14 ラッキースケベは苦しみと共に
「……みたわね」
背後から花凜の冷徹な声と、突き刺さるような剣呑な眼差しを感じ、振り返ることができなくなってしまった。
「まさかキミがその……コスプレやアニメにこんなにも興味があったとは――ぐっ!?」
どうにか釈明しようとしたのだが、背後からチョークスリーパーで、頸動脈を的確に締め付けられた。
血流が止まり、力が抜けていく。
さらに顔を真っ赤に染め上げた翔流の耳元で、彼女は冷酷に囁く。
「……お願いだから死んで」
神社の娘とは思えぬ言動と行動。彼女の殺意は本物だ。
だが、それ以上に翔流には気になることがあった。
「……ううっ……こ、これ……には……ぐふっ……ふふっ……」
「なにを笑ってるのよ、気持ち悪いわ――」
体が密着することで、背中に彼女の胸がこれでもかというくらいに押しつけられる。
地獄のような苦しみと、久しぶりの生物の温もり、さらには魅惑のおっぱいの感触が、飴と鞭となって襲いかかった。
初のラッキースケベの体験に、翔流が昇天しそうな笑みを浮かべながら苦しんでいると、
「――くっ!? この変態!」
察した花凜は絞め技を解いて、汚らわしいものから離れるように退いた。
「ゲホッゲホッ……押しつけてきたのはキミだぞ!」
「押しつけてなんかない! この変態!」
「……だいたいキミが慌てすぎなんだ。たかが秘密をみられたぐらいで」
「勝手にクローゼットを開けた、あんたが悪いんでしょ!」
そのことについては弁解する余地はございません。
「べつに恥ずかしがることじゃないだろ。キミが魔法を好きな時点で、そのルーツが魔法少女モノのアニメや漫画だったってことはわかっていたよ」
「うるさい、うるさい、うるさい!」
「それに定番だ、魔法少女に憧れる中二病の女子ってのも」
中二病の設定ではよくあることだ。魔法少女やヒーローに憧れるってのは成長過程において自然なこと。なんも真新しいことではない。
「わたしはちがう! 断じてちがう!」
「恥ずかしがらなくてもいい。手のひらに気を溜めたり、箒にまたがって空を飛ぼうとしたり、呪文を唱えたりする経験はだれにでもある」
「ねねね、ねえーし! そんなことやんねえーし! 箒にまたがったりとかしねえし! 詠唱もしらねえーし! 中二病じゃねぇーし!」
花凜は顔を真っ赤に染め上げ、平常心を失っていた。
これは完全に認めたようなものだ。
「同じ仲間なんだから、べつに隠さなくてもいいじゃないか」
「だからやらねえーし! 仲間にすんなし!」
「たとえば、魔法学校からいずれ手紙が届く、未知なる異能が目覚めて能力者になるとか、いまだに思ってるんだろ?」
「な、ななななな、ないわよ! ああああ、あるわけないじゃない!」
「魔法が使いたいって言ってるのにか?」
「そ、それとこれとはちがうし……」
「同じようなことだ。もう正直になれ」
「わたしのなにがわかるっていうのよ!」
「わかるよ。ボクだって体面を気にして好きな物を好きって言えないで生きてきたんだ。これでもね」
「……あんたが? 隠してるようにはみえないけど」
学生時代の友人や両親から悟られないように、こそこそと異世界へと思いを馳せていた。
「魔法とか超能力や幽霊とか異世界とかさ、非現実的なことに夢を見るのは多くの人が通っていく道さ」
みんな夢を見て、やがて夢は潰えていく。そういうものだ。
「あんたに言われるとは……いや、こじらせたあんただから言えるのか」
本来なら成長と共に現実を知り、常識の範囲内で物事を考えていくものだ。そして中二病からも卒業していく。
「そう、ボクは現実を受け入れるわけにはいかなかった。だから、みんなのように夢から覚めるわけにはいかなかったんだ」
「異世界をみてしまったから?」
翔流はうなずく。
「人目を気にしてコソコソと陰に隠れて知識を収集してた。なにをしてるんだろうって客観視することもあったけど、それでも諦めきれなくて……気がついたら独りになっていたんだ」
同級生は就職し、結婚して子供が生まれたりと幸せな家庭を築いている者も多い。
翔流はそんな真っ当で立派な人生に背を向けて、振り向かないようにしながら夢へと邁進していくしかなかった。それが絶対的に叶えられることのない夢であったとしても。
「……悲惨ね」
「これは夢を追い続けることへの代償なんだ」
子供の頃からずっと夢を見続けていた。
同級生が大人への階段を昇っていくなか、翔流は立ち止まって異世界へと思いを馳せ、他人からすれば幼稚でくだらない、とても小さな事を一つ一つ積み重ねていった。
自分がしていることに疑問を持ちながらひとりで苦悩し、ひとりで悲しむ。たとえそこに喜びが生まれたしても、だれとも分かち合うことなく常に淋しさがつきまとった。
好きなことを探求していくことは孤独ばかりだ。
それでも夢が叶ったとき、いまの苦しみが報われ、最後に笑えると信じて走り続けるしかなかった。
「ボクも手本になる人がいなかったら、途中で挫折していたと思う」
「手本って、お姉さんのこと?」
「そう。姉さんはたとえどんなに嘲笑されても、信念を貫き通したんだ」
「変わった人ね……」
「……だから夢を叶えられたんだと思う」
なんでも人並み以上にこなし、他人とは全くちがうものをみて、そこに向かって邁進した。だからこそ鏡子は、念願の異世界に辿り着けたのだと思う。
「そういえば、家の人は?」
「弟よ……カバンを置いてすぐに遊びに行ったみたい」
「それならよかった」
どこかしんみりとした重たい空気に包まれていると、クローゼットの奥の方から興奮したダークシャドーが声を張り上げた。
『あったぞ! たぶんこの箱じゃ、間違いない!』
「花凜くん、クローゼットの奥の方に怪しい箱がないか調べてくれないか」
「箱? ちょっと待ってて」
花凜は奥にある謎の箱を取り出そうと、クローゼットの中を片付け始めた。
探している間、やることもなく所在なさげにしていた翔流は、ふと花凜のお尻に視線が釘付けになる。
短いスカートから張り艶の良い太ももと、ギリギリのところで隠れている下着が気になり、目を背けることができなくなってしまった。
好みの対象でもない相手。
しかも女子高生。
いけないとはわかっていても、ついつい目がいってしまう。
これぞ悲しき男の性。
さきほどの失態に性懲りもなくと思いつつも、女性の部屋に来たことと、さきほどの攻防により、変な気分に陥っていた。
これではいかん、と邪念を振り払い、部屋の中を歩き回りながら悶々と葛藤していると、
「どうしたの? 壁なんか見つめて?」
花凜がようやく箱を取り出してきた。
「少し……精神統一を」
「あっそう。で、箱ってこれのことかな?」
花凜が手にしていたのは埃をかぶった段ボールの蜜柑箱だった。箱の上には黒の油性ペンで雑貨類と走り書きされている。
期待していた古めかしい箱とはかけ離れた、生活臭のする庶民的な段ボール箱ではあったが、ダークシャドーが興奮しながら『その中じゃ!』と肯定した。
「この箱みたいだ」
ガムテープを剥がして中を確認すると、使われなくなったノートや教科書に雑貨品などに紛れ、小さな置き鏡が納められていた。
『この鏡じゃ! 間違いない! 並々ならぬ禍々しさを発しておる!』
「どうやら、その鏡らしい」
円形の形をしたアンティークの置き鏡だ。金色の縁に囲われ、そこには精巧にできた花の装飾が施されている。ぱっとみただけでも年代物であることが窺い知れた。
花凜は鏡を手に取ると、鏡面に困惑顔を映し出した。
「……なんか納得したわ」
「なにを?」
「この鏡……ヨーロッパの高貴な人が愛用していたとかで、海外旅行のお土産として貰ったものなんだけど……なんか夜中に異様な存在感があるっていうか……気味が悪いから片付けておいたのよ」
デザイン的にこの部屋に置かれていても違和感がない鏡ではあるが、遠ざけておきたかったというのは、なにかを感じ取ってのことなのだろう。
『どうじゃ、翔流もこの鏡から禍々しい力を感じ取れるであろう?』
「あ、ああ……」
翔流も鏡をじっと注視してみたが、悲しいことに鏡からは不思議な力を感じ取ることはできなかった。
『まさか、勇者であるお主がなにも感じぬわけではあるまいな?』
勇者としての資質を問われ、翔流はまたしても悪癖を発症させる。
「ふっ……もちろん、ひしひしと感じているさ……それどころか、この鏡がなんであるのかも推察できている」
『なんじゃと!?』
嘘と真実が半分だ。しかし、鏡と言えばひとつだけ思い至る節があった。
「なにかわかったの?」
「この鏡は人間の闇や取り憑いた悪しき者を映し出す力を秘めた真実の鏡だ。たぶん闇の力に干渉しすぎて、穢れてしまったんだろう。それで禍々しい力を宿すようになったんだと思う」
「どうしてそんなことまでわかるのよ?」
「それは……知識と経験さ」
「また裏打ちのないデタラメなこと言って」
真実はどうでもいい。とりあえず脚色したり、背景を乗せていけば気分が盛り上がる。それはモチベーションを保つためにも必要なことだ。
『ほう、そこまで見通すとはさすがは勇者である』
「浄化をすればまた真実の鏡としての役割を担い、きっと異世界へと繋ぐゲートとなってくれるはずだ」
『して、浄化とはどうすればよいのじゃ?』
「……それは……いいんじゃないか、このままでも……」
『そうなのか?』
感嘆とするダークシャドーはこの設定を掘り下げようとしたが、翔流は行き詰まる。
「……とにかく、はやく持ち運ぶ準備をしよう――花凜くん、なにか他に段ボールはないだろうか」
『のぉ、本当に浄化はせんでよいのか?』
これ以上の脚色は己の首を絞めるだけだと、ダークシャドーを無視して翔流はてきぱきと率先して鏡を運び出す準備に取りかかった。




