31-帰還、決意
「お。おかえりブラちーん! 収穫はあったかな?」
真っ暗闇を漂う感覚は水に浸かっている時と似ていた。
自分は確かに存在しているのに、地に足がついていない浮遊感がある。
そんな非現実感に囚われていたブランクの心は、陽気な声に引っ張られて、ゆっくりと瞼を開けた。
視線の先は、道場の天井だった。
「僕は……どのくらい」
「うーん、ほんの二、三分じゃないかな。それで! 収穫はあったの?」
魂の世界へと強制連行されたブランク。
ファレーナの過去回想を見た時間から考えても、半日くらいは経っていた感覚だったが。
現実世界とは流れが違うのだ。
その感覚の誤差に、ブランクは目眩に似た症状を引き起こしていた。
脳が揺れ、身体を起こすので精一杯だった。
「しっかりしてください。貴方にまで倒れられたら困るんですよ」
「リベリカさん……」
ふらついた身体を支えるのはリベリカだ。
彼女もまた、満足に立って歩ける状態じゃないと言うのにメイド精神ここに極まれりである。
ゆっくりと壁際にブランクを連れていき、革の水筒を渡す。
「ありがとうございます……」
「フレアクラフト特製の液薬も入れてありますので、多少苦いと思いますが飲んでください。少しは体調が改善するはずです」
「何から何まで……」
ありがとう、と口に出そうとして魂の世界での出来事がフラッシュバックする。
二本の触覚のようなアホ毛を伸ばした赤髪の女性は、最後に気になることを言っていた。
–
『僕が……王子様……?』
『本当になれっ、て話じゃなくてね。そういう気持ちで挑めってことね』
黒い涙を拭きながら笑顔で言う。
美女が突然黒い涙を流すと言う、異質な絵面は割と見慣れている。
しかし慣れることのできる衝撃ではない。
ブランクはまたしても放心状態だったが、今黒い涙について言及する気力もなかった。
呆けて通しのブランクを置いて、背後の男が口を挟む。
『何はともあれ。今、君の中のストッパーが起動した。少なくとも、現実に帰った時、第一の使用用途“経験値の接続”が出来るはずだよ』
『え、凄い。リンク君、それわかりやすいよ』
『当たり前のことを聞く……。僕以外が伝えるのは変な想像力がついてしまう。本来なら僕が最初に行うべき作業を魔女がやったせいで、恐らく少年の中のネジが緩んだんだろう。或いは……君の先祖なのか』
終始溜息を吐く男に、赤髪の女は頭に拳を乗せて舌を出す。
『いやーそこ否定出来ないのが、私の家系なんだよなー、たはは』
『笑い事じゃないだろうに……』
『でもなんとかなった──少なくとも、取り返しはつく状態ではあるんじゃない?』
赤髪の女の言う通り、事態はまだ最悪ではない。
勝てるわけがない相手に試合を挑み、その賞品は互いのトップの人権だ。
勝たなければ全てを失う。
あまりにも勝算の低い、博打にすらならない勝負だ。
それを──ここからひっくり返せるのか。
『返せない』
『え』
背後の男は、ブランクの心を読むようにそう言った。
『例え君が、今の状態から第一の能力使用用途を熟知し、使いこなしたところで勝てる勝負ではない。それは今を生きない僕でさえわかる、客観的事実だ』
『で、でも、元魔王の固有術式なんですよね! なんとか』
『君は、元魔王の固有術式を当てにして、勝負を受けたのか?』
『────』
男の鋭い返しにブランクは口ごもる。
薄ぼんやりとしていた男の姿が、目元だけはっきりと映る。
睨みつける黒瞳は感情が虚で、責めるような眼差しだった。
『固有術式を使いこなさなければ、勝負にすらならないだけだ。使いこなしたところで五分になるわけじゃない。だから、これだけは伝えておく──先達として』
聞き捨てならない言葉があったが、思考より先に男の言葉が出た。
『最後はいつだって、自分次第だ』
言葉が胸を押すように、ブランクは重力が消えたような感覚に襲われる。
座っていた劇場は消えて、闇の中へと落ちていく。
黒髪の男と赤髪の女が、穴を覗くように顔を出す。
姿が見えなくなる最後まで、赤髪の女は手を振っていた。
–
「自分次第……」
ブランクは男の言葉を思い出し、握る。
現実感を確かめるように、不確かなものを確かなものにするために。
「ふふ、その顔を見ればわかる。何か一つの答えを見つけたみたいだね」
ブランクの決意の表情を見たエマはふわりと浮かぶ絨毯に乗る。
彼女が指を一振りすれば玄関は勝手に開いた。
「エマさんどこへ……?」
「そりゃあ自分の店だよ。あーちも経営者だからね! いつまでも店をあけてられないのさ」
心強い味方だった。
このまま何か手伝ってもらえると、ブランクはほんのりと思っていたが、そう物事はうまくいかないらしい。
「ま、気張っていきな! 男の子なんだし!」
「はい。とりあえず、出来ることを、全部」
「いいねぇ! 見違えた。それじゃあ秘策を一つ、授けちゃうよ!」
そう言って魔女はブランクに耳打ちをする。
最初は何を言い出すのかと疑っていたブランクだったが、その内容に目を開く。
「な……それは」
「普通の人には出来ないことだ。でも、ブラちんは、普通じゃないっしょ」
ブランクとリベリカは魔女の出立を見送った。
見苦しく縋ることはしない彼らの行先は、生き様だけ見れば、勝算ありの五分五分の試合前に見える。
「まぁ、それでも確率は一割……に行けばいいかなくらいかなぁ」
手のひらで作るのは魔力計算の術式だ。
契約決闘の術式を解析して作った、対戦相手との実力を計るものである。
プーサーとブランクの実力を純粋に比べた場合、ブランクの勝つ確率はゼロ。
一寄りのゼロではなく、ゼロ寄りの、ゼロである。
魔術の世界において、出来ないことは絶対にできないという鉄則がある。
確率がゼロであれば奇跡が起きても、成功はしないし、逆に言えば一でもあれば起きることは起きるのだ。
だからこそ、今まで魔女になってきたものは皆、総じて一からスタートしていたものたちである。
ゼロから始まって、魔女になったものはいない。
例え、エマからの秘策があったとしても一に上がるかは微妙だ。
残酷さを知っているからこそ、エマはふと脳裏に友人の姿を思い出す。
「手を貸すのはコレが最初で最後だぞ、ファっちゃん」
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