32-事前準備
ブランクがエマ達と別れ、己の能力と向き合っている頃、プーサーはというと、手下を連れて円形闘技場へと赴いていた。
契約決闘は仕掛けた側が闘技場を用意する暗黙の了解がある。
魔術による縛りなので、コレばかりは横柄なプーサーであっても逃れることができない。
イラついたように床をトントン叩きながら、受付で腕を組んでいた。
「どいつもこいつもボクを苛立たせるなあ」
受付嬢に契約決闘の闘技場使用の予約表を渡してまだ十分だ。
プーサーのせっかち度を思えば、十分でも長い方ではあるが、運営側はこれでも急いで対応している。
何せ急遽三日後に、西の英雄と六勇者の末裔が己が陣営のトップ同士の人権を賭けて戦うというではないか。
興行としてはこれ以上ないタイトルマッチだ。
なんとしても闘技場の予約を済ませたいところだったが、基本的に一週間は闘技場の枠は埋まっている。
その無理を通そうと関係各所に連絡しているのだ。
しかし運営側の頑張りなど、プーサーからすればどうでも良いことだ。
自分の時間を食い物にするゴミ虫くらいにしか思っていなかった。
とは言え彼も契約決闘の契約の束縛が働いている。
ここで放り出して行ってしまえば、何が起こるかプーサーにだってわからない。
どんな行動が引き金となり決闘の放棄と見られるか、契約決闘の経験がないプーサーにとってはそれは恐怖であり懸念点だ。
試合する前に奴隷になることだけは避けなければならない。
逆説的に、それさえ避けれれば。
「ボクが負ける道理はない」
確信を持って言えた。
それは慢心でも、油断でもない強者だけが持つ真実だ。
たとえ天地がひっくり返ったとしても、彼我の実力差は歴然だった。
総じて、弱者は強者の強者たる所以が分からず、強者は弱者が弱者である理由を知っている。
それは血に甘えたプーサーであっても、例外ではなかった。
「だからさっさと……始めさせろ」
未来を想像して、その甘美な光景に舌舐めずりする。
最高級の羽毛を使用した純白のベッドに、天蓋から降りる薄ピンクのレースから覗く、はだける白い肌と燃えるような赤い髪。
その先に待つ、涙目を浮かべるフレアクラフトを思い浮かべるだけで思わず絶頂しそうだった。
思えばこの関係も随分と長い。
幼少期、父親と母親がとんでもないことをやらかして、立場も命も危うくなったフレアクラフト。
そのフレアクラフトが街中で歩いている姿を見かけたのがきっかけだった。
エリュシテの民に泥でもかけられたのか、姿は浮浪人のように薄汚れ、羽織る服は襤褸布一枚だ。
彼女が町に現れるときは必ずその場所がわかった。
それは、泥に塗れても目立ってしまう赤髪のせい──ではない。
彼女が現れた場所は決まって円形の穴が、群衆には生まれてるのだ。
彼女が路地裏に消えるまで、絶対誰も近寄らない。
父と母が行ったように逆上して殺されると考えたのだろう。
貧民らしい発想だとプーサーは思っていた。
自分たちから迫害したくせに、いざ牙を剥かれると思うと群がって、数の暴力で抑え込むのだ。
法治の下である以上、そんなことは決して罷り通らないのだが、それを覆すことさえ考慮されるのが勇者の末裔の力なのだろう。
英雄の先祖である自分からすれば考えることのできない発想だが、理解は出来た。
だから、そんな惨めなフレアクラフトの面を少しだけ拝んでやろうと。
動物園の猿を見に来たくらいのつもりで覗いたのが間違いだった。
『あ……』
雑踏の中に生まれる虚無。
騒ぎ立てるゴミ虫の鳴き声は、その瞬間、真の強さによってかき消された。
身なりは確かに汚れている。
目も当てられない、不潔極まりない格好だ。
生ゴミを投げつけられたのか、彼女の周りには虫が集っている。
だが彼女の瞳は死んでいなかった。
凛と鋭く、視線は切り裂く刀のようで。
虚に見える瞳の奥の紅は、煌々と熱く燃えたぎっていた。
それは正しく──プーサーにとって、初の。
使用人に声をかけられ、正気に戻ったプーサーは実家に戻り、親の元へと駆け寄った。
『フレアクラフトをボクのお嫁さんにするぞ!!』
その突拍子もない言葉は家のものを、全員ひっくり返らせるには充分な宣言だった。
しかも当日中に告白に行くという暴挙をかますプーサーに、親は頭を抱えた。
百本のバラを束ね、フレアクラフトの家へと向かうプーサーは、扉を開けた先で──
「チッ!! 嫌なことを思い出した」
闘技場受付の壁を渾身の力で叩き、痛みでプーサーは現実に戻ってくる。
過去に何があろうと、一番大事なのは現在だ。
フレアクラフトがいかに拒絶をしようと、今彼女の命の手綱を握っているのはプーサーに間違いはない。
その手綱を小指一本で連れていかれないよう雑魚虫が食い止めているが、そんなことは瑣末ごとだ。
試合さえ始まってしまえば、難なく排除ができる。
だから早く、試合を──
「本当にそれでよろしいのですかな」
「あ? 何だよ、お前。生きてたのか」
「坊ちゃまの執事筆頭ですからな。そう簡単には死にますまい」
一人で来たプーサーの真横に唐突に現れたのは長身の老躯だ。
ブラックナイト邸でプーサーの身の回りのお世話をする、ただ一人の執事であり、歴も長い。
フレアクラフトを待ち構えた時も、隣で葡萄ジュースを飲むプーサーの愚痴を聞いていた。
「相手はフレアクラフトではなく、その弟子です。礼儀はあるべき、とは言えそれは坊ちゃまが試合を受けた時点で果たされるべきでしょう。つまりこれ以降は、誅罰を与えなければ」
「誅罰だと? 具体的には」
「LGの術式に細工をいたします」
「なに? そんなことができるのか?」
LG。それは円形闘技場に於ける、選手の生命線だ。
どんなに致命的な攻撃を受けても、ゲージの減少に変換することで、傷が出来ることを防いでくれる試合には欠かせない術式だ。
これが生まれたおかげで、円形闘技場の興行も現在ほどに発展できたと言える。
「はい。ブラックナイトのツテを使えば」
「ふーん、で。どんな細工をするのさ」
「簡単です。ゲージがゼロにならないよう、一で止まるようにいたします」
「はぁ? それが一体……あ」
聞いた瞬間には理解出来なかった。
だが悪知恵の働くプーサーの脳は即座に執事の意図に気付き、頬を歪ませた。
「へぇ……お前、なかなか悪い奴だな」
「いえいえ……それほどでも」
「良いだろう。許す。ボクの合図でそれを解除出来るようにしておけ」
「御意に」
プーサーの言葉に深々と頭を垂れ、そのままプーサーは受付嬢から予約の受付完了を聞いてその場を後にした。
プーサーがいなくなったことを確認し、執事は頭を上げる。
「これで良いのか?」
「うんうん! あーちのアイデアがまさか採用されるとは思ってなかったけどね! 第二第三と用意してたのに、すんなり言ってびっくりしたよ!」
物陰から飛び出すのはエマだ。
戯けるようにピースをして、執事の周りを飛び跳ねる。
そんな子供のような様子に構うことなく、執事は続けた。
「命を助けてもらった。だから言うことは聞いた。しかし、これがフレアクラフト陣営が勝つ一助になるとでも?」
苦々しい顔をして、執事はいう。
ファレーナとの戦いの際、瓦礫に押しつぶされそうになった執事をエマはこっそり助けていたのだ。
その際の契約でプーサーが直接負けるような細工や不利になるような条件は飲まない。
飲むくらいなら死ぬ、ことを条件にエマは要望を出した。
その要望が想像以上にプーサー好みの趣向だったので、執事は渋々了承した。
だが、執事は確信していた。
例えこの要求が通ったところで、
「坊ちゃまは鍛錬こそ怠ってきたが強さは本物だ。小細工で勝てるほど甘くない」
そう言い切る執事の目は主人への信頼で揺るぎないものだった。
エマはその瞳を見て、微笑む。
「もちろん! これが決め手になるとは思ってないよん! でもね〜、そっちこそさぁ」
執事が言うことなど理解している。
その上での挑戦状だ。
多少は手のひらで踊ってもらわねば、勝てない戦いの結末は変えられない。
「舐めてると足掬われるかもよぉ?」
精一杯の虚勢を張って、その場を後にする。
出来ることはした。
あとは少年の伸び率次第である。
願わくば、魔王ほどの力を引き出してくれると事前準備をした甲斐もあるのだが。
エマはそのまま店に戻る。
魔女はそれ以降、契約決闘が始まるその日まで、家から出ることはなかった。
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