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32 役目

 単独で行動を開始した花凜はすぐに後悔する羽目になった。

 それは田舎の夜道を完全に舐めきっていたことだ。


 街灯は少なく、人の気配も民家すらも近くにはなく、まさに闇だ。足下も満足に見えずとても危険で、なにかカサカサと時折だが獣のような生物の気配がする。

 さらには静けさが重くのしかかってきて、不気味な感覚に襲われた。

 前に進むのも、来た道を引き返すのも、どちらに進むのにも勇気がいり、悲鳴を上げそうになるのをこらえて川へと急いだ。

 そして道なりにしばらく進んでいくと、珍妙な光景に遭遇した。


「なに、虫? ――え、サカナ?」


 暗闇のなか目をこらしてみると、濡れた路面にまだ息のある川魚がぴちゃびちゃと跳ねていた。

 それも目的地に近づけは近づくほど、その魚たちはところどころに打ちあがっていて、異常な事態を強く感じさせた。


 これが田舎ではよくある光景のはずがない。

 カエルならともかく、川から魚が歩いてきたとは考えられない。となると、活魚を運搬する車から漏れ出た、とも考えられるのだが、歩道側にまで散乱しているのはおかしい。

 まさか雨と共に空から降ってきたはずはないだろうが、どちらにせよ怪奇的なことが起きているような気がしてならなかった。

 

「なんなのよ、なにが起きてるのよ……」


 あの男にたいしてやりきれない怒りがこみ上げてくると同時に、自分にたいしても怒りが怒りがこみ上げてくる。

 どうして気づかなかったのだろうか。

 バカみたいに一緒になって異世界へと行こうと模索していたが、あれはすべて翔流からの救難信号だったのじゃないだろうかと、いまになって思う。

 悲しみや苦しみから助けて欲しいと。

 もう少しちゃんとみていてあげれば、彼の壊れた心にも気づいてあげられたのではないだろうか。


「全部、あいつのせい……ぜったいにみつけてぶん殴ってやる」


 己を奮い立たせながらスマホをみつめてマップを確認し、ようやく丹田橋へと近づいて来た時だった。

 真っ暗な夜道の先で、なにかが蠢いたような気がした。


「こ、今度はなに……?」


 目をこらしていると、闇の中で人影のようなものがこちらへと迫ってくるのがみえた。


「ひっ……」


 後退り、踵を返そうとすると、


「おい」


 と、険のある男の声に呼び止められた。


 山の方から変質者が現れた。それも間違いない。久しぶりに山から下りてきた野性味溢れた変質者は、若々しい乙女をみて本能をむき出しにして襲いかかろうとしている。

 身の危険を感じた花凜は逃走しようとするのだが、恐怖で脚が竦み、頭が真っ白になっていく。

 そして立ち竦むことしか出来ずにいると、道の先からうっすらと、見知った男の顔が浮かび上がる。


「はあ……なんだ、あんたか……」


 真っ暗な夜道から、翔流が姿を現し、花凜は安堵の息をつく。

 よかった。危害を加えてくることのない臆病な変態だ。


「もう! なにしてんのよ! どんなにこっちが心配したと思ってるの!」


 翔流は憔悴しきったように、擦り剥いた顎を押さえながら、よろよろとした不安定な足取りで歩み寄ってくる。


「まったくだ……なにを考えておるのかようわからん」


「あのね、あんたのことを話ししてるの!」


「わかっておる。そう騒ぐでない」


 まるで他人事のように語る翔流に花凜は腹を立てる。


「ずぶ濡れじゃない……。まさか本当に死のうとしたんじゃないでしょうね……」


「そこもよくわからんのだ。だが川に転落してな、どうにかワシシが魔法を使って危機を脱したところじゃ」


「はいはい、魔法ね。この魚も全部が魔法ってわけね」


「そうじゃ」


「もうそういうのはいいから、反省しなさいよ」


 川の水を全部打ち上げて危機を脱したとでも言いたいのだろうが、この期に及んでまだそんな戯れ言を言うのかと呆れてしまう。

 いまはもう魔法だ異世界だなんて聞きたくない。夢を追いかけて大切な命まで粗末にしてしまうくらいなら、そんな夢は見ない方がいいに決まっている。


「それよりも娘、肩を貸してはくれぬか」


「嫌よ。わたしまで濡れちゃうもの」


「いいから肩を貸せ。上手く体に適合できんのじゃ……」


「知らないわよ」


「殺されたくなければ言うことを聞け! このじゃじゃ馬娘が!」


「はあ!? なによ、偉そうに――って!?」


 翔流は半ば強引に花凜の肩を抱き寄せ、もたれ掛かる。

 すぐに突き飛ばしてやろうとしたが躊躇した。

 体温はすっかり冷え、小刻みに震えている。足腰に力が入らないのか、それとも怪我を負ったのか、いまにも気を緩めたら倒れてしまいそうだった。


「……すまんな。娘に頼るとは情けない」


「もういいわよ、べつに……」


 翔流の雰囲気がいつもと違う。

 それに口調も変で、なんだかまるで別人のようで少し怖い。

 もしかしたら、頭でも打ったのだろうか?

 心配になってじっと顔を覗き込んでいると、翔流は憮然としながら口を開く。


「どうした?」


「な、なんでもないわよ!」


 いつもまともに視線を合わせてこないから気づかなかったが、よくよくみてみると翔流は端整な顔立ちをしていることにいまになって気づいた。

 それに今日は精悍な眼差しをしていて、じっと見つめられるとなんだか緊張してしまう。

 ちらちらと翔流の顔を覗っていると、ある変化に気づいた。


「泣いてるの……?」


「ん?」


 彼の目から涙が溢れ出ていた。

 平然とした顔をしながら、目からは涙が溢れ、翔琉はそっと指先で触れた。

 まるで自分が泣いていることにも気づいてない様子で、無表情のまま泣き続けていた。


「なんで泣くのよ」


「しらん……」


「自分のことでしょ?」


「……ワシシではない」


 花凜が心配そうにしていると、翔流の膝ががくりと崩れた。


「どうしたの!?」


「……すまんが娘よ……翔流のことを頼めるか……」


「はあ? 翔流って、なに言ってるの? さっきから変よ」


「ワシシは、もう……ダメそうじゃ……」


「ダメって、なにが?」


「もう……限界のようじゃ……」


「さっきから、なにを言って――」


 花凜は脱力して覆い被さるようにもたれ掛かってきた翔流を支えきれず、そのままズルズルとゆっくり、地面に膝をつく。


「わ、笑えない冗談はやめて! ちょ、ちょっと! い、いや、こういうことには慣れてなくて――って? 寝てる?」


 悪ふざけで卑猥なことをしてきたのかとも思ったが、よほど疲れていたのか翔流は気持ちよさそうに寝息を立てていた。


「なんなのよもう!」


 つくづくよくわからないダメな男だ。

 夢を見て周りに迷惑を掛け、他人に臆病になって孤独を選び、勝手に苦悩して独善的に決断する。この世界に残された者達の哀しみを、十分すぎるくらいに知っているはずなのに、あまりにも利己的すぎる。


「……師匠なら、弟子の模範になってよ」


 花凜は抱き止めるようにして、幼さの残る情けない師匠を支え続けていた。


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