師匠
とんでもなく疲れた一日だった。
泥のように眠ったオレとアキは、翌朝、そのニュースを知って驚き、そして喜んだ。
沖縄巨大地震
震度6強 建物倒壊多数。
――されど死傷者、ケガ人は、なし。
全員救えてたんだ!
「沖縄の奇跡だって」
「まあやりすぎたけどさ」
「命には代えられないよね」
「ああ。よかった!」
「うん、よかった!」
遠くない未来。
世の中はこの奇跡の秘密を知ることになる。
だが、それはまだ先の話だ。
そして今日は石川師匠とのアポイントの日。
剣道具持参で来いと言われているのでガラガラとバックを転がして家を出る。
すこし前までは背負うタイプのリュック型を使っていたのだが、連盟から紹介されたメーカーからガラガラ……スーツケースみたいな流行りのやつをプレゼントされてしまったので使ってみたらめちゃくちゃ便利だった。
竹刀袋も差せるし、片手が空くのがありがたい。
で、オレが使っていることが広まって、いまこの型は「モデル・ナツ」と呼ばれ、めちゃくちゃ売れているらしい。
今日の行き先は新木場にある警視庁術課センターだ。
ここは「特練員」と呼ばれる警視庁の中でも選ばれし精鋭たちが鍛錬をする場所なのだが、こんなところに呼び出されるなんて恐怖でしかないぞ。
といいつつ、しっかり朝から身体は慣らしてきたけどね。
強い人たちと稽古ができるのはとても楽しみだ。
なお、今日は普通に部活があるのでアキは学校で稽古をしている。
新木場駅からガラガラゴロゴロと剣道具を転がして歩くこと15分、ようやく術課センターに到着した。
受付を済ませて構内をガラガラ。
道場に着き、一礼してから中に入り、大きな声で挨拶をする。
「おはようございます! 国土舘から来ました江之島です!」
「止めーーっ!」
号令とともに練習をしていたメンバーがピタリと動きを止める。
ありゃ、間が悪かったかな。
「休憩!」
再びの号令の直後、面を取ったみんながこちらへ押し寄せてきた。
「おお、来たか!」あ!」
「おめでとう」
全員見たことのある有名選手ばかりだ。
日本代表……すなわち世界最強の剣道家たちがここに集まっている。
とはいっても、ほとんどはどこかしらで一緒に稽古をしたことのある人ばかりだ。
これも剣道あるあるだ。
声をかけられて、初めて会った人かなと思ったらその人が剣道家で、「前に〜〜で一緒に稽古しました」なんて言われて「あー!」っていうやつ。
今回の場合は若輩者が覚えてないと失礼にあたるので、昨日は必死に記憶を呼び戻してきた。
そして奥からノシノシと歩いてくるクマのような人が声をかけてくる。
「おう、ナツ!」
「師匠!」
無精ひげの似合う見るからに強そうな男性が歩いてくるのに合わせて道が左右に分かれる。
この人が石川仁桜、八段である。
全日本剣道選手権大会で史上初めて三連覇を成し遂げた剣道界のレジェンドだ。
ちなみに三連覇の直前と直後の大会は欠場していて、出ていたら五連覇していたのは間違いないと言われている。
とにかくめちゃくちゃ強い。
もう異次元の強さだ。
「お時間ありがとうございます」
「まあ話はあとだ。さっさと着替えてこい」
「はい!」
この人の前では身体も心も震える。
憧れとか怯えも、いろんな想いが混在する。
着替えながら思い出すのは師匠との出会い。
小さな道場で素振りをしていたオレに突然声をかけてきたのが師匠だった。
その時はこの人がこんなにすごい人だとは知らなかった。
なんせまだ小学校に入る前だったしな。
オレはずっと「クマのおじさん」と呼んでいた。
本当に子どもって怖いもの知らずだよ。
あとから聞いたのだが、当時のオレの素振りは普通じゃなかったらしい。
五歳が振る剣ではなかったそうだ。
達人にしか分からないものだろうな。
実際に道場ではそれまでなんの目もつけられてなかった。
知り合いの剣道家に頼まれてしばらくの間、手伝いに来たのがこの日だったそうだ。
その日からクマのおじさんに付きっきりで指導を受けたオレは、ひと月でそのちびっこ道場で一番強くなった。
6年生を含む、道場の全員を簡単にあしらえるようになったのだ。
その後、師匠がこの道場に腰を据えてくれたので、小学校を卒業するまでの6年間、その道場で師匠と剣を振り続けた。
師匠の勧めで弟子が監督をしている中学にお世話になることが決まり、それと同時に弟子をクビにされた。
「もう教えることがなくなった。免許皆伝だ」と言われ、泣いて反発したのだが師匠は聞く耳を持たなかった。
さらには次の日から師匠は道場に来なくなってしまったのだった。
あとから実は奥様が倒れたからだったと打ち明けられた。
そこで師匠の現役は終わったと聞かされた。
つまりオレは師匠の最後の弟子ということになる。
「本当はもっと前に引退するつもりだったんだ。でもオレの技を超えていつまでも止まることなく成長するナツを見てたら楽しくてな。区切りが見つけられなくなってたんだよ」
奥様の葬儀で再会したとき、師匠はそうオレに打ち明けてくれた。
奥様との貴重な時間を奪ってしまったのだと愕然とするオレに師匠は毅然と言い切った。
「ナツを育てるのは妻の遺志でもあるんだ。『ナツの才能を伸ばすのは剣道家としてのあなたの務めだ。中途半端なことをするなら離婚する』ってな」
そう言って師匠は奥様からオレに宛てた手紙をくれた。
そこに書かれた言葉は今でも一文一句覚えている。
『驚かせてごめんね。ナツくんが仁桜と積み上げた稽古の時間を大切にしてほしい。それは私にとってもかけがえのない時間だったんだ。ナツは私たちの息子だと思ってる。ナツの成長が私の人生最後の楽しみでもあったんだよ。本当にありがとう。これからもナツらしく剣の道を歩んでね』
オレは人目をはばからず号泣した。
奥様はよく稽古を見に来ていた。
一緒に稽古をしたことも何度もある。
最後の一年は会えなかったけど病気だとは知らなかった。
泣き続けるオレの頭を師匠はずっと撫でてくれていた。
育ての母からもらった手紙は、今でも引き出しの中に大切にしまってある。
思い出せる限り、オレはこの日から誰にも負けてないと思う。
この人たちはオレの大切な育ての親だ。
一生をかけて臨む剣の道を教えてくれた。
オレがオレであるのは、この人たちのおかけだ。




