託す気持ち
クローズガイアの青く光る城にはどうしてか風は情報をとりにいけない。射程距離だというのに。
彼が城から出たとき、ローズにその情報が届いたときこそ、ローズの偵察出発となるのだ。そして、それは今だ。
ローズはちらりと寛ぐ兄をみる。サンルームの長椅子で、長いおみ足を存分に伸ばしたユーシュが、お腹を猫にベッドとして提供していた。
一部隊の隊長をしているユーシュが今日は出勤していない。
ユーシュはローズの勤め先で男とみるやいなや蹴りだした前科がある。市井ではシスコンなどと呼ばれている兄の沸点は実はよくわからない。ローズに近づく男というだけでは蹴りだしはしない。よくともにいるユズや街で立ち話をする人には蹴りはさく裂しない。
ただ、確実なのはローズが勝手に外出すると怒ること。
クローズガイアまで偵察に行くなんて烈火のごとく怒りだすに決まっている。
「ローズ、買い物に行くが」
猫がユーシュから降りて解放された途端に、身体を起こしてローズに向く。
「えっいってらっしゃいませ!」
ユーシュが外出。その間に出発さえしてしまえばこちらのものだ。長椅子から立ち上がったユーシュはじっとローズの顔を見る。
「ローズもくるだろう。俺に店を案内する約束だったな」
「えっ今日でなければだめですか?」
軍で働いてばかりの兄にはやりの店など案内するとはいったけれど、今じゃない。
「さっきから呑気に本をよんでいるから誰かと約束した予定はないんだろう」
「いえ、ユズと」
「ユズは忙しいんだから、ローズの遊びにばかり付き合えないだろう。それとも、俺に言えないことでもやるつもりか」
「いいえまさかそんなわけないじゃないですか。ユーシュ兄さまがわたしの行きたい場所では退屈ではないかと思って」
「どこでも変わらんだろう」
言質はとった。
ローズはにっこりと笑顔でショールを羽織る。今日は水色のワンピースだから、薄い灰色のショール。露出した肌から花が溢れてしまうローズにショールは必須だ。城下街の人たちはローズが花を咲かせることを知っているけれど、あまり見せないほうが良いと父から注意されている。
「では行きましょうか、ユーシュ兄さま。わたしの行きたい場所ですけれど」
予想通り行先にユーシュが気付き異を唱えたけれど、言質をとったローズは笑顔で退けた。どこでも変わらんと仰ったではないですか、と八回繰り返すころにはクローズガイアについていた。
ユーシュは黒色の、ローズは灰色のマントをかぶっている。ショールがあるから断ったけれど、花を降らすこと以外も隠す必要が大ありです、とユズが頭からかぶせた。ユーシュにもそれは例外ではなく、見事なはちみつ色の髪ですぐにグランツェ皇家とばれてしまうと言われ不承不承かぶった。
ふたりもマント人間を連れ歩くことになったユズは心なしかやつれて見えた。
「ユズユズ!」
貿易商人として港町に入る手続きを済ませたユズの腕をひっぱり、声を潜めて耳打ちする。
「今日は市場に行くみたいなの!」
「この前みたいなことはだめですよ。私の指示に従えますか」
「うん、ユズが帰るってときに帰るわ」
「それ以外もですからね。全部ですよ」
「うんうん、わかっているわ!」
疑うような眼差しを向けてくるユズは折れた。ユズはいつも折れてくれる。ユズは優しいから。
「ローズ、近い」
「あら、ユーシュ兄さまも内緒話したいんですか」
ユーシュは首を横に振る。
人前だとユーシュは言葉数が減る。それは馴染みのあるユズであっても。ユーシュが饒舌になるのは両親とローズとイリュとラナに対してくらいだ。
「じゃあ腕組みですかね?」
ユズから離れると、ユーシュの腕をとる。マント越しだから兄であっても別に恥ずかしくはなかった。
「ローズ、恥ずかしい」
恥ずかしいと言いながら、ユズについて歩く中で振りほどこうとしない。やはり母の言う通り、ユーシュが父に一番似ている。
「ユーシュ兄さま、クローズガイアの腕利きの鍛冶が常駐しているんですよ。ユズの仕事の間に剣をご覧になったらいかがでしょう」
その間にローズは情報収集にいく作戦だ。
「クローズガイアの鍛冶の腕は良いと聞くが、……やめておこう。他国の剣は」
ユーシュの所属するグランツェ軍は、クローズガイアとの戦も視野に入れている。
グランツェと海を挟んだ対岸の王都は、クローズガイアの北部で親グランツェ派が多く、豪族のなわばりになっている南部には反グランツェ派が多いと聞く。
ローズの行動範囲は、商人手形をもっているユズの行動可能範囲内。南部は遠すぎて、風で情報を運んでもらえず、状況を確かめるすべがない。
いずれ、把握しなければならないが、当面の問題はユーシュだ。
「ではユーシュ兄さまがお暇になってしまいます」
「……ローズ、俺の案内をするんだろう」
失言だった。
「ユーシュ兄さまのこと、放っておきませんけれど、……目的がないことユーシュ兄さまはお嫌いでは?」
「今日は休日だ。そういう日もあってよいだろう」
手ごわい。滅多に見せない柔軟性を今、発揮してきた。
「ローズさま」
わずかに緊張したユズの声。目を向ければ、ユズがローズを庇うように抱きすくめる。自然とユーシュの腕から手が離される。自由になったユーシュの手が鞘にいくのを感じた。
息だけの笑いが聞こえる。
「つけねらっているわけじゃ、なさそうですね」
いつか聞いた声だった。まばゆい銀髪が脳裏をよぎる。藍の方の側近らしきシンだ。ユズの腕は緩んだけれど、ローズを抱きかかえて逃げられる姿勢は崩さなかった。
「念のため商人手形を拝見しても?」
「もちろんです。グランツェ拠点のユズ・ハーグウィルと申します」
ユズはローズを片腕で庇いながら、シンに対応している。控えめな商人の声を出すユズにかぶせるようにシンが爽やかに笑う。
「あなたのことは元々知ってますよ。薬中心に扱う商人だけれど、いつも連れがいるとね。マントのお連れが多いですねぇ。そちらのお嬢さんは今日もマントですか」
「嫁入り前のお嬢さまです。お父上の命もあり、お顔をおみせすることはご容赦を」
「嫁入り後までお預けですか」
「そちらも同じかと」
「ばれていますか。あなたも苦労しますねぇ。ただ今日はうちのマント男はお留守番ですよ。本人は来たがっていたんですけど、色々あって諦めました」
マント男はお留守番。
マント男はお留守番。
ユーシュを説得して、ユズにお願いしてクローズガイアへ来たのに、今日は会えない。
この前、目があったことが奇跡に思えてくる。
もう一度と願ったのは欲深だっただろうか。
「伝言でも?」
シンに問われて、ユズがローズに目を向ける。伝言、なにを言えばいいのだろう。
なんと言えばローズの気持ちに一番近いだろう。
考えてもいいセリフがでてこない。
「ユズ、兄さまをお願い」
「何をっ」
「若さま、申し訳ないですが」
ユズがユーシュを抑えてくれている間に託せるものを。
ぎゅっと手を握り合わせて、祈る。
実在はしない。想像したとおりに、創造ができれば。
彼の、瞳の色。
海の底に見える深い藍色。
花びらの色は、彼の色。
手に爪が食い込んで痛むけれど、もっと強く。力が漏れないようにだけ集中して握りしめる。想像していた花が、ローズの体内で芽吹くのを感じた。
芽吹けばもう、この花はローズの自由。
ぱっと開いた手の中に誕生したのは、薔薇。
マントから手を伸ばす。
「これは、珍しい薔薇ですね。必ず、渡します」
この世には咲かない青薔薇。彼の色に似せた青よりも濃い、藍色の。
彼には青薔薇が似合う。




