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30 慟哭

 勝手に自らを追い込んでいく翔琉の目がさらに虚ろなものへとなって、精神が新たな方向へと暴走していく。

 もうだれにも止められやしない。


「そうだ……ボクはキョウちゃんを失ったことを受け入れられなくて、異世界があると信じ込もうとした……本当は異世界なんて存在しないこともわかってるはずなのに……」


『いやいや、ワシシがその異世界から来たのであろうが』


「もう慰めてくれなくてもいい。わかってるんだ……キミの正体も、なにもかもすべてのことが……」


『ワシシの正体?』


 雨の降り注ぐ夜空を仰ぐ。

 空だけは別れを惜しむように泣いてくれている。


「もうボクは幻覚が鮮明になるくらい重症なんだろ……」


 だれもいない家に引き籠もり、祖父が亡くなってまともに話す相手を失ってから数年、淋しさからフィギュアと会話するようになった。この影もきっと同じだ。それもいままで以上に重度な症状として表れている。

 孤独って哀しいね。


『し、しっかりせい! ワシシは幻覚などではない!』


「だからこれはただの独り言なんだ、どれこれも全部……。さあ、ボクの中から消えてくれ! オリジナルキャラクターを養っていくほどの余裕はない! ――さようなら、もうひとりのボク」


『ワシシはお主ではないぞ……』


「同じだよ。ボクが生み出した幻覚なんだから」


『ワシシは悪魔でお主の目の前におるではないか!』


「もうたくさんだ!」


 消えてくれ幻覚よ。

 正常だった頃に戻って最後を迎えたい。


『お主はもう一つの世界を見たのだろ? 世羅という女も言っておったではないか!』


 ずっと蓋をして考えないようにしてきた霧がかかった現世が、いまは鮮明に見えようとしている。


「花凜くんが言っていたように、ボクはキョウちゃんから影響を強く受けていた。だから異世界の夢を見てしまっただけなんだ……。それと同じで世羅さんも影響を受けていた……そうだ……そうなんだ……フフッ、ハハッ……」


 あの異世界や体験は夢だ。

 子供の頃だったから、余計にその不思議な夢を特別視してしまっただけだ。


『では、マッドリーパーを喚び起こしたことはどう説明する。それをワシシが喰うてやったろ』


「だからあれもボクの幻覚だ……もしかしたらボクの別人格が企てたなんてこともある……。停電が起きたことを絶好の機会として花凜くんを欺した……もしかして停電を起こしたのも計画していたのか? いや、待て……もしかしたら花凜くんという存在すら疑うべきなのかもしれない……だって、女子高生がこんな男に絡んでくるなんて実際問題ありえないことじゃないか……? すべては妄想なのか? ……まさか、ボクはそこまで壊れてしまって……うわあああああああぁぁ!」


『落ち着け! すべては現実のものじゃ!』


「どこまでが現実と虚構の境目だったんだ……? ……くそっ! わからない! もうなにもわからない!」


 橋の欄干に額を何度も打ち付けた。


『すべてが現実じゃ!』


「これが現実……? ふざけんなよ……だとしたら辛いことばかりじゃないか……生きていても、大切なものを失っていくばかりで……なんだよ、それ……なんなんだよ!」


『な、なぜ、ワシシにキレるのだ……』


 涙が溢れてきた。

 この世界はいつも大切なものを奪っていく。

 生まれてきたときは多くのものを与え、なぶり殺すようにひとつずつ時間と共に取り上げていってしまう。

 きっとこの世界の神様はひねくれてるんだ。

 ぜんぜん可愛くない。

 女神様なんかでもない。

 意地悪な神様に奇跡を期待したのが間違いだった。


「なんなんだよ、この世界……つまんないんだよ……ぜんぶつまんないんだよ! くそっくそっくそおおおおおっ!」


『……いまのお主をみていると、悪魔であるワシシですら恐怖を覚えるぞ……』


 従容とした振る舞いから一変して狂乱する翔流に、ダークシャドーは肩をすくませる。


「ボクもボクが恐ろしい……頭が破裂しそうだ……」


 叫んで酸欠になり、ふらふらするし、なにがなんだかわからない。

 己を培ってきた異世界に疑念を抱き始めたとたん、人格や記憶までもが破綻していこうとしているよ。


『しかし、異世界やワシシの存在をも疑うのであれば、死ぬ必要もないのではないか?』


「ボクは異世界にのめり込んできたことで、この世界の人や社会と折り合いがつかなくなっていた……。それでもいいと思っていたんだ。だって、異世界に行けば解決すると思ってたから……でも、ダメだった……。もう手遅れなんだ、この世界で生きていくことも……なにもかもが」


『そんなものかのぉ』


 夢想して広がっていた異世界をいま失い、ふと我に返ってみれば、自分にはお金も友人も愛すべき家族も残されてはいなかった。

 ただ、ひとつひとつ崩れ落ちるように失っていることにも目を向けず、夢を見続けた結果が取り返しのつかない惨めな現在だ。

 死はそのことへの代償だ。

 あまりにも辛い。過去に戻れず、未来にも進めないことがあまりにも。

 まるで悪夢をみているかのような気分だ。

 鏡子や祖父がいた世界が昨日のことのように思い返せるのに、未来であった現在の状況がまったく受け入れられない。


「こんなはずじゃなかったんだ……こんなはずじゃ……」


 異世界に行くはずだった。

 鏡子と再会し、幸せになるはずだった。

 けれど、その願いは呪いに変わっていた。

 そして現実は惨めな男に成り果てるだけだった。

 人生には意味があるはずだった。

 描いた夢は叶うはずだった。

 だからその夢に殺されるなんて考えもしなかった。


「もういいんだ……異世界なんてどうでもいい……ボクはキョウちゃんにまた会えればそれでいいんだ……」


『異世界に居るのではなかったのか?』


「だから、異世界がないとすれば、それは……うううぅっ、キョウちゃあああん!」


 最悪な結末を迎えたであろう鏡子のことを想い、ボロボロと涙が溢れてきた。


『なんなんじゃ、お主は……』


「ボクはキョウちゃんなしでは生きていけないんだ……」


 鏡子を失ってからの十三年。ただただ辛かった。

 一緒に生きていきたかった。

 それだけでよかった。

 もう限界だ。

 ひとりで生きていくことが。


「ううっ……もう思い残すことはない。それじゃ、行くよ――翔流、逝きまあああぁすぅ!」


 欄干から手を離して両手を広げる。

 これで楽になる。

 もうなにかに悩むこともない。

 そして翔流は川をじっと見つめるのだが、なかなかあと一歩が踏み出せずにいた。


『どうした?』


 涙と鼻水で顔をくしゃくしゃにした翔流は、泣き叫ぶ。


「――ダメだああああぁぁ! 怖いいいいぃぃ! 死ぬのは嫌だああああぁ!」


『生きるか死ぬか、はっきりせい!』


「ほ、他の方法を考える! こんな死に方じゃ嫌だ! もっといい方法を考える! うううぅっ」


『ハア……まったく、なんなんじゃお主は……』


 呆れるダークシャドーを横目に、欄干にしがみついた翔流は足を掛けてそのまま跨ごうとしたのだが、この鈍くさい男は失態を犯してしまう。


「――あっ」


 濡れた欄干に上ろうとして足を滑らせると、硬い欄干に顎を打ち付け、不格好のまま川へと落下し、盛大な水飛沫を上げた。


『だからどうしたいんじゃ、お主は!?』


 錯乱する翔流は荒れ狂う川に呑み込まれた。

 あまりにも無様だ。

 自決しようと意気込んでやって来て、恐れを成して逃げ帰ろうとしたところで、足を滑らせ落下する。それも顎を打ち付けるおまけ付き。

 見苦しい姿を晒し、さらには恥を上塗りする醜態。最後まで情けなく、もうこのまま沈んだ方がいいとさえ思えてしまう。

そんな窮地に陥っている翔流とはべつに、橋の上から見下ろしていたダークシャドーにも異変が起きていた。



『な、なんじゃ、なんか苦しくなってきたぞ……この逼迫感……どうなっておる……』


 酸素を必要としない非生物のダークシャドーは胸を押さえて苦しみだす。


『これはもしや……ワシシと翔流の感覚が共有しあっているというのか……? ……まさか召喚された時点で一方的に主従契約が交わされていたわけでは――』


 偶発的事故による召喚だ。

 そこにどんな契約内容が交わされていたのかは定かではない。


『そ、そうなるとだ……主人となった翔流が死んだとき、ワシシはどうなる……? ――い、いかん! 翔流! いかんぞ! 死んではならん!』


 もしこの召喚が強固な主従契約によるものであるのなら、従者は主人と一蓮托生となる。主人を失ったとき、その従者も死に絶えてしまうこともある。

 他人事では済まされない可能性が浮上したことで、ダークシャドーはヒラヒラと泳ぐように川面を這い、流れていく翔流を追走する。


『どこじゃ翔流! 返事をするのだ! 絶対に死んではならんぞ! 生きるのだ!』


 ダークシャドーの声が届くことはなかった。

 翔流は一向に川から顔を出すこともなく、ただただ下流へと向かって流されていく。


『――ええい! 仕方がない! 翔流よ、心を無にしてワシシを受け入れよ!』


 ダークシャドーは川の中へと潜り、翔流を探し続けた。



 その一方で翔流は混濁していく意識の中、光を探していた。

 子供の頃に見た光。

 この世界と異世界を結ぶ小さな穴。

 けれどそんな光はどこにもなかった。

 その代わりに、ヒラヒラと一つの影がこちらへと向かって泳いできた。


 ――キョウちゃん。


 朦朧とするなかで姉の名を呼び、そのまま意識を失って瞑目すると、川底へと引き摺り込まれていった。

 


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