「教科書を見せてください」
「おはようございます。瀬崎くん」
「……おはよう。高嶺さん」
翌朝教室の扉を開けると、高嶺さんが俺に挨拶してくれた。
昨日の今日で彼女をまっすぐに見れなかった俺は、急いで自分の席に着いた。
だが、これで安心できるわけではない。
窓際の、一番後ろの席。
『ごきげんよう』という言葉が似合いそうな、我が校きってのお嬢様である高嶺さんの席は、実は俺の隣なのだ。
……そういえば、途中で寝てしまったけれど、今日の高嶺さんのミッションは何だっただろうか。
などと、ぼんやり俺が考えていると。
「……あの、瀬崎くん」
「ん? どうかした?」
「実は私、教科書を忘れてしまって。見せていただけませんか?」
「え?」
俺は素早く高嶺さんに背を向けて、カバンの中のスマートフォンであの小説を確認した。
そこには、こんなコメントが書かれていた。
【席隣なら、まずは『教科書見せて』をやらなきゃだよね! 定番だよね!】
お……お、お前かあーーっ!
誰だよお前。なんで真面目で品行方正、忘れ物なんて一度もしたことのない高嶺さんに、教科書を忘れて俺に見せてもらうように仕組んでるんだ! この人が忘れものなんてしようものなら、「爺や」みたいな人が届けてくれそうなレベルなのに!
(この認識はやや誤りかもしれない)
「すいません。やっぱり難しいでしょうか?」
「あっごめん。ちょっと考えごとしてて……。教科書を見せるのは勿論いいよ。席つけていいかな?」
「席を……つける?」
俺の言葉に、高嶺さんはきょとんとした表情をした。
「うん。俺も机近付けるから高嶺さんも机近付けてくれる?」
「はい。ありがとうございます!」
高嶺さんは、声を弾ませて笑顔になった。
男子からの視線をひしひしと感じるが、今は気にしないことにする。
仕方ない。だって、学校一の美少女が、俺みたいなモブと仲良くするなんて普通ありえないから。
ある意味、俺のようなモブに偏見を持たずに接してくれるあたりが、高嶺さんの育ちの良さの現れなのかもしれないけれど。
「でも、珍しいね。高嶺さんが教科書忘れるなんて」
「はい。瀬崎くんに教科書を見せていただきたくて」
「え?」
「?」
その時、俺と高嶺さんの間に微妙な沈黙が流れた。
「……あ」
高嶺さんは、あからさまに「しまった」という表情をした。
「ち、違うんです! わ、わざと忘れたわけではなくて。忘れてしまったので、瀬崎くんに見せていただきたくて……っ!」
「うん。大丈夫だから。落ち着いて」
どうどう。
俺は、明らかに墓穴を掘った高嶺さんに苦笑いした。
――この人、しっかりしてるけど意外と抜けてるんだろうか?
■
「やっぱりこれって、高嶺さんのアカウントなのか?」
夜に更新された最新話は、教科書を見せてもらった女主人公の言い間違いを、ヒーローが爽やかに笑って流す、というものだった。
「いやでも、俺はこんなにかっこよくないしなあ……」
【「珍しいね。高嶺さんが教科書忘れるなんて」
「はい。教科書を見せていただきたくて」
「え?」
「?」
その時、私とハルくんの間に、沈黙が流れました。
ハルくんが何故か驚いた表情をしていることに気がついて、私は漸く、その原因に気が付きました。
――私は今、何を言ってしまったのでしょう!
私は、顔に熱が集まるのを感じました。
これでは、ハルくんに教科書を見せていただきたくて、私がわざと教科書を忘れたのだと自白したようなものです。本当はロッカーの中には教科書があるなんて、ハルくんには決して知られてはなりません。
「違うんです。わざと忘れたわけではなくて。その……本当に、今手元にないので、見せていただきたくて……!」
嘘は言っていません。だって、今私の手元に無いことは事実なのですから。
けれど、いくらお話するためとはいえ、こんなふがいない私を彼に見せることが良いことだとは、とても思えませんでした。
誠実に生きろと、そのために普通のご家庭の価値観を学ぶためにこの学校に入学したというのに、今の私は、高嶺家の人間に相応しくありません。
――でも。
慌てて私が言うと、ハルくんは柔らかく、私に微笑んで下さいました。
その時は私は、胸の高鳴りを感じざるを得ませんでした。
少し明るめの茶色の瞳、柔らかそうな焦げ茶の髪。少しだけ長い前髪の向こうから、温かな色で見つめられると、まるで彼は、私の心の全てを見透かして、見守ってくれているようにすら思えました。
ハルくんは、本当に優しい方です。
人の見ていないところでも気遣いができる方。
あの日困っていた私を助けてくださったのに、それをきっかけに学校で私に話しかけようとなさらないところが――彼の優しさだと思えるのに、今は寂しく感じてしまうのはどうしてなのでしょう?
彼にとって、誰かに優しくすることなど当然で、私に優しいところも私に興味があるから優しいわけではないとしたら、彼の優しい目を見る度に、嬉しくなってしまう私は、もしかしたら滑稽なのかもしれません――。】
高嶺さんのWEB小説(仮)には、今日もお嬢様の繊細な心理が丁寧に綴られていた。
……でも。
「誰だこれ」
俺は、スマホ越しに思わず呟いていた。
俺が若干くせっ毛で、目が茶色なのは確かだが、ここまで高嶺さんに褒めてもらえるほどのルックスは俺にはない。
「やっぱり別人なのか?」
その判断するのが外見描写というのが、若干傷付くポイントではあるけれど。
はあ、と溜息を吐いて、俺はこの小説のある特徴に気が付いた。
「にしてもこの小説、あきらかにコメントの数が多いな……?」
ランキングに乗るのはもともと注目されている小説。コメントが多いのは納得できるが、他と比べてもかなり多いように思える。
画面をスクロールして――俺は、その理由を理解した。
「わかった。これ、『参加型掲示板小説』なんだ!」
男子高校生が、美少女を助けたことから始まるラブストーリー。
ここまでなら、ただの恋愛小説で終わっていたに違いない。
高嶺さんの小説がランキングをかけ上がったのには、彼女の投稿サイトの使い方が関係していたのだ。
読者コメントへの『お嬢様(作中ヒロイン)なりきり返信(と読者に誤解されている※本当は実話)』と、『返信内容が小説の本編に反映される』という、リアルタイムに更新される『掲示板』のような使い方。
読者のコメントに従って、その日学校で起こったこと(というテイ※本当は実話)を更新するというのは目新しく、読者の心を強く掴んでいるらしかった。
更新する日は、必ず平日の20時半頃。
学生が学校を終えて、今日あったことを日記感覚で書いて更新したと仮定すると、あり得る時間だ。
いやまあ、お嬢様も女子高生も、設定ではなく事実なのだから、意図せずしてこの時間になっているんだろうけど。
「なんという偶然の一致」
奇跡のWEB小説投稿ゴールデンタイム!
「あ」
俺がそんな事を考えていると、新しいコメントが書き込まれて、高嶺さんがそれを受け入れたようだった。
【朝から同じ電車に乗って、偶然を装って話しかけよう!】
どうやら次の彼女のミッションは、電車に乗ることらしい。




