三人は耳打ちしながら少し後ずさった。その直後、
「はい、そこまで」
聞き覚えのある声がして、三人が直立不動になった。
「す、すみません!」
三人が謝っていたのは、フィーリアにではなく、その後ろにいた人物に対してだった。振り向かなくとも、その人物が殺気を放っているのが判った。
「…旅先で非礼のないように。各自、宿に戻れ。解散!」
号令で、三人は慌てて走り去った。
あっけない幕切れに、フィーリアは構えを解き、息をついた。
そこにいたのは、エアハルトだった。隊の正装で頭髪を後ろになでつけて固めていたエアハルトは、久々に会ったせいもあってか、少し遠い人のように思えた。恐らく聖女に会っていたのだろう。
「聖女の客は、アルクスマリスの者だったのか」
「王子が聖女様に謁見されてね、そのお供だ。…あいつらが怖がらせてすまなかったな」
エアハルトはあの連中の上司に当たるのだろう。フィーリアは謝罪を受け入れた。
「しかし、こんな所で会うとは奇遇だな。アクエリア様がおまえに会いたがっている。せっかく来たのだから、顔を見せて欲しいそうだ」
言葉をやりとりすることはできなくなっていたが、かつてアクエリアから受けたつながりは、まだ活きていたようだった。
エアハルトに連れられて、湖の守人の神殿に向かった。中の様子はビリディスの神殿よりずいぶん開放的だった。数名の者が手際よく動いており、あの時塔にいた供の者もいて、明るく聖女に声をかけた。一番奥には、塔にいた時よりもずっと生き生きとした姿のアクエリアがいた。
アクエリアは、ビリディスの聖女はいなくなったが、フィーリアの姉は生きていることを知っていた。そして、フィーリアがあの時命を落としかけたこともお見通しで、
「自らも守れてこそ、真の騎士ですよ」
と、優しく叱られてしまった。
不思議とアクエリアの言葉は素直に受け止めることができた。年格好は違うのに、自分が幼かった頃のビリディスの聖女様に似ているように思えた。
「ビリディスを追われたと聞きましたが、これからどうするのですか?」
「そろそろ、住む国を決めようかと思っています。海の見えるところがいいな、と思ってはいますが…」
そう話すと、エアハルトが提案をしてきた。
「それなら、ヴェントゥスヒルはどうだ? 知らない場所じゃないし、知り合いが家庭教師を探しているから、紹介しよう。しばらく住んでみて、合わなければまた違うところを探せばいいんじゃないか?」
故郷とも船でつながる港街、ヴェントゥスヒル。悪い提案ではなかった。アクエリアも、
「あなたは水に近い街で暮らすのが向いているでしょう」
と、勧めてくれた。
フィーリアは曖昧な返事しかしなかったが、それを了承と取られたらしく、翌日、国に戻るアルクスマリスの一団に同行する手はずが整えられていた。
昨日の三人もその一団の中にいたが、ずいぶん大人しく遠慮がちになり、旅の間近づいてくることはなかった。




