33 目覚め
ふと静かに目を覚ますと、おかしな状況になっていた。
暗い夜道で、困惑した様子の花凜がずぶ濡れの自分を受け止めてるようにして抱きしめていた。
横目で覗いながら、とりあえず大人しくしておくことが身のためだと判断して静かにしていたのだが、こういうときに限って鼻がむずむずとしてきてしまう。
「へ、へ、ヘックシュ……!」
「……」
必死に堪えようとしたが、くしゃみが漏れ出てしまうと花凜はなにかを察し、「ねえ、もしかして起きてる?」と訊ね、翔流は覚悟を決めて恐る恐る開口する。
「その……これはどういう状況なんだ? どうしてキミが――どわっ!?」
おきているとわかるや否や、いきなり突き飛ばされ、冷たいコンクリートに尻餅をついた。
「お、おおお、起きてたならさっさと離れなさいよ!」
「そうしたかったけど……よくわからないことになってたから……」
いまもこれが夢の続きか判然としないが、体からくる寒気や痛みなどの信号が現実なのだと強く主張してくる。
「よくわからないってなによ! 介抱してあげてたんじゃない!」
「いや、そもそもどうしてキミがここに居る?」
「なに……もしかして覚えてないの?」
記憶が未だ断片的で、ここがどこなのか、なぜ彼女が居るのか、把握しきれない。
「えっと……確かボクは川に転落して……それで……」
最後の最後で覚悟を決められず、さんざん足掻いた後、無様な格好で橋から落ちた。そこからの記憶はない。
「もしかして、キミが助けてくれたのか?」
「ちがうわよ。自分でここまで歩いてきたことも覚えてないわけ?」
「ボクが? ここまで?」
「そう。わたしに肩を貸せって言った後、気絶するみたいに眠っちゃうんだもの。それに揺すっても起きないから、救急車を呼ぼうか悩んでたんだから」
いまの状況がよく掴めず、首を巡らすが辺りは真っ暗だ。それに全身が鞭打ちになったかのように痛い。これは落下によるものか、川で足掻いたときに痛めたのだろう。
「全く記憶にない……」
「それに自分のことをワシシとか言ったりして、なんか強引っていうか、ワイルドっていうか……まるで人がちがったようだった」
「ワシシ?」
「うん」
ワシシと一人称を使うのはあの悪魔くらいだ。
「……ダクシャンが助けてくれたのか?」
いつもならここで顔を出してくる悪魔の姿がどこにも見えず、答えを求めるように翔琉は辺りを見回した。
その様子を花凜はどこか憐れむように表情を曇らせる。
「あのさ……精神的に落ち着くまでの間は、異世界とは距離を置いた方がいいんじゃないかな」
「そうだね……そうするよ」
「本当に?」
「うん」
「……それならいいけど」
異世界に執着していた翔流が、提案をあっさり受け入れたことに、花凜は拍子抜けしたようだった。
実際問題、異世界転生なんて愚かな行為に及んだのも、色々なことが重なったこと、長年の鬱憤が積もり積もって心が破裂してしまったのだろうから、しばらくは自分を見つめ直す必要がある。
緩慢な動作で立ち上がり、翔流と花凜が来た道を戻ろうとしていると、前方から車のヘッドライトの明かりが、こちらへと向かってきた。
「あ、世羅さんが来たみたい。おーい! ここでーす!」
花凜が手を振り、外国産の高級自動車が蛇行しながらやって来て急停車すると、車から世羅が飛び出し、翔流を抱きしめた。
遅れて千湖も「おにいちゃーん」と脚に飛びついてきた。
「もう、なにをしてるの!」
「すみません……反省してます」
「私や千湖、それに花凜ちゃんがあなたの力になるから、バカな真似はもうやめて」
「……はい」
「あなたになにか遭ったら……鏡子に顔向けできないじゃない」
ぎゅっと強く、世羅は濡れることもいとわず、ずぶ濡れの翔流を優しく包み込んだ。
彼女は彼女で責任を感じていた。
それだけ自分は罪の想い愚行を取ってしまったのだ。
そして自分なんかのために悲しんでくれる彼女に申し訳ない気持ちで一杯になっていると、邪魔するように花凜が咳払いした。
「あのぉ! また雨が降ってきそうだし、車の中で話しませんか! 千湖ちゃんが風邪を引いたら大変ですし」
「そうね。さあ、車に乗って。急いで帰らないと朝帰りになっちゃうわ」
世羅は気まずそうに身を離すと、千湖を引き剥がして車へと向かっていく。
「ほら、師匠もはやく乗りなさいよ」
「ああ、ちょっと待っててくれ」
翔流はひとり花凜達から距離を取ると、街灯の下へと行き、足下の影に視線を落とす。
「――ダクシャン……いないのか?」
小さく呼びかけるが、なんの反応も返っては来なかった。
諦めが悪いのは理解している。
いまもまだ過去に縋り付こうとしてしまっていることも。
でもこれが答えならば受け入れるしかないだろう。
「キミは本当にボクがつくりだした幻だったのかな……」
最後に確認するように語りかけてはみたが、悪魔が顔を出すことはもうなかった。
そして翔流はこの思い出の地で一つの区切りを付け、静かに車へと乗り込んだ。




