42-痛覚追走
『プーサー・ブラックナイトは怪我をしたことがない』
それは魔女エマから与えられた最後の助言だった。
生まれてから一度も怪我をしたことがない人間など、果たしているのかどうか。
そんなことはどうでも良い。
現実として、プーサーは怪我をしたことがないのだ。
ブラックナイトの教育姿勢は完全にして完璧であり、固有血術である星降る夜が発現した以上、過度な肉体的鍛錬をさせる必要はどこにもなかった。
故に、星の魔術による浮遊による移動を使う日常では、小石や段差に躓くことはない。
幼少期は徹底的な執事のサポートがあり、運にも恵まれ、賊に命を狙われることもなかった。
故に。
プーサーは怪我をしたことがない。
「ガァぁぁぁぁぁぁっっっ!!?」
だからこそ、
今感じている──否、追体験しているものが、未知の感覚であり、絶叫してもしても紛れることはない痛みだということに気付きすらしない。
「出来ると思ったんだ。相手の経験を盗み、自分の技術にする。或いは、電気信号をそのままコピーして身体の動きを真似出来る。それほどの情報制度を一方通行で得ることが、“接続”の真骨頂ではないと」
ブランクは、痛みから飛び立ち、空中でのたうち回るプーサーを見ながら語る。
己が策略のうちを。
「僕の力は盗むんじゃない。二つの対象をつなぎ合わせて、そこから効果を発揮するものだ。だからきっと流れは双方向である、と。出来ると思ったんだ。僕の──痛みの経験だけを貴方に流すことが」
それは凝縮された痛覚経験の共有だ。
記憶というのは鮮度が大事だ。
だからこそ、前日に用意したブルブラックとの稽古修行。その際につけた傷の痛み、そしてこの試合で、一方的に痛め付けられたプーサーからの苦痛、その全てをひとまとめにして送り返した。
本来なら数十分の間で得るはずの体験を、ひとまとめに得てしまったのだ。
凝縮された記憶はプーサーの中で連鎖的に弾き、次々と幻痛を齎す。
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いッッッっぁぁっっ!!!」
自身より遥かに強い者からの攻撃。
ブルブラックは黒等級騎士であり、その攻撃力は例えプーサーであれ擦り傷では済まない。
それをブランクが受けて来たのだ。
痛みも相応であり、闘技場に来た時の傷の多さが今、そのままプーサーにのしかかる。
ブルブラックの斬撃。
この三日間と決闘に於ける心身の疲労。
プーサーの執拗な爆撃と流星の直撃。
その痛みの強襲は、痛みを経験したことのない者では、凡そ耐えられるものではなく。
「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
とめどなく流れる濁流の中に、杭で打ち付けられたような体験だ。
強烈な水圧という記憶の流れと、痛みは襲い掛かる流木や石となってプーサーを攻め立てる。
彼がどれだけ懇願しても、この痛みが消えることはない。
ブランクが体験したその記憶が終わるまで、永遠と彼は体験しなくてはならないのだ。
「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
肉が引き裂かれ、血が体外へと飛び出して、生命と魔力が限界まで枯渇する吐き気に、頭痛に腹痛に鈍痛に圧痛に疼痛に意識が飛びそうな程の絶痛。
それらが入り混じり、プーサーのLGがみるみる減っていき、五〇にまで下がった時、
「セバスティァァァァァァァァァアン!!!!」
プーサーは夜の帷の外に向けて叫ぶ。
「今すぐに解除しろォォォォッッッ!!!!」
その言葉の意味は、第三者にはわからない代物だ。
だが、ブラックナイト側の応援席にただ一人待つ筆頭執事──セバスティアンは、深々とお辞儀をする。
「御意に」
—
「今ので仕留められなかったか。まずいね、リベリー」
観客席は予想以上のブランクの奮闘と、一切読めない試合運びに白熱していた。
裏腹に、フレアクラフトの応援席にいる魔女エマは、いつものあっけらかんとした様子は消え、こめかみに汗を一筋垂らしていた。
その様子に、静かにリベリカは訊く。
「本格的に勝つタイミングを失った、ということでしょうか」
「その解釈である意味間違ってはない……けど、正確にはあーちの作戦がこっから無効化される」
「魔女様の作戦……?」
エマの作戦はLGのシステム陥入をし、ブランクのゲージが一から下がらない状態を維持するというもの。
絶対に負けることはない代わりに、酷く痛めつけられるブランクの覚悟なしには成立しない作戦だったが、見事にブランクはエマの作戦すら巻き込んでプーサーを瀕死の状態にまで追い込んだ。
追い込めた。
だが仕留めきれなかった。
この差は、天と地ほどに大きい。
ここから先は一度の被弾すら許されない。
その中で果たしてブランクは──
–
「ぁぁぁぁぁぁァァァッ!!!」
痛みに耐えられず、叫ぶだけでは紛らわすことも出来ない。
だから一刻も早く、この悪夢を齎した犯人を行動不能へと追い込まなければならない。
螺旋状に形成された星の導きの終着点。
遙か上空にて、もがき苦しむプーサーは輝かしい星の裁きをを、四方八方へと無差別に攻撃を行う。
この攻撃が当たり、ブランクの意識を奪うことができれば、痛みがなくなるかもしれない。
決闘も終わる。
希望的観測に過ぎないがそれ以外にプーサーは選択の余地がなかった。
頭上でクルクル回転しながら、手当たり次第に爆撃をする。
夜の帷の結界は、星の魔術を使用するのに必要な魔力を無限供給するのと同時に、星の魔術の威力も高めていた。
しかし疲労は集中力に直結し、威力に繋がる。
プーサーが放つ星の裁きをは、決闘直後ほどの威力はなく、命中精度もゼロに近い。
そんな技、普段であれば当たる事はない程度にはブランクも成長しているが、体力も魔力も極度に消耗し、歩くのも精一杯のこの状態では最早、プーサーの元に辿り着く事が困難だ。
夜の帷下に於いて、プーサーは無限の魔力を持つ。
そんな相手に持久戦は自殺に等しい行いだ。
更に言えば、今は抗えない苦痛も時間と共に慣れてくる可能性もある。
相手が潰れるのを待つわけにはいかない。
だから、ブランクは。
「これが最後だ」
剣を構えて走り出す。
地面から黒い砂が体に纏わりつき、簡易的な黒い軽鎧を形成する。
動きを妨げない程度の、身体の動きをサポートする鎧だ。
相手の魔術も弱っているとは言え、一発防げれば充分運がいいレベルの防御性能しかない。
そして切先にも黒い砂を集め、黒剣を作り出す。
そうして完成した戦闘態勢のまま、ブランクは──未だに崩れていない星の導きへと踏み出した。
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