20 転移の儀式?
ガレージの照明を消し、計算して配置した燭台に火を灯す。
お手製の祭壇には鏡を置き、その前には黒い外套に身を包んだ翔流が立っていた。
礼装に身を固めて手にはタブレット端末を持ち、画面に表示した文字を見つめ、詠唱を始めようとしたのだが、
「……なんか恥ずかしいんで、出て行ってはもらえませんかね……」
と言って背後を振り返ると、花凜は笑うのを堪えるかのように口角を上げて、スマートフォンを構えていた。
クロも呆気にとられたように見上げている。
「なによいまさら! みてるこっちだって恥ずかしいんだから、はやくしなさいよ!」
彼女は喜々としながら無断で録画をし始めていた。
「……撮影を許可した覚えはないぞ」
「ちゃんと記録しておいた方がいいじゃない」
「集中できないんだ!」
「わかったわよ、ケチ」
いつもなら自己陶酔しながら詠唱しているのだが、常識を持ち込んだ女子高生によって、己の幼稚さを痛感している。
「ねえ、その前にひとつ質問」
「今度はなに……」
「その魔法円の意味ってなに? 本来は結界とかに使うものなのよね?」
「なんでそういう知識だけはちゃんとしてるんだよ……」
「魔法の一種だもの当然よ」
「……そこはきちんと勉強してるわけね」
書籍にもこの件についてはきちんと記載されているし、魔法に強い関心がある彼女が知っているのは自然な流れだ。
「で、どうなのよ?」
「それは西洋の考えだろ。ボクはひとつひとつを詳細に分析し、自らを異世界へと転移させる方法を再構築してるんだ。魔法円ではなく魔法陣だし、当てはまらないよ」
「ふーん」
和製ファンタジーでは悪魔の召喚や異界へと繋ぐ扉として機能することが多く、翔琉の着想はそちらから得ている部分が大きい。
『いいから、はやくワシシを還してくれ!』
「わかりましたよ。やりますって……」
雑念を捨て意識を集中する。
ぐっと腹部と足腰に力を入れて手を翳すと、体内から魔力を絞り出すようなイメージをしながら詠唱していく。
大切なのは脳内で描くビジョン、それと希求する異世界への情熱だ。
「――スミェールチイージルジー! スィチャスミッチトーユスプリャーチ。異界の神々よ! 我が祈りに応じ、境界の彼方へと招き入れ賜え!」
高々と最後は叫ぶように締めくくり、魔法陣を睨むが、なんの反応もみられなかった。
「やっぱり祈りってのがよくなかったか……それとも発音かな。さて、次は――」
タブレットをいじり、次のファイルを開いていると、顔を引きつらせた花凜が口を挟む。
「ちょ、ちょっと待って……いまのは終わったの?」
「ひとつは」
「ひとつはって、なんか決まった詠唱とかないわけ?」
「ないよ。そもそもね、〝召喚する〟んじゃなくて〝召喚される〟それか無理やりにでも異界へと転移しようとしてるんだ。成功例もなく、知識を集めて試行錯誤していくしかないんだよ」
「じゃあ、いまやってることも完全な手探り?」
「そういうこと」
「なによ! まるで今日にでも行けるような口ぶりで期待させて置いて!」
「いつ成功するかなんてわからないから常に備えてるんだろ! それに今回は本当に成功すると思ってたんだ」
「なんなのよこいつ、本当に紛らわしい!」
何年もこんなことをコソコソとしている。
召喚関連の本を読みあさり、言葉遊びをするように詠唱を唱え、落書きするように何度も何度も地面に魔法陣を描いていった。
そんな時間を浪費するだけの愚行が積み重なり、ようやく起きた奇跡が悪魔の召喚だった。
それで今回は悪魔の協力もあり、フラグが立ったと思っていた。
「ダクシャンを召喚した詠唱を上手く使えばなんとかなるはずなんだ」
「……なんかややこしいわね」
「とにかくいまは、詠唱を次々に試していくしかないってことだよ」
翔流はそれからも次々に詠唱を唱え続ける。
だが、どれもなんの反応が示されず、無作為に時間だけが過ぎていった。
「――出でよ、異界の門番よ! 我が望みを聞き入れ賜え!」
これが用意していた最後の詠唱だった。
けれどやはり変化は得られず、熟考する。
召喚を再現することすらできず、なにかが欠落していないか、もう一度タブレットに収めた情報の数々を見直していく。
「ねえ、もういいんじゃない? そろそろ帰らないといけないし、続きは今度にしてくれる?」
花凜ももう飽き飽きだと背伸びをして立ち上がる。
熱い視線を注いで見守っていたクロとダークシャドーもいつの間にか居眠りをはじめ、もうお開きの雰囲気だ。
それでも翔流だけはまだ諦めきれずにいた。
一分一秒でもはやく、鏡子の元へと辿り着きたい。
姉が窮地に陥っているとしたらと考えるだけでいてもたってもいられなかった。
翔琉が苛立ったように爪を噛んでいると、あることに気づいた。
「――いや、待てよ。あのときは確かボクは出血したんだった……もしかして血か? 生け贄、あるいは生き血が必要なのかも――」
「今度はなによ?」
「花凜くん、血だ! キミの血をくれないか!」
「な、なに言ってんのよ!? キモいんだけど!」
「変な意味じゃない。ボクがダクシャンを召喚した際に不手際から指を切って、出血したんだ。その床に垂れた血痕が消えたことから考えると、血がひとつの鍵となって作用していた可能性がある。というわけで、取りあえずキミの血をくれないか」
「あんたの血で成功した実績があるなら、自分の血を使いなさいよ!」
再現するのであれば翔流の血が適確なのだから至極正論である。
「……ボクはその……痛いのも血も苦手だから……」
「異世界に行くって意気込んでる人が血が怖いってなんなの!」
グロテスクなのも苦手です。さらにインドアで人間不信です。偏食で虚弱体質でもあります。
それでも異世界ではすべてを克服し、最強の勇者になる予定です。
「キミなら血には慣れてるだろ」
「どういう意味よ、この変態!」
「変な意味じゃない。暴力的だから他人の血を見るのは慣れてるだろうって意味で……」
「それも変な意味じゃない!」
「ああもう! 変態でもなんでもいいから血をくれ! 二、三滴で良いから頼む!」
女子高生に生き血をくれと頼み込む成人男性。
やはりこの絵面もまた犯罪臭がすることだろう。
通報してもいいレベルだ。
「嫌よ! お断り! そんなに血が欲しいなら、わたしがあんたの鼻っ柱をへし折ってあげるから、そこでじっとしてなさ――えっ?」
花凜が拳をつくり、翔流の顔面目がけて振りかぶった瞬間、棚や燭台やシャッターがカタカタと振動していった。
「なんか揺れてない? じ、地震……? 結構、長いわね――て、なに!?」
さらに不自然なことに、燭台に灯っていた火がすべて一斉に消え、ガレージ内は暗闇に閉ざされた。
「ちょ、ちょっとやめてよ……! そういう冗談、笑えないんだけど!?」
「ボクが火を消したわけじゃない……」
「じゃ、じゃあ……風かな……とりあえず電気を点けるね」
花凜は照明のスイッチを何度も押したが、灯りが点くことはなかった。
「停電? それともブレーカー?」
「電気を使っていないのにブレーカーが落ちることはないはずだ」
「だったら電力会社の方で停めたとか……」
たいした揺れではなかったが、送電線が切断した、あるいは電力会社側が電力を停止させたのかとも思ったのだが、外はこれといって騒ぎにはなっていない様子だった。
一体なにが原因なのだろうかと不審に思っていると、祭壇に捧げていた鏡が淡い異様な光を放ち始めた。
「なんだ……なにが起きている……」
「なに? どうかしたの?」
鏡からは光と共に黒い靄のような瘴気が立ちのぼっていった。
『翔流よ、鏡からなにかが目覚めようとしておるぞ』
「なんだ、あれは……」
黒い靄はひとつの塊となり、その中からはうっすらと、人の形を形作っていく。
さらに凝視していると、靄のなかからはボロボロの外套を纏い、フードを被った人のような姿が鮮明に浮かび上がっていった。




