彼女は真っ直ぐな人だ
俺たちはそれから、高嶺さんのストーカーに目星をつけた。
『彼』に悟られないようクラスメイトのみで情報を共有し、『彼』が再び動くのを俺たちは待つことにした。
そして『彼』が高嶺さんの下駄箱にイタズラをして数日後――ついに、その『彼』が動いた。
「――そこで、何をしてるんですか?」
俺の言葉に、『先輩』が振り返る。
俺の顔を見た『彼』は、一瞬何が起きたか分からないようで目を丸くして、その後、動揺と怒りの感情を滲ませた。
まあ、仕方がないだろう。
一方的に想っている相手とよく行動を共にしている男に憎しみを抱き想い人に警告したら、憎い男に迷惑行為を把握され、呼び止められたのだから。
男は唇を噛んで俺を睨みつけると、俺に体当たりをして逃げようとした。
だが男の行動を見て、俺は思わず笑ってしまった。
そっちがその気なら、これは正当防衛だ。
「――逃がすかよ」
俺には妹が一人いる。
俺に対してワガママすぎる妹だが、その妹を守るために、俺は母に幼い頃、『兄として』護身術を習わされた。
俺は、向かってくる男をそのまま背負って投げた。
まるでスローモーション。
男は、何が起きたか理解できないという表情をしていて、大路はそんな男を見下ろし、縄を手ににっこり笑っていた。
「さて。そろそろ、年貢の納めどきかな?」
大路がビッと力を込めて縄を伸ばす。
俺はその日、いつも優しそうに笑っている人間ほど怒らせると怖いという実例を見た。
■
「それで、なんでこんなことをしたんですか? ――先輩」
大路にしっかりと縛られた彼――こと、三年の先輩は、彼を取り囲んだ一年A組の生徒達を睨みつけた。
安全のため高嶺さんはここにはいないが、一応様子は、女子の一人が別室にいる高嶺さんにも見えるようにビデオ通話の状態になっている。
「なんで、俺だとわかったんだ」
「ある人の言葉を借りるなら、写真は嘘はつきませんから」
今回、犯人を見つけるに当たり一番の功労者は亀田先輩だった。
亀田先輩の作戦――それは、俺と高嶺さんの撮った写真を見比べて、俺には「悪意」、高嶺さんには「好意」の視線を向ける人間を探すというものだった。
その結果、亀田先輩の読み通りのストーカーらしき人物が見つかり、俺たちはその男を監視していた、というわけである。
「先輩。下級生にこんなことをするなんて、恥ずかしくないんですか」
高嶺さんと俺のために協力してくれたクラスメイトに、ヘイトが向かってはならない。
俺が冷ややかな目で彼を見下ろしながら責めたれば、彼はぎりっと刃をむき出しにして、俺に向かって叫んだ。
「彼女だ! 彼女が先に僕に声をかけてきたんだ!」
「へえ? どんなふうに?」
「俺が落としたハンカチを拾ってくれた。わざわざ走って届けてくれたんだ!」
「落とし物を……届けて?」
俺は、家庭科部の見学の帰り、高嶺さんと少し離れた時のことを思い出した。
『すいません。すれ違った方が落とし物をされていたので、拾って届けていたんです』
なるほど、あれが最初の引き金だったのか?
「先輩。それは、高嶺さんが優しい人なだけです。彼女は自分の目の前で誰かが物を落としたら、誰にでも同じことをしますよ」
「でも僕に、会いに来てくれたんだ! 写真をとってもいいですか? って。それは、僕のことが好きだからだろう!」
「それは単に彼女が写真部で、その仕事の一つで部活を撮影していただけです」
「でも、好きでもない男にあんなふうに笑いかけるわけないだろ!?」
「高嶺さんは真面目で純粋な人なので、一生懸命誠意を持って撮影していただけかと」
高嶺さんの良かれと思っての行動が裏目に――。
誰にでも丁寧な態度をとっていると、こういう輩に目をつけられるのかもしれない。俺は一つ学びを得た。
「……なんだよ、それ」
男は、俺の話を聞いてぽつりそう呟いた。
「なんだよ。じゃあ、全部僕の勘違いだっていうのか? こんなの、勘違いさせるほうが悪いだろうが。……彼女を連れてこいよ。僕をこんな目に合わせた女を、今すぐここにつれてこい!」
「できるはずがないでしょう」
高嶺さんの態度は、確かに何も知らない男からしたら思わせぶりだったかもしれないけれど、だからって怒りを向けていい理由にはならない。
低い声で静かに言えば、男はさらに声を荒げた。
「なんだよ。なんなんだよお前! 絶対許さないからな。お前も、そこの奴も! 絶対に復讐してやる!」
男は、俺と大路を見て言った。
「学校にいられなくしてやる。お前の家族のことも調べて、絶対に報復してやる!」
どう考えても危険思想だ。
やっぱりこの男、退学にすべきなんじゃないかと俺が思ったところで、ガララ!と勢いよく教室の扉が開かれた。
「なん、で……?」
俺は、乱入者の姿に目を見開いてそう言葉を漏らした。
だってそれは、この事件の当事者である高嶺さんだったからだ。
「はは! 自分から来たのか。なんなんだよ、お前。謝れよ! 僕のこと騙して! こんな目に合わせて……っ!」
どう考えても八つ当たりだ。
男の態度に、今度は無理矢理黙らせようかと大路が布を持ったところで、高嶺さんが勢いよく頭を下げた。
「ごめんなさい!」
高嶺さんのその行動に、誰もが驚きを隠せなかった。
だってこの場所にいる人間は、この男以外誰もが、彼女を被害者だとしか思っていなかったのだから。
「私は幼い頃からずっと、『正しくあれ』と言われて育ってきました。『困っている人がいたら助けて上げなさい』『人に優しくありなさい』大人になったら誰かの願いを叶えることはできなくても、すべての人に優しくあることはできなくても――子どもであるうちは、それができるかもしれないからと」
高嶺さんは、胸に手を当て静かに語る。
「でも私は、家柄のせいか私の性質故か、人に距離を取られることの多い環境で育ちました。私はいつも全て『与えられる側』であり、私が誰かに心を配る環境は、これまでの学校生活では殆どなかった」
彼女はこの学校に来るまでずっと、『お嬢様』として生きてきた。
『この国に生きる方々が、何を見て何を考え過ごしているのか――それを学ぶよう、この学校に入学する際父に言われたのです。電車でのことも、その関係で』
俺からすると遠い世界にも聞こえる立派な言葉を口にする彼女だが、俺と彼女が仲良くなったきっかけは、つまるところ彼女の『ポンコツさ』による。
切符が買えず、電車の乗り方も分からない。交通系のカードのお金は使いすぎて改札を通れない。
彼女は優しくて真面目で純粋だけど、普通の人間から見るとネジが一本抜けているようにすら感じるところがある。
誰かと交わることで、本当の「自分」が見えることはある。
それは好意的に見れば可愛いが、見方を変えれば欠点にもなりうるわけで。
今回のことは、まさに後者が引き起こし他にほかならない。
「……だから私、嬉しかったんです」
彼女は、静かに言った。
「この学校に来て、初めて『部活』というものを始めることにして。こんな私に優しくしてくださるクラスメイトの方や、先輩方。そういう方々に出会えたことが、あまりにも嬉しかったから。この学校に来てよかったと、そう思ってしまったから」
彼女の声は、力強いのにどこか寂しげにも聞こえた。
「きっと私、浮かれてたんです。私の人生で、こんなに親しくしてくださる方々は初めてで。この場所にいられることが、私は幸せだと思ってしまったから」
『高嶺さん』
誰の声かは分からない。その時誰かが、彼女の名前を呼んだ。
言葉の主を特定する必要なんてなかった。
誰かが、いや一年A組の人間の誰もが――彼女の名前を心のなかで呼んでいた。
突然の高嶺さんの感情の吐露。
そのなかには、彼女が一番この学校で親しくしていた『瀬崎晴人』以外の好意も含まれる。それはまぎれもない、彼女の痛いほどの本音で、愛だった。
「だからこそ私は、私自身から、貴方には伝えなくてはいけないことがあります」
彼女はぐっと手に力を込めて、真っ直ぐに彼を見た。
ストーカーを怖がっていたはずなのに、今のこの堂々とした姿は、一体どこから生まれる力のおかげなのだろう?
「もしこれまでの私に、貴方に勘違いをさせてしまうような行動があったとすれば、それは私の過ちです。心から謝罪します」
彼女は綺麗に頭を下げる。謝罪の仕方というものを、彼女は幼い頃から教育されてきたのだろうか?
俺が感心していると、男は平静を取り戻したのか、とんでもない言葉を口にした。
「そうか。こいつらと違って、間違いを認められるなんて僕が見込んだことはある。やっぱりお前は、僕の彼女に相応しい」
なんだこいつ腹立つな。
お前みたいな人間が、高嶺さんの彼になれるわけがないだろ! ニヤニヤしながら気持ち悪い言葉を言ってないで、赤ん坊から人生をやり直してこい。
教室にいる誰もが男に殺意を抱いたタイミングで、高嶺さんは一人冷静だった。
「いえ。あまり良く知らない方とは、私はお付き合いはできません。それ以前に――私は、私の大切なの方々に危害を加えるような人とは、お友達にもなれません!」
彼女の言葉は、男にクリティカルヒットした。
なんという正論! 素晴らしいレスバ!
いや、高嶺さんがレスバなんて言葉知るはずはないけれど――俺は、彼女の成長に感動してしまった。
ぷるぷる下を向いて震える男を前に、俺は高嶺さんに尋ねた。
「高嶺さんは、これからどうしたい?」
「私や私の大切な人たちに危害を加えないなら、私から何かをするつもりはありません」
「高嶺さんがそれでいいなら、いい――けど……」
とはいえ、やっぱり不安だ。ここは一度学校に伝えるべきなのでは?
俺が悩んでいると、男が不死鳥のごとく蘇って叫んだ。なんというしぶとさ。振られてそのまま灰となって、風に吹かれてこの世界から一人寂しく消えてしまえばよかったのに!
「はっ! 結局お前もコイツらと同じか。絶対俺がお前らを――」
男が、また俺たちに宣戦布告をしようとしたとき、再び教室の扉が開いて見知った人が入ってきた。
「――そこまで」
三年でバレー部の部長。このクラスの男子、高橋の姉である長身女子。
高橋先輩は、実は高嶺さんのストーカー男と同じクラスだ。男は高橋先輩を見て、明らかに顔がさっと青くなった。
「可愛い後輩がストーカーに合ってると相談を受けたら、まさか自分のクラスの男なんて、本当に面白い冗談だと思わない?」
彼女はくすくす笑っていたが、声に反して目は笑っていなかった。
「ねえ。さっきの言葉、続きを私にも聞かせてくれる? 琴乃ちゃんやこの子たちに――一体、何をするつもりだって?」
俺は高嶺先輩の背中に桜吹雪を見た(もちろん幻覚である! 体は鍛えているだろうし、サラシをつけていたら案外よく似合うかもしれない)。
勧善懲悪!
下衆な悪を倒すには、圧倒的な正義と優位な立場が有効である!
「もしまた、琴乃ちゃんを傷つけるなら……。――卒業、出来なくなっちゃうかもね?」
「……っ!」
高橋のお姉さんが怖い。
ふわふわ系最強お姉さんかと思ったら、ドロドロ系最恐お姉さんだったのかもしれない。
俺がそんなことを考えていると、内田さんがとんでもない事実をつけ足した。
「因みにこの学校、春姉のお爺さんの学校ですからね。まだ報告してないのは、貴方の良心に期待しての、高嶺さんの優しさだと理解してくださいね」
というか、高橋が理事長の孫という事実も地味に怖い。いろいろと不安になる。
「因みに琴乃ちゃんは私よりいいとこのお嬢様なので、琴乃ちゃんの温情がない場合、大学も就活も危ういかもね?」
にこにこ満面の笑みで高橋先輩が言った。やはり色んな意味で怖い人のようだ。
目には目を! 歯には歯を! 脅しには脅しを!
その言葉を聞いて、男はがっくりと肩を落とした。
「わか……った。僕はもう、ここにいる人間には
近付かない。……約束、する…………」
人生お先真っ暗にしてやると言われては、ひくしかなかったのだろう。
その場にいた多くの人間は、ストーカーの哀れな末路を見て『ざまあ』と内心思っていそうでもあったけれど、高嶺さんは男の言葉を聞いて、蔑みの目を向けるわけではなく、ただ安堵したかのように静かに息を吐いた。
■
「おわっ、たぁーー!」
高嶺さんのストーカーについて、後処理は高橋先輩や亀田先輩をはじめとした、数名の三年の先輩たちに任せることになった。
俺達一年生は、全員先に帰りなさいと背中を押されてしまった。
ある種の達成感を感じたクラスメイトの男子たちは、ワイワイと盛り上がっている。
「なあこのあと打ち上げ行こうぜ! カラオケとか! 俺割引券ある!」
「ハンバーガー! ハンバーガーがいい!」
その様子を見て、女子は若干冷めた表情を浮かべていた。
「これだから男子は……」
「ほんとデリカシーとかないよね。子ども。ガキ」
俺は男子の話には参加せず、無言で何かを考えているように見えた高嶺さんに訪ねた。
「高嶺さんは? これからどうする?」
「私は――」
俺の問いに、高嶺さんは少し言葉に詰まり、それから俺に言った。
「瀬崎くん。このあと、少しだけ二人でお話をする時間をいただけませんか?」
予想していなかった申し出だ。
俺は、驚くことしかできなかった。
「…………えっ?」




