episode10.
更新がたびたび遅れてすみません。
しぶとく読んでくださると幸いです。
それはいつか記憶、いつかの感情。
忘れられたものが、当たり前のようにふと突然に夢となって現れる。
夢なんて記憶の整理をするための紛い物でそのほとんどは事実ではないと潮には笑われた。けれど、決してそうとは思えない実感が環にはずっとあった。
眠りにつくたび、誘われる記憶の中。
覚えてはいないのに、それは確かに自分の中にあったものではないかと思わずにはいられない。
「環ちゃん」
そう言って優しく穏やかな声で話しかけられる。
顔のほとんどはモヤで隠されていて、誰かは認識できない。
けれど、どうしてだろう。
その声に呼ばれてしまえば、無性に泣きたくなってしまう。「行かないで」と強く思ってしまう自分がいる。でもどんなに願っても、叫んでも、私のその思いは相手には届かないらしい。
遠ざかっていく相手を必死に掴もうとして、手を伸ばす。けれど、その手が取られることも、届くこともない。ただ、冷たさを帯びた虚しさだけが手に残るだけ。
そんな得体の知れない冷たい夢を、私は何度彷徨ってきたのだろうーー。
【明日が綺麗に見えていれば】
episode10. 応答
「……やっぱりあの桜の木は普通じゃなかったか」
結はそう言った。
桜の木。翼は鵜久森神社の敷地に生えてある御神木を思い出した。あの桜は樹齢1000年を超える、鵜久森神社のシンボルだ。大きく、太く、見るものを圧倒させる生命力。そしてその美しさ。
この街にはそんな怪しく美しい桜にちなんだ言い伝えが多く存在する。翼が幼少期によく聞いたのは【春、満開の桜を1人で見てはならぬ。たちまち心が攫われてしまう】というものだった。子どもはそんな事を聞いてしまえば怖さを覚えるもの。けれど、その怖さ以上にあの桜の木は本当に美しい。
「……そう言えば、さっきあの桜の木のこと気になるって結言ってたよな」
「ああ。確かめたいことがある」
そういうと、結は綾に視線を移した。
「はい。……私も結君の気になること、には心当たりがあります。ちょうどもうすぐ日が暮れます。それについて私も確かめたいことがあるので、お二人とも外へお願いできますか?」
「ああ。」
「え?なに?なんなの?」
綾と結はそう言って立ち、襖を開けて廊下へ出た。意図をわかっていない潮は状況を把握できていないまま2人の跡を追う。
「あ、おい!綾!どこ行くんだよ?」
1人残される翼は廊下の綾に声をかけた。
すると綾は翼に近寄り、いつもと変わらない優しい花のような笑顔を見せた。
「翼は環ちゃんのそばにいてあげて。彼女が目が覚めた時、きっと凄く心強いから」
心強いって言ったって…。
さっき混乱させてしまったし、泣かせてしまったし…
「目覚めた時、俺じゃなくて天上の2人がいた方が安心するだろ」
自分で言っておきながら、自分の言葉に少し食らってしまっている。
【環って呼ばないで!!】
そう脳裏に焼きついて離れない彼女の拒絶は、反復されるたびしっかりと心を痛みで満たしていく。
けれどそんな翼の事を全てわかっているかのように、綾は翼の額を人差し指で軽くちょんと突っついた。
「大丈夫。優しい貴方を、絶対環ちゃんは受け入れてくれる。だからね、翼はいつものようにしてればいいのっ」
彼女の優しさと無邪気さは時に人を安心させる力がある。学校でのおとなしく、ぼぅっとしている彼女からは見ることができない頼もしさと心強さ。きっとクラスの人間が今の彼女を見たら「え?鵜久森さんってそんな感じなの?」と言うだろう。
けれど、うん。こういう変化なら、痛くないーーー。
少し心を落ち着かせ、再び1人残された部屋で環のそばに座る。すぅっと寝息を立てて眠る彼女は穏やかだ。その分、頬についた涙の跡が先ほどの状況を思い出させるようで心が痛む。
翼にとって誰かに拒絶されたのは初めてだった。
碓氷翼は一言で言えば、普通の男子高校生だ。優しさと明るさが取り柄なくらいで、友達も一定数いるし、成績も良く、特に問題を抱えているわけでもない。父はいないが、料理の上手な母と、身寄りのない幼馴染の如月翠と2人暮らし。
平凡で、当たり前で、常識に守られていた、なんの変哲もない日々。
「いや、もう平凡なんて事はないな。あの晩、お前と会ってから。」
ポツリと溢した言葉は環に届いているのだろうか。
「俺、なんでかな。初めてお前を見た時、助けなきゃってなんか思った。そりゃあの夜、すげぇ雪が降ってたし、寒かったってのはあるけど…なんかそれだけじゃないって言うか……」
なにを、俺は伝えたいんだろうか。
けど、そうだ。環と話して確かめたいんだ。この原因不明の心のモヤと心の痛みの正体をーーー。
「なあ……環、お前はどうして地上にーーーー」
そこまで言って翼は口を紡いだ。
環は再び、瞼をゆっくり開ける。
何度か瞬きを繰り返し、その琥珀色の瞳に光が宿り始めた。
「……っ。」
翼は目覚めた彼女になんて言葉をかけていいか分からず、彼女の様子をただ待つしかできなかった。
また、なにが彼女を傷つけるか分からない。その思いが翼を弱虫にさせた。
すると琥珀色の瞳がゆっくりと翼に向けられる。
環は翼を見ると、今度は穏やかに微笑み、目から再び涙が溢れた。
「………翼?」
また泣いている。俺は、ここにいない方がやはりいいのかも知れない。
「あ、俺、潮と結呼んでくるわ。」
居た堪れない心が翼を動かし、立ち上がって襖を開ける。ブワッと冷たい空気が流れ込んできたのと同時に
「待って」と声がした。
「…待って、翼。行かないで……。」
そう言って涙を流す彼女は、翼の心を戸惑わせる。
まるで、以前からの知り合いのようなその穏やかで、優しい声をしている。
心臓の音は破裂しそうなほどに大きな音を立て始め、「あ、俺…」と翼はどうしていいか分からずただ立っていることしかできなかった。
「……あのね、さっきは混乱しちゃってて、翼……君は私に事情を教えようとしてくれたのに…困らせちゃってごめんなさい。」
環はか細く白い自身の腕を、天井に向けた。そして、「ここは…地上…。で合ってる?」と苦しそうに笑った。
「…うん。そうだよ」
「そっか。私、来れたんだ。地上に。」
どうしてーー地上に。と言おうとした。でも続きは飲み込んだ。ポツリと溢した彼女はとても寂しそうで、嬉しそうで、複雑な表情を浮かべていた。そしてそれは翼に向けた言葉ではなく、独り言のようなものだったからだ。
だから自分の好奇心だけで、今ここでその事実を明るみにするべきではない。そう思った。
「……手がね、手が凄く暖かったの…。」
「え?」
「眠っている時、何か夢を見ていたような気がするの。詳しくは思い出せないけど、冷たくて凍えそうで、心細かった…。けどね、」
琥珀色の瞳が確かに翼をとらえた。
「手だけはずっと暖かったの。夢の中を彷徨って、心細かった私を何度もその温もりが助けてくれた…。ああ、誰か待っていてくれてるのかな…それなら早く目覚めないとって思わせてくれた。」
環はとても大事なものを大切に握りしめるように、自分の両手を重ね合わせた。そして、
「……ずっと、手を握っていてくれたのは……翼、君?」
ここ数日、ずっと彼女の身を案じていた。初めて会った名も知らない、羽根の生えた不思議な少女。彼女に対して取った行動は、自分でもよくわかっていない複数の衝動が突き動かした。
でもきっと、眠り続ける彼女の手を握りしめていたのはなんとなくわかる。
それは、己の心配や環を安心させたいといったものに近い。でもそれが、夢の中の彼女にとって道標になっていた。心細さを抱えたものにとって暖かさは強い応答でもあったのか。
もっとかけたい言葉も聞きたいこともたくさんある。でも今はただーーー。
翼は彼女の投げかけに、小さく頷く。そして、
「目覚めて良かった。」
と笑った。
読んでくださりありがとうございました!




