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第4話:一次選考の開始と、監視員(アリア)の追跡。

1. 就活スーツとの決別と、特殊装備(デバッグ・ギア)の調達


「おいハジメ。お前、その薄汚れた、泥だらけの黒い上着……いつまで着てるつもりだ? これからギルドの本格的な依頼(クエスト)を受けに行くってのに、そんな防御力ゼロの布切れ一枚じゃ、ゴブリンの錆びた短剣どころか、その辺の野良猫の爪でも致命傷(即死)になるぞ」


迷宮都市・アレスタの三日目の朝。


宿屋『跳ね馬の足跡亭』の一階にある食堂で、ガロンがエールをあおりながら、ハジメの服装をジト目で睨みつけていた。


ハジメが着ているのは、地球から転移した時に着用していたリクルートスーツだ。101社落とされる間に何度も揉まれ、さらに昨日は地下遺跡の泥とイノシシの返り血で黒い生地が斑点模様に変色している。隣のレンも、高校時代のくたびれたジャージの上着を羽織っているだけで、とてもこれから命がけの戦場に向かう冒険者には見えなかった。


「ガロン、これはただの布切れじゃない。『リクルートスーツ』っていう、俺の世界の戦士たちが面接官という名の魔王に挑むための正装なんだよ。まぁ、防御力がマイナスなのは認めるけど」


ハジメは苦笑しながら、割れていないメガネを押し上げた。


「マイナスってなんだよ! 頼むから着替えてくれ。お前が死ぬたびにレンが心臓をバチバチ言わせて生き返らせるの、見てるこっちの心臓が持たないんだ。幸い、昨日のイノシシの素材(ワイルドボアの毛皮と牙)が高く売れたからな。まずは街の頑固な職人のところに行って、最低限の装備を整えるぞ」


ガロンの案内で三人が向かったのは、街の「東区(今日の配置)」にある、煙突から黒煙を激しく吹き上げるドワーフの鍛冶屋『鋼鉄の槌亭』だった。


店内に一歩足を踏み入ると、鉄を叩くカンカンという甲高い音が響き、熱気と油の臭いが肌を刺す。奥からは、髭を蓄えた厳つい大柄なドワーフの親方が現れた。


「ガロンの坊主か。また不運で剣でも折ったか? ……ん? 隣にいるその奇妙な格好のガキどもはなんだ」


「いや、親方。こいつらの新しい装備を作ってほしくてな。ワイルドボアの上質な毛皮と牙はある。予算はこれで足りる分だけ、何とか実戦に耐えうる防具を作ってやってくれ」


ガロンがカウンターに革袋を置く。


親方は毛皮と牙を品定めし、「ふむ、素材は悪くないが、この予算じゃ頑丈な鉄の鎧は無理だぞ。せいぜい普通の皮鎧が限界だ」と鼻を鳴らした。

「親方、普通の皮鎧じゃダメなんだ。俺の耐久力(ステータス)はオール『 G 』のゴミだから、重い鉄の鎧を着たら重さで自滅する」


ハジメがカウンターに身を乗り出し、鍛冶屋の棚に並んでいる「ある素材」を指差した。


「代わりに、あの棚の奥にある『不伝導性のゴムの木から採れた硬化樹脂の端材』と、こっちの『魔獣の骨の粉末』を使わせてくれ。あと、俺の服の構造は、こうしてほしい」


ハジメは羊皮紙を取り出し、前世のデバッグバイトで見た「特殊な衝撃分散システム」の構造図を、現代知識(理系の雑学)を応用して描き殴った。


「普通の鎧は『硬さ』で攻撃を止める。だけどそれだと、衝撃がそのまま中の俺のゴミみたいな内臓に伝わって即死するんだ。だから俺の防具は、硬化樹脂のプレートを、魔獣の毛皮の間に『ハニカム構造(正六角形の隙間)』で配置してほしい。衝撃を全体に分散させて、受け流すための仕様(バグ取り)だ」


親方はハジメの描いた歪な図面をじっと見つめ、驚きに目を剥いた。


「……おい、ガキ。この『ろっかくけい』の組み合わせ、強度を保ちながら重量を極限まで減らす構造か……!? なんでこんな神の幾何学を知ってやがる。おもしろい、この親方バラド、職人のプライドにかけて作ってやる!」


さらにハジメは、レンの装備についても注文をつけた。


「親方、レンには武器は要らない。その代わり、このワイルドボアの牙を砕いて、特製の『導魔線』を仕込んだ、両手の籠手(ガントレット)を作ってくれ。レンの能力(AED)は、掌から直接魔力の電気ショックを叩き込む。だから、牙の魔力伝導率を利用して、ショックの『出力(ボルト)』を極限まで高めて、蘇生成功確率(バフ)を底上げするんだ」


「なるほど、俺のショックボタンの感度を上げるわけか。いいじゃん、ハジメ」


レンがニカッと笑い、自分の大きな拳を合わせた。


数時間後、鍛冶屋から出てきた二人の姿は、完全に一変していた。


ハジメが身に纏うのは、一見すると軽量な黒いレザージャケットのようだが、内側には衝撃を極限まで殺す特殊硬化樹脂のハニカムプレートが仕込まれた『衝撃分散の黒外套(デバッグ・コート)』。


レンが両腕に装着したのは、ボアの牙が不気味に装飾され、内側に魔力のパルスを高める回路が組み込まれた重厚な『魔力増幅の鉄籠手(リブート・ガントレット)』。


「よし、これで就活スーツとは決別だ。俺たちの『一次選考』へ行くぞ!」


ハジメが新しい黒い外套を翻し、メガネをキリッと光らせた。


2. 壁ハッキングの目撃者(アリアの追跡)


「おい、本当にこの道で合ってるんだろうな、ハジメ。俺の持ってるギルドの『公式マップ』だと、この先は完全に高さ10メートルの防壁で行き止まりだぞ。ギルドに行くには、大きく西の商店街を回り込まないといけないはずだ」


ガロンが不安そうに、手元の羊皮紙の地図と、目の前を塞ぐ巨大な石壁を見比べた。


アレスタの街の中央区。ギルドへと向かう近道のはずの裏路地は、今日の「配置換え(バグ)」のせいで、完全に巨大な石壁によって遮断されていた。


現地人の感覚なら、ここで大人しく引き返すのが普通の選択だ。


「だから言ったろ、ガロン。公式の仕様書(マップ)なんて信じるなって。あいつらは、プログラムの表面上の壁しか見てない。裏側でデータがどう噛み合ってるか、全くデバッグできてないんだよ」


ハジメは不敵に笑い、壁に近づいた。


新しい『デバッグ・コート』のポケットから、先ほどバラドの店で貰った鉄のヘラを取り出す。そして、壁のレンガの継ぎ目、特に魔力の残滓が青く微かに光っている「データの接続点(ノード)」をじっと見つめた。


(昨日、脳内で見たエラーログの構造だと……今日のパターンCの反転バージョンは、ここのオブジェクトの座標設定が『 0.01ミリ 』ズレてる。つまり、ここのレンガの摩擦判定は、仕様上【ゼロ】だ)


「レン、ここだ。この青い光の右下、ここを指先で『トントン』と二回、等間隔で叩いてくれ。強く叩いちゃダメだ。システムがフリーズして壁が崩落するから、優しく『ダブルクリック』するみたいにな」


「おう、ダブルクリックな。パソコンの授業でやったわ」


レンが重厚な鉄籠手の指先で、ハジメが指定したレンガの一点を、トントン、と小気味よく叩いた。

直後――。

ガコォン……。


街の底から、昨日聞いたものと同じ不気味な機械音が響いた。


次の瞬間、目の前を塞いでいた高さ10メートルの強固な石壁が、まるで映画の特撮のように、音もなく、綺麗にスライドして左右に割れたのだ。その向こう側には、露店が立ち並ぶギルド前の中央大通りが、お披露目のように広がっていた。


「なっ……なんだこれ……! また壁が動きやがった……! お前ら、本当に人間か!?」

ガロンが三度目の大絶叫を上げようとした、その時だった。


「――な、何をしたの、今!?」

背後の路地裏から、鋭く、しかし完全に動揺しきった、鈴を転がすような女性の声が響いた。


三人が驚いて振り返ると、そこには、息を切らせて胸元を押さえている一人の女性の姿があった。


眼鏡の奥の鋭い灰色の瞳、整った顔立ち、そしてギルドの制服であるカチッとした青いローブ。


朝、ギルドの受付でハジメに「オールGの粗大ゴミ」のステータスボードを突きつけた、あの冷徹な受付職員、アリアだった。


「あ、アリアさん!? なんでこんな裏路地にいんだよ!」

ガロンが飛び上がる。


アリアは、ハジメとレン、そして左右に綺麗に割れた石壁を交互に凝視し、その綺麗な顔を驚愕に歪めていた。


「私は……朝の登録で、あまりにも異常なステータス(VIT・SとオールG)が出たお二人が気になって、不測の事態(不正の疑い)がないか、ギルドの監視員として後を追ってきたのです。そうしたら……あなたたち、今、街の防壁の『絶対不可侵の結界』を、ただ指先で叩いただけで解除(ハック)しましたね……!? 一体、どんな禁忌の古代魔法を使ったのですか!?」


アリアは、ハジメたちを「犯罪者」か「魔王の放ったスパイ」を見るような目で睨みつけ、懐から魔力を込めた通信用の魔晶石を取り出そうとした。


ここでギルドに通報されれば、ハジメたちの「スローライフ内定計画」は、一次選考(第4話)にして完全に不採用(御用)になってしまう。


「待ちまてアリアさん、これは魔法じゃないんだ!」


ハジメが慌てて両手を挙げて前に出る。


「魔法じゃない……? じゃあ、この頑強な壁が、なぜあなたたちの言う通りに動くのですか! 説明がつきません!」


「仕様だよ」ハジメはメガネの位置を直し、アリアの目を真っ直ぐに見つめた。

「……は? シヨウ……?」


「この街の『配置換え』は、神の偉大な奇妙な奇跡なんかじゃない。ただの『テンプレートの使い回し』だ。ここの壁は、データが噛み合わずに隙間(バグ)が空いてるから、特定の振動(コード)を入力すれば、勝手に隣の座標へと移動する仕様になってるんだよ。あんたたちギルドは、毎朝高い人件費を払って斥候(スカウト)を走らせて地図を作ってるみたいだけど、そんなの、ただの『効率の悪い無駄なデバッグ』だ」


ハジメはポケットから、自分が昨日から描き溜めていた羊皮紙のノートを取り出し、アリアの目の前に突きつけた。


そこには、今日の街の正確な配置だけでなく、「明日」「明後日」「一週間後」の、この街のすべての建物の配置パターンの完全な予測図が、緻密な数式と共に描き起こされていた。


「これ……は……」


アリアの灰色の瞳が、羊皮紙に書かれた内容を追うごとに、激しく小刻みに震え始めた。


彼女はギルドの優秀な事務職員であり、街のマップ作成の総責任者でもある。だからこそ、一目で理解してしまったのだ。ハジメの持っているこのノートが、ギルドが何十年もかけて蓄積してきたデータすら遥かに凌駕する、【この街の完全な未来予知の仕様書】であることを。


「馬鹿な……。毎朝、何人もの斥候が命を落としかけながら作っている地図が、たった数枚の紙切れに……。黒野様、あなた、ステータスはオール G のはず。魔力も一般人以下なのに、なぜこんなことが……」


「言っただろ。面接官(ステータスボード)は上辺の数値しか見ない。俺の能力は、他人の作った『失敗(バグ)』を暴くことだ。アリアさん、あんたがギルドに通報するって言うなら止めない。だけど、もし俺たちを見逃して、俺たちの『仕事』に協力してくれるなら……毎朝のギルドのマップ作成の手間、俺がこれを使って『一瞬でゼロ』にしてやるよ」


ハジメは不敵に笑い、羊皮紙をアリアの鼻先に近づけた。


アリアは、通信用の魔晶石を握る手を、カタカタと震わせた。規律を守るべきギルド職員としての理性と、ハジメの提示した「圧倒的な効率化(ハッキング)」という悪魔の魅力の狭間で、彼女の頭脳は完全にフリーズしかけていた。


「……わかりました。あなたたちの『不正』の真偽を確かめるためにも、私はあなたたちに同行します。もし、あなたたちの言うことが嘘で、街に害をなすのであれば、その瞬間にギルドの衛兵を呼びますからね!」


アリアは顔を真っ赤にしながらも、魔晶石を懐に仕舞い込み、ハジメたちを鋭く睨みつけた。


「フッ、内定(協力者)一目ゲットだな。よろしく、アリアさん。歓迎するよ、俺たちのデバッグチームへ」


ハジメが手を差し伸べると、アリアは「馴れ馴れしくしないでください!」と、その手をパシッと叩いてそっぽを向いた。


こうして、男三人の泥臭いパーティーに、キレ者の(しかし完全に振り回される運命の)ギルド職員・アリアが「監視役」として加わることになった。


3. 配置バグの無理ゲークエスト(最高難度の配達・探索)


「アリアさんが仲間になったところで、早速ギルドの依頼を受けるぞ。アリアさん、今ギルドに残ってる依頼の中で、一番『理不尽で、誰も達成できなくて、だけど報酬が異常に高いクソ依頼(無理ゲー)』を出してくれ」


ギルドのカウンターに戻った四人。ハジメの要求に、アリアは眼鏡の位置を直しながら、掲示板の最上部、埃を被った棚の奥から、一枚の赤黒い羊皮紙の依頼書を取り出した。


「……本当にこれに挑むのですか? これは、通称『アレスタの詰み依頼(デッドロック)』と呼ばれている、最高難度の探索・配達クエストです」


アリアがテーブルに広げた依頼書の内容は、現地の冒険者にとって完全に「不可能」と断定されているものだった。


【依頼内容:『迷宮都市の心臓(魔導核の破片)』の回収と、大富豪への1時間以内の配達】

【詳細:街の地下迷宮の最下層から溢れ出た『魔導核の破片』が、今日の配置換えの際、街のどこかの建物の壁の内部、あるいは隔離された空間に紛れ込んでしまった。それを探し出し、街の反対側にある『西区の大富豪の屋敷』まで届けること】

【制限時間:発見から『 1時間以内 』(それを過ぎると魔導核が暴走して消滅する)】

【報酬:金貨50枚(一般冒険者の数年分の生活費)】


「この依頼がなぜ不可能なのか、説明します」

アリアが厳しい表情でノートを指差した。


「今日の『配置換え』により、魔導核が紛れ込んだと思われるエリアは、四方を頑丈な防壁に囲まれた、完全に外から侵入不可能な『デッドエンド(隔離空間)』になっています。さらに、仮に奇跡が起きて中に入れたとしても、そこから西区の大富豪の屋敷までは、今日の街の配置だと、入り組んだ大迷路を通り抜けなければならず、普通に走っても最低『 2時間 』はかかります。つまり、物理的な制限時間の制限により、絶対にクリアできない仕様(無理ゲー)なのです」


「なるほど、典型的な『タイムアウトのバグ』だな」


ハジメはアリアの解説を聞きながら、むしろその目が歓喜にギラギラと輝き始めるのを隠さなかった。


「隔離空間(デッドエンド)に、物理的に不可能な移動時間。現地の冒険者が知恵と力(ステータス)だけで挑めば、100%お祈りメール(失敗)を食らう。だけどなアリアさん……プログラムの処理(バグ)を利用すれば、2時間の距離を『1分』に短縮する方法があるんだよ」


「……え!? 2時間を、1分に……!? 何を言っているのですか、空間転移の遺物(アーティファクト)でもなければそんなこと――」


「行くぞ、レン、ガロン、アリアさん。俺たちの『一次選考』、一発で満点合格(クリア)してやる!」


ハジメは新しい『デバッグ・コート』を翻し、ギルドの扉を勢いよく押し開けた。


4. 隔離空間(デッドエンド)へのハッキング


ハジメのナビゲーションに従い、四人が辿り着いたのは、街の「北区」の最果て、そびえ立つ巨大な石壁に挟まれた、不気味なほど静まり返った行き止まりだった。


「ハジメ、ここが公式マップの『デッドエンド(隔離空間)』の壁の裏側だ。この壁の向こうに、魔導核が閉じ込められてるはずだが……どうやって中に入る? さっきみたいに、壁をスライドさせるのか?」


ガロンが大剣を構えながら周囲を警戒する。


「いや、今回の壁はデータが完全に『固定(ロック)』されてるから、外側からスライドさせるのは無理だ。だけど、この世界のプログラマーの手抜きっぷりを考えれば……ここの壁の『厚みの設定』は、おそらく極限までペラペラだ」


ハジメは壁に手を当て、脳内で記憶しているエラーログの座標データを引き出した。


「レン、お前の新しい『リブート・ガントレット』の出番だ。魔力を最大まで込めて、この壁の、この一点に向けて……全力で『右ストレート』を叩き込め。ただし、壁を破壊するんじゃない。お前のガントレットの導魔線から、魔力のパルス(電気ショック)を壁の内部のデータへ直接流し込むんだ」


「オーケー、ハジメ。新装備の初稼働だな。いくぜ!」


レンが大きく息を吸い込み、右腕の重厚なガントレットを引いた。ボアの牙が青白い魔力を吸収し、ガントレットの内側からジジジ……と激しい電磁音が響き渡る。


「ふんッ!!」


レンの渾身の拳が、石壁の一点へと叩きつけられた。


ドンッ!! という凄まじい衝撃波が路地に吹き荒れたが、不思議なことに、石壁にはヒビ一つ入らなかった。

しかし、レンの拳が触れている部分から、青白い魔力の波紋が、まるで水面に広がる波のように壁全体へと広がっていく。


『エラー検出。オブジェクトの衝突判定(クリッピング)が一時的に無効化されました』


「よし、今だ! 全員、壁に向かって真っ直ぐ歩け!」

ハジメが叫び、自ら先頭を切って強固な石壁へと突進した。

「なっ、黒野様、危ない――ッ!?」

アリアが悲鳴を上げたが、次の瞬間、彼女の目は完全に点になった。

ハジメの身体が、まるで水面に飛び込むように、頑丈な石壁をすり抜けて、そのまま向こう側へと消えていったのだ。


「壁抜け……!? 物質透過の最上位魔法を、魔力なしで……!?」


「アリアさん、驚くのは後だ! 早く来い!」


レンがアリアの腕を掴み、ガロンと共に壁へと飛び込む。


アリアが目を瞑った瞬間、一瞬だけ身体が冷たい水を通るような奇妙な感覚に包まれ、次の瞬間には、四方は完全に閉じられた、薄暗い『隔離空間(隠し部屋)』の中に立っていた。


部屋の中央には、不気味な赤黒い光を放ちながら、宙に浮いて激しく脈打っている、拳大のクリスタル――『魔導核の破片』が浮遊していた。


「本当にあった……。誰も入れなかった、歴史の闇に埋もれたデッドエンドの中に……」

アリアが震える声で呟く。


ハジメは『デバッグ・コート』のポケットから、ドワーフの親方に作らせた特殊な不伝導性の硬化樹脂で作られたボックスを取り出し、魔導核を素早く中に閉じ込めた。パタン、とフタが閉まると同時に、ボックスの表面のインジケーターが点滅を始める。


『制限時間:60分(タイムアウトまで:01:00:00)』

「よし、アイテム回収(チェックポイント通過)だ。ここからが、この無理ゲーの本当のバグ取りだぞ」

ハジメはボックスを抱え、不敵に笑った。


5. 2時間の距離を1分に変える「位置座標バグ(位置ハック)」


「魔導核は回収した! だがハジメ、ここからどうする!? あと59分しかないんだぞ! ここから西区の大富豪の屋敷までは、どう走っても街の大迷路を2時間は走らなきゃいけないんだ! 壁を抜けても、物理的な距離は変わらないぞ!」

ガロンが焦りながら、大剣を背負い直す。


アリアも、焦燥感を隠せない様子でハジメに詰め寄った。

「そうです! 街の防壁をすり抜ける荒技は認めますが、ここから西区までは、高さ20メートルの『中央大防壁』が何重にも立ち塞がっています! さすがにあの大壁をすべて透過して走るなんて、レン様の魔力が持ちません!」


「アリアさん、ガロン。現代のゲームスピードラン(RTA)の世界にはな、『位置座標の不具合(座標バグ)』っていう、最高の時短テクニックがあるんだよ」

ハジメは、隔離空間の隅にある、不自然に歪んで空間が小刻みに震えている「部屋の角(世界の隙間)」へと歩み寄った。


「このアレスタの街は、毎晩建物のデータを無理やり移動させて組み替えている。そのせいで、この隔離空間のこの角だけは、データの処理が追いつかずに『座標の設定(XYZ軸)』が完全に狂ってるんだ。ここに、特定の負荷(エラー)をかければ……システムは処理落ち(ラグ)を起こし、俺たちの位置座標を、一番近くにある『読み込み済みの広い空間』へと強制的にバグで弾き飛ばす」


ハジメは、空間が歪んでいる角の前に立った。


「その『一番近くにある広い空間』ってのが、まさに今日のマップの、西区の大富豪の屋敷の目の前にある『大広場』だ。つまり、この角でバグを意図的に起こせば、俺たちは歩くことなく、一瞬で西区へ『ワープ(座標ジャンプ)』できる」


「ざ、座標ジャンプ……!? そんな、世界を欺くようなことが……」

アリアの常識は、すでに粉々に砕け散っていた。


「ただし、このバグを意図的に起こすには、エグい『代償(ギャンブル)』が必要だ。世界のシステムを強制的にバグらせるわけだからな。処理落ちの瞬間、俺たちの肉体には、凄まじい『空間の衝突エラー』の負荷がかかる。アリアさんとガロンは、一般人のステータスがあるから耐えられる。だけど……」

ハジメは、隣のレンを見た。


「オール『 G 』の俺の肉体は、そのエラーの負荷に耐えきれずに……座標ジャンプした瞬間に、100%『即死(フリーズ)』する」


「な、何ですって――ッ!?」

アリアが悲鳴のような声を上げた。

「自分の命を引き換えにするというのですか!? そんなの、ただの自殺です! クエストクリアのために命を捨てるなんて、そんなの絶対に認めません!」

「アリアさん、落ち着けって」


レンが、ガントレットを装着した手をアリアの前に出し、ニカッと豪快に笑った。


「ハジメが死ぬのは、いつものこと(仕様)だからさ。ハジメがジャージからこの黒いコートに着替えたみたいに、俺のこの新しい『リブート・ガントレット』があれば、確率90%以上のチートショックで、ジャンプ先の大広場で『4分以内』に即座にハジメを引きずり戻せる(生き返らせる)。だから、何も問題ない」


「何も問題ないわけがないでしょうがァァァァァッッ!!!!」

アリアの現地人としての、そしてギルド職員としての常識的な絶叫が、隔離空間に響き渡った。


「よし、カウントを始めるぞ。全員、俺の身体に強く掴まれ! 世界の隙間に、俺たちの存在(バグ)を叩き込む!」

ハジメが、空間の歪みへ向けて、一歩を踏み出した。レンがハジメの肩をガシッと掴み、ガロンがそのレンの腰を抱きしめる。アリアは「もう、どうにでもなれですわ!」と半泣きになりながら、ガロンの服の裾を強く握りしめた。


「3、2、1――デバッグ(エラー・実行)!!」

ハジメが、空間の歪みの最深部へと、自分の身体を無理やり押し込んだ。

次の瞬間。


ビキィィィィィィィィンッッッッ!!!!

世界の色彩が反転し、テレビの砂嵐のような凄まじいノイズが四人の視界を完全にジャックした。重力が上下左右に狂い、身体が素粒子レベルで分解されるような、圧倒的なシステムエラーの負荷がハジメを襲う。


(あ、これ、マジで痛いやつだわ……)


ハジメの心臓が、空間のねじれによる負荷でパチンと弾けて停止した。

本日3回目。黒野創、座標ジャンプの負荷による、完全なる死亡(フリーズ)。

――そして、次の瞬間。


ドサササササッッ!! と、激しい砂煙と共に、四人の身体は、眩しい太陽の光が降り注ぐ、美しい大理石が敷き詰められた広大な大広場へと、文字通り「空から降ってきた」ように叩きつけられた。


6. 4分間の最終面接(西区の大広場)


「痛たたた……。おい、マジで一瞬で街の反対側に着きやがったぞ……!」

ガロンが腰を押さえながら立ち上がり、周囲を見回した。


そこは、先ほどまでいた薄暗い北区の隔離空間ではなかった。目の前には、白亜の美しい巨大な屋敷がそびえ立ち、噴水が優雅に水を吹き上げている。今日のマップにおける、紛れもない『西区の大富豪の屋敷前・中央広場』だった。


北区から西区まで、2時間の距離を、文字通り「たったの1秒」で移動しきったのだ。

だが、その代償は、広場の中心で冷たく横たわっていた。


「ハジメッ!!」

レンが、砂煙の中からハジメの身体を抱き起こした。


ハジメの目は完全に虚空を見つめ、新しい『デバッグ・コート』の上からでも、心臓の鼓動が完全に止まっているのが分かった。口の端からは、ジャンプの負荷による血が流れている。


『対象:黒野創。座標エラーによる生命活動停止を確認。制限時間(ロスト・リミット):240秒(04:00)』


レンの脳内に、本日3回目のAED魔法陣が激しく明滅を始める。

【03:59】

【03:58】

「ア、アリアさん、突っ立ってないで、ハジメのコートの胸のボタンを外してくれ! ガロン、大富豪の屋敷の門番に『依頼の品を持ってきた』って叫んで、門を開けさせろ! 4分以内にすべてを終わらせるぞ!」


レンが叫び、新しい『リブート・ガントレット』の両手をハジメの胸の真ん中に強く押し当てた。

「ひ、ひぃぃ……! わかりました、わかりましたから、死なないでください黒野様!」


アリアは涙目でハジメのコートのジッパーを下げ、胸元をはだけさせる。ガロンは「おい! 西区の門番! ギルドの特級依頼の品だ! 今すぐ門を開けねえと、この魔導核が暴走して屋敷ごと吹き飛ぶぞ!」と、大剣を振り回しながら門番に突撃していった。


「1、2、3、4――!」

レンの胸骨圧迫が開始される。新しいガントレットの内側で、ワイルドボアの牙の導魔線が、レンの注入する魔力を驚異的な効率で電気パルスへと変換していく。

ジジジ……と、ハジメの胸元で小さな青い放電が走り、ハジメの壊れた肉体へと、強制的な生命の鼓動(プログラム)が送り込まれていく。


【02:00】

「充電完了……ショックが必要です。ガントレットの出力、最大(マックス)」

レンの脳内のAEDインジケーターが、新装備のバフ効果により、術者の体力をほとんど削ることなく、一瞬で【95%】という驚異的な成功確率を叩き出した。


「お前、まだ神様への履歴書も書いてねえだろ! 102回目の面接、合格(内定)するまで、俺が何回でも引っ張って戻してやる!」


レンが、ガントレットの拳を、ハジメの胸へと強く叩きつけた。

バチィィィンッッッッ!!!!

「カハッッッッッッッッ!!!!」

ハジメの身体が大きく弓なりに弾け、その口から大量の空気が吸い込まれた。虚空を見つめていたハジメの瞳に、確かな理知の光がリブート(再起動)される。


「……ふぅ。……お疲れ、レン。今回のジャンプ、前世の満員電車より、キツかったわ……」


ハジメは鼻血を拭いながら、レンの手を掴んでゆっくりと立ち上がった。


その時、大富豪の屋敷の巨大な鉄門がガラガラと開き、中から高級なシルクの服を着た大富豪の老人と、武装した多くの護衛たちが、驚愕の表情で走ってきた。

   バナナ 

「ば、馬鹿な...! ギルドに依頼を出して、まだ30分も経っていないぞ! 北区の隔離空間にあるはずの魔導核を、どうやってここまで届けたというのだ!?」


ハジメは、バラドの店で作らせた硬化樹脂のボックスを、大富豪の老人の目の前に突き出し、メガネの位置をカチッと直して、最高に不敵な、狂気的な笑みを浮かべた。


「お待たせしました、面接官(クライアント)。『内定ゼロ』の俺たちの、最初の完璧なデバッグ(仕事)の成果です。報酬の金貨50枚、一括での満額支給(内定)をお願いします」

大富豪はボックスの中の魔導核を確かめ、その完璧な状態に、ただただ「素晴らしい……」と震える声で呟くしかなかった。


その様子を後ろで見守っていたアリアは、腰を抜かしたまま、屋敷の前に立つハジメとレンの新しい後ろ姿を見つめていた。


オール G の最弱の少年と、魔力ゼロの頑丈すぎる大男。彼らは、ギルドの誰もが「絶対に不可能」と断定した無理ゲー(仕様)を、世界のルールそのものをハッキングして、傷一つなく、たった数分でクリアしてのけたのだ。


(この人たちは……本当に、この世界の『神』すらも、その手でデバッグしてしまうかもしれない……)


アリアの心の中に、恐怖を遥かに超えた、未知の『ワクワク感』が、強く、深く芽生え始めていた。


『内定ゼロで異世界転移した俺たちの、4分間(ギャンブル)蘇生逆転劇』――彼らの『一次選考(第4話)』は、世界を完全にバグらせる圧倒的な満点合格(クリア)で、その幕を閉じるのだった。

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