目が合えば
大きく青い目がローズを見つめて離さない。
そのもふもふとした白い毛が「ほら、さわって」と話しかけてくるようだ。
「いいのに目をつけたね、お嬢さん! このヴノは珍しい猫とウサギのいいとこどりをしたやつでね、目は青いし、毛はアンゴラウサギのようにふわふわ! どうだい?」
店主に抱えられたヴノに触れて、ローズは目を見開く。
「ほんとうにふわふわ! なんて触り心地がいいの?! それにそれに、かわいい!」
「だろう?! 大人しいし、毛も落ちにくいよ! お嬢さん」
「わたしの連れがいないと代金払えないんです」
「連れとはそいつじゃないのかね?」
店主は抱えたヴノの前足で、ローズの後ろを示す。言われて振り返れば、見慣れた姿がある。が、やはり怒っている。
「なぜ、私から離れたんですか! そうやってふらふらとひとりで歩かないでください!」
「ユズ! ちょうどよかったわ。見て見て、この子連れて帰ることにしたから」
ユズはぎゅっと目を瞑る。眉間に皺が寄って、端正な顔が台無しだ。
商人手形をもっているユズに同行して、その範囲内で歩き回っているローズとしては、感謝してもしきれない。だからこそ、眉間の皺をなくすことに協力したい、とは思っている。
「ね、ユズも抱えてみたら? 眉間の皺消えるかも!」
「私の眉間の皺を心配なさるなら、何よりまず、そのほっつき歩き癖をなんとかしてください! ここにいる間は私の指示に従うと約束しましたよね? どうして港に降り立つと同時にいなくなったりするんですかっ?」
ユズは怒るとなぜか悲しそうな顔になる。眉間に皺を寄せて、手を握りこんで。切れ長の目はローズをまっすぐに見つめて。
「ごめんなさい。つい面白そうなものが目に入ってしまって。もう離れないわ。安心して?」
「信用なりません。私の腕を掴んでおいてください。店主、代金はいくらになりますか」
「まいどーっ!!」
ユズの怒りの上限を超えてしまった、気がする。
ローズと一緒にいると、ユズは怒る。よく、怒る。きちんと謝って仲直りして、笑いあう。それがいつも。
いまのユズはいつもよりも怒っている。
ユズは軍人ではないけれど、家族は軍籍だ。それもローズの父の部隊にいる。だからローズの身分を知っている。半神という前例のない立場とはいえ一応は皇族のローズに自ら触れるようにはしなかった。それはユズの中で決めたルールのようで、危機があるときでもそれを守ろうとしていたのに。
ユズはローズの手を自分の腕に乗せた。
ユズの心配はローズの思っていた以上で、きっと、ローズには計り知れないほど。
触れた先の腕が冷たくて。
「ユズ、あの」
「店主、これはあちらの店よりも二割高いだろう、適正な値だけ払おう。その餌セットも込みだな。それから、……っ!」
ユズがローズを抱え込んで飛び退る。ローズが一瞬前までいたその場所に大柄な男がなだれこむ、かと思えば、大柄な男は空へ吹っ飛ぶ。歓声が沸いた。
「シンさまー!」
「ロウさまも! ロウさまーっ!」
歓声を浴びている銀髪の男がため息をついた。
「危ないじゃないか、女性のいるほうへ蹴るやつがどこにいる」
「うるせー! ちんたらしてたやつが何を言う!」
ローズの目の前で口喧嘩を始めた二人が順番に蹴って空へ飛ばしたようだ。
どうやら、まばゆい銀髪のすらりとした細身の男がシンと呼ばれている方だ。整った美丈夫だからか、女性たちの叫ぶような黄色い歓声がやむ気配がない。黒髪のしっかりとした体躯のロウと呼ばれている方は、面倒そうに舌打ちして耳を手で覆った。
「ローズさま」
ユズがローズの顔を覗き込んでくる。
「ユズ、ありがとう。ユズけがはない?」
「私は頑丈なので。ローズさま、引っ張った腕は大丈夫ですか?抱えた肩は痛んでいませんか?痣になってはいませんか?もしや埃を吸われて喉を傷めていませんか?心臓は正常ですか?あぁ驚かれましたよね、ご気分は悪くなっていませんか?ローズさま、俺の眼を見てください、……視野は大丈夫ですね、そうだヴノは逃がしていませんか?」
まれに発動するユズの心配性にスイッチが入ってしまった。ローズに危険が及んだとき、ユズは度を越した心配侍従のようになる。素が出るのか、一人称まで変わってしまう。ローズはユズの両手を握ってぶんぶん上下に振る。
「大丈夫。ユズが庇ってくれたから!」
ユズの心配性を止める方法はローズが安全圏に帰ることだ。せっかくクローズガイアにまで来たのに、後ろ髪をひかれる思いはあっても、それをユズの心労と天秤にかけるわけにはいかない。
「ユズ、帰りましょう」
「はい、ただちに」
ユズは素早く立ち上がり、ローズを引っ張り上げる。はずみでヴノが跳ねて騒ぎの中心へとかけていく。
「あっ」
ヴノがシンという人の膝に突進する。
「すみません、その子っ」
「可愛らしいこの子はあなたのですか? おっと」
ヴノがシンから跳び逃げる。
「うぉっ」
ロウが飛び込んできたヴノをキャッチする。が、抱きしめられた腕からすぽんと抜ける。ヴノは空を飛べない。受け止めなければ、ヴノが怪我をしてしまう。
ヴノが落ちそうな場所はローズの足では間に合わない。ただでさえレンガ造りの道では歩きにくいのに。
「ユズっお願い!」
ユズがローズの前を行く。が、ユズが間に合いそうにないのは瞬間的にわかる。衆人環視の中、風を使うしかないと覚悟して手で風を引っ張ろうとした瞬間、ユズの目の前に滑り込んだ影がある。
藍色のマントがはためき、マントから伸ばされた手が、落ちるまえにヴノを受け止めた。ヴノはたったいま命の危機だったことも知らず呑気に伸びをする。
藍色のマントを纏った男がヴノを抱き上げて立ち上がる。ユズに続いてローズも追いつき、ほっと息をついた。
「すみませんっその子わたしのなんです!」
受け止めたままのヴノをローズに差し出す。受け取るとヴノは目を閉じて眠る態勢に入る。差し出された手は藍色の手甲で守られていた。目深にかぶっているマントをさらにぐいっと引っ張る。顔を見せない強い意志を感じた。
「あの、ありがとうございました!」
「いや……」
藍色のマントを纏った男が背を向けようとしたとき、彼とローズの間に海風が吹いた。さらりと揺れるマントの奥の目と一瞬かち合う。
目が、あった。
花びらが舞った。
考えるよりも先に手が藍の方の手を掴んでいた。彼は半身振り返る。その顔を下から覗き込む。
「なっ」
「お嬢さまっ?」
花びらを降らしながら、ローズはたじろぐ藍の方の腕を支えにして、背伸びする。藍の方は首をそらして、顔を見せまいとする。
なんとか、もう一度見たい。
深海の静寂そのものを映したような、藍色の瞳。
「お嬢さん、情熱的ですね」
「そこまでにしてやんな。美人に見られることに慣れてねぇ男もいるんだ」
シンとロウに藍の方が逃がされる。同時に、ローズはユズに捕獲される。
「お嬢さま、興味津々なのは相手の嫌がらない範囲にしてください」
「あ、ごめんなさい! つい、綺麗だったから」
「お三方、ご迷惑をおかけしました。お嬢さま帰りましょう」
「あ、お待ちを。手形持ちの方ですよね? 拠点はここではないですね?」
シンがユズに話しかける。
「はい。拠点はグランツェに」
「そのヴノは国外持ち出し禁止なのです。最近出回り始めたためにご存知ないかもしれませんが」
「えっそうなんですか?」
ヴノを抱えた手に力がこもる。すやすやと眠るヴノをいまさら手放すことができない。しかし、国の法を犯すことはできない。逃げ道があっても、ローズの立場でそれをしてはいけないのだ。
「お嬢さま、致し方ありません」
ユズが手放すように促す。
「ユズ、でも……」
すっと手が差し出される。手を追っていけば藍の方がヴノを抱きとるように手を差し伸べて待っている。
「あなたが、預かってくれるのですか……?」
彼は強く頷いた。
ローズは他に何も聞かなかった。ヴノを起こさないように、ゆっくりと彼に近づいて、ヴノを預ける。
「お願いします」
ヴノを藍色マントで包み込んだ彼は何か言いたげにローズの方を向いたままで、ローズも動きたくなかった。
もうこんな機会ないかもしれないのに。
そう逸る気持ちだけで言葉が思いつかない。
ローズをユズが呼ぶ。
藍の方もシンやロウにせっつかれている。彼が踵を返した。ローズは口を開くも声はでなかった。
彼が振り返る。振り返る勢いのままローズの目の前まで足早に迫る。ユズの制止に耳を貸さず、彼はローズのフードと耳の間に顔を割り込ませる。
「預かる。君が城に来るまで」
ちらりとあった目が、耳朶に響いた声が、ローズの肌を震わせる。体の中で知らない花が芽吹くのを感じる。花びらがばさっと舞う。瞬時に白色から桜色に色を変えて。
とても会いたかった。
その言葉を言いたかったのだと、帰りの船でようやくわかった。
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