43-這い上がれ
星の速度で景色が過ぎてゆく。
ミルキーウェイにより加速した世界は、周囲の風景を、それこそ流星の如く過ぎてゆく。
自分が本当に現実にいるのかすら危うい、未知の領域だ。
不安定な足場、飛び交う星の弾丸は当たれば即死級の一撃に早変わりし、より事態は悪化したように思える。
だが、跳躍する力すらないブランクでは、これしか作戦がないのだ。
プーサー自ら作ってしまった、自分自身まで伸び続く螺旋の自動歩道。
視線の端を過ぎゆく凶弾に、生唾を飲みながら紙一重で回避していく。
踏ん張った足裏で流れに乗って、プーサーの元まで進んでいく。
「おーまーえーがー乗っていいものじゃあないゾォォッ!! 雑魚虫ぃっ!!」
しかしそれを許す敵ではない。
それほど甘い敵ならば、初手の暗殺術で落ちている。
努力という、誰もが持ち得る能力の向上方法を一切持ち得ず、才能の輝きだけで今の地位を築いた男だ。
そう上手くことが運ぶなら、英雄なんて呼ばれていないだろう。
精度が増した星の弾を避けながら、着実に前へ前へ。
ひたすらに、ただひたすらに前へ。
「なぜだ!!! なぜそこまでフレアクラフトに執着する!! お前なんて半年前に救ってもらっただけの間柄だろうが!?」
その矢先、怒気を含んだ問いが投げかけられた。
充血した瞳が貫く先はブランクだ。
「そこまでお前が身を挺する理由はなんだ!!!」
理解が出来ない。
十年思い続けた自分の想い人を、奪って良いだけの理由が敵にあるとは思えない。
お姫様を救う勇者ならば。
子供の頃に結婚を約束した相思相愛の間柄ならば。
生き別れの兄弟ならば。
そういった劇的なものがあれば、プーサーも納得はせずとも理解はした。
立ち向かうだけの動機がある、と。
だが。
「何がお前を突き動かしている!!」
彼にはない。
劇的な過去も、涙を誘う約束も、熱い関係性など皆無のただの凡人だ。
彼の意思など、その重さなど、十年思い続けたプーサーに比べれば、虫が如き矮小なもののはずだ。
だというのに彼は、英雄を崖っぷちにまで追い詰める迫真を見せている。
「空のお前に、何が生まれたというんだ!!!」
記憶喪失。
故に、受け身のブランクだった。
言われるがままに。
目標は不明瞭。
目的はあやふや。
ただ、強くなりたいのかもしれないという、霞のような考えに向かって歩いているだけの愚者だったはずだ。
それがどうして突然走り出し、強者の足首を掴んでいるのか。
理解など、できようもない。
誰にも。
恐らくフレアクラフトでさえ、理解出来ていないはずだ。
もしくは──
「強く、なりたいんだ」
彼さえもわからないかと考えた。
しかし、ブランクは呟くように告白した。
「彼女の隣に立てるくらい──強くなりたいんだ!!!」
それは彼が初めて示した。
決意という、強い感情だった。
だが。
「あ」
隙では無かった。
油断も無かった。
ただ、相手の方が一枚上手だっただけで。
プーサーから放たれた星の弾が、ブランクを貫いて、LGはゼロに変わった。
ブランクを守る結界が壊れる、ガラスが割れるような音と共に、ブランクの意識は闇の中へと沈んでいく。
—
ファレーナ・フレアクラフトは信じなかった。
突然訪れた絶望の日々。
両親は無辜の民を殺戮し、無様にのたれ死んだと知らせを受けた時、少女の中に広がったのは薄暗い闇の感情だ。
あり得ない。
あの父と母がそんなことをするはずはない。
なぜ、確定事項のように語られているのか理解が出来ない。
『理由なんてね、関係ないんだ』
それが騎士協会の当時、会長の言葉だった。
何かの間違いだと、リベリカと共に抗議をした。
だが会長は齢五歳の少女に、無慈悲な言葉を言い放つ。
『村人の死因は不明。しかし、ガイオン・フレアクラフトの大剣に村人の血が付着しており、村人の傷口は彼の大剣と合致したんだ。私も彼らがやったとは思えないが、状況証拠が物語っている。それにね』
淡々と、事実のみを話す会長の言葉は、幼い少女から希望を失わせるには十分な力を有していた。
瞳から光が失われていくファレーナに、追い打ちをかけるように、
『ガイオンは人気はあったが、同時に一定数彼を嫌っているものもいた。大した才能もない男が、絶世の美女と呼ばれたアイリス・クレナクラインを嫁に迎えたんだ。良からぬ嫉妬も生まれるさ』
会長の語る言葉は暗に、ガイオンに対する悪意が含まれているようで、ファレーナは喉の奥で声が詰まる。
それを察したリベリカが、代弁した。
『それはどういう意味ですか』
その問いに返事はなかった。
ただ子供に向ける笑みとは思えない、下卑た嘲笑が向けられただけだった。
以来、ファレーナは道場に篭った。
最初は信じたくない一心でエリュシテの大通り近くにて、両親の名声の回復を計った署名活動をリベリカと行ったこともあったが、すぐに暴力が飛び交うためリベリカが控えるように進言した。
三日三晩何も食べず、道場に篭りきり、ひとしきり泣いて日々を過ごす。
そんなファレーナの中で、かつて父ガイオンが言っていたことを思い出した。
『なんだよ。俺みたいになりたいのか? やめとけやめとけ。才能ないやつが下手に努力すると、周りから要らぬ反感を買うんだよ。もちろん、努力したからアイリスに出会えたってのもあるが……それでも悪いことは多い。家族を巻き込んじまうレベルでな。だから、俺みたいになんてならない方がいいのさ』
俺を目指すな。
それがガイオンの口癖だった。
ガイオンはフレアクラフトに生まれたのにも関わらず、魔術が下手であり、固有血術の扱いが下手くそであった。
故に一族からの風当たりは強く、子供の頃は楽しかった記憶は一度もないと、酔っ払った拍子によくこぼしていた。
『はー。まぁ、ならちょっとした助言をしてやるよ。父として』
しかしファレーナは今の父しか知らない。
だからかっこいい父みたいになりたいと、よくせがんだのだ。
ガイオンはフレアクラフトが嫌いだった。
だがファレーナは良くも悪くもフレアクラフトの血族と感じることがあった。
だから、一度だけ折れた。
『中途半端はダメだ。圧倒的であれ。でないと食われる。目指すなら、最強だ』
でなければ、この勇者の血は許してくれないのだ。
最強でなければ、後ろ指をさされる。
お前は──一体誰なんだ、と。
限界状態に至ったファレーナが呼び起こしたこの記憶に、ファレーナは一つの解を得た。
『弱い人間の話は……誰も聞かないんだ』
滲む視界の先、道場のモットーが描かれた巻物にある言葉は“気負うな”だ。
ガイオンの筆跡だ。
父が好きだった、彼が人生で見つけた辞世の句。
これを、ファレーナはかっこいいと思ったことはなかったが、今なら分かる。
気負うな、とは。
恐らく──考えすぎるな。ということだ。
『ファっちゃ、わ、私は強くならなくちゃ。強く、誰も文句を言えないくらいに、強く』
余計なことを考えず、ただひたすらに強くなることを目指して没頭する。
痛みも、苦しさも、悲しさも、感じる間もないくらいに努力して、無我の果てに恐らく目指す強さがある。
父はそうやって強くなった。
ならば、娘の自分が後を追うのは自然な話だろう。
そして、強者でなければ出来ないことの方が、この世は多い。
『強く……強く』
そうしてファレーナはひたすら修行に励んだ。
森で魔物を倒し、時には利用して、剣術を磨いて磨いて磨きまくって。
五年後、ファレーナは町を襲うS級魔物、暗黒魔龍アギトールを討伐した。
たった一人で森を進む、全長五十メートルを超える巨大な黒い蛇のような龍だ。
森を黒く汚染しながら進む、かの龍はたった一匹で首都エリュシテを落とせるぐらいには強い龍だった。
黒等級以上の実力者といえど、どれだけの人間が龍相手に生存出来るか。
それを考慮しなければならないくらいには、強い魔物だ。
そのアギトール相手に、ファレーナは勝ってみせた。
リベリカに避難を任せ、一人で立ち向かい、一人で屠ったのだ。
その勇姿を──本来ならば誰にも見られるはずはない戦いの──背を見る。
黒い龍には幾多もの傷がつき、黒い炎と血は森を汚染し、ファレーナもその血に塗れている。
龍に剣を刺して天を見上げ、未だに襤褸布を着る彼女は、既に数年前の幼さはかけらもなく。
ナイフのような眼光は、この五年がファレーナを完成させたことをブランクに教えていた。
『僕にはこれだけの時間をかけても同じ場所に立てる自信はないです』
燃える世界の中で、孤独にファレーナは立っていた。
汚れ、傷つき、一人で。
『でも』
そんな姿を。
そんな姿になってまで、強くなろうとした彼女の信念に魅了された。
どれだけ汚れ、薄汚いと揶揄される格好であってもブランクには美しく見えたのだ。
黒い斑点でギラギラに燃え盛る炎の星、太陽のように。
眩しく、目を向けることすら憚られる光の象徴のように。
だから。
『あの時に見た光は──』
ふと、不意にファレーナの顔がこちらを向いた。
これは記憶の世界で、ブランクはそれを覗き見している魂だけの存在だ。
ファレーナがブランクを認知しているわけはない。
だが、姿が見えないはずのブランクを見て、ファレーナは小さく微笑みかけて、
『────』
たった一言。
掠れるようなか細い声で、ファレーナは告げた。
愛弟子を激励する、最後の言葉を。
—
「ブランク選手のLGがゼロにぃぃっ!!? け、決着です!! 勝者はプーサー・ブラックナイトぉぉ!!」
闘技場で喝采が上がる。
夜の帷はまだ解除されていないが、確かに、結界に映し出される帷内の映像で、ミルキーウェイにてLGが壊れ、ダラリと上半身だけ力が抜けて滑走するブランクが映し出されている。
反してプーサーは空に向かって大口を開けながら笑っていた。
「はっはっは!!! 所詮こんなもんさ!! ブラックナイトにたてつこうってのが間違いだったのさ!! 何の力もない雑魚虫風情が!!」
考えてみれば当たり前の帰着である。
血統として優れていたプーサーが勝利し、何処の馬の骨とも知れないブランクが負けた。
血統とはそれだけ重要視されるものであり、重要視されるだけの理由があるのだ。
ぽっと出のブランクなぞに負けてしまえば、歴史が否定される事態になりかねない。
だからこそ貴族は、勇者は、英雄は、先祖の威信を守るために今も戦い続けるのだ。
「プーサーさん! 帷を解除してください!! 我々ではどうしようもなくてー!」
実況者が語りかける。
その様子を見下ろして鼻を鳴らすプーサー。
人が勝利の余韻に浸っているところだというのに、なぜこうも簡単に邪魔出来るのか。
やはり雑魚虫は虫なのだ。
プーサーは仕方なく、帷の解除に取り掛かった。
–
その様子を見て、解説者であるステラ老師は、静かに会場を見つめていた。
一人喜ばずに、時期を伺うように様子を見る老師を見て、実況者は訝しむ。
「どうなされたんですか?」
「妙じゃ。会場の数人も気づいておるようじゃが、まだ……決闘は終わっとらんぞ」
老師の言葉に実況者は、不思議そうに帷へと視線を飛ばす。
決闘が終わっていない。LGは命の危険に迫るダメージを負った瞬間に崩壊し、付与された本人の意識を奪うことで試合としての形式を成り立たせた、この闘技場の興行の根幹だ。
今までの歴史において、そんなことは一度もありはしない。
そう。今まで──一度も。
–
「くそ……腕が動かない」
夜の帷を解除するには、特定の姿勢が条件となっている。
発動するためには腕を広げ、身体で十字を表す必要があるのに対し、解除には右腕を上げ空を見上げる必要がある。
一応、解除には術者の気絶もあるが、ブラックナイトの歴史において、その解除方法は実行されたことはない。
ブラックナイトが負けた歴史はないからだ。
「目も……見えない、くそが! 雑魚虫のやろう、余計な……?」
だがプーサーは自身の腕が上がらないことに気付く。
ついでに言えば右目も見えない。
右腕はまるで肩から先が切断されたように力が入らない。
だらりと下がる腕にはかけらも力が入っていない。
右目も充血して、視界は霞んでいる。
何もかも上手くいって終わったはずなのに、歯車がうまく噛み合わないような不快感に歯噛みして、激情に任せようとしたその時である。
「なぜ、決闘の契約魔法陣が消えてない?」
ふと気になって召喚した契約決闘の魔法陣。
それはプーサーとブランクが結んだ契約書であり、決闘の結果が分かれば即座に履行される拘束力の強い術式だ。
それがまだ残っている。
「ぉぉぉぉぉ」
噛み合わなかった歯車が動き出す。
心に生まれた一筋の不安が、大きな寒気となってプーサーを襲う。
知らない知らない知らない。
こんな感情は知らない。
何が起きているのか、今、自分はどこにいるのか。
浮遊感を齎す現実感のない感覚に、震える手のひらを見つめる。
──恐怖?
プーサーは初めて自覚した。
自分が今、何かを恐れていることを。
「ぉぉぉぉぉぉぉぉっっ」
そして、静寂な世界に闖入する聞き覚えのある声の先に激情の眼差しを向ける。
雄叫びの先には、
「プゥゥゥサァぁぁぁぁぁぁっっっ!!!」
自身を狩らんとする虫が──未だに牙を向けていた。




