依頼が多い!
■1
翌朝。
「ヴォルコワさーん!」
玄関の外から声がした。
「こちらに、野ブタ退治の専門家がいると伺ったんですけどー!」
朝食中の修司が顔を上げる。
「……専門家?」
ソーニャが笑った。
「シュージじゃない?」
「違いますよ」
ナディアが玄関へ向かう。
扉の外には、六十代後半くらいの男が立っていた。
玄関先には、男が乗ってきた馬が繋がれていた。
「おはよう、ナディア」
「おはようございます」
「昨日、店で聞いてな」
男は帽子を取った。
「日本人が罠の場所を変えたら、野ブタが掛かったって」
「うちにも罠があるんだが、全然掛からないんだ」
「一度、見てもらえないか?」
ナディアが振り返る。
「修司さん」
「はい?」
修司が玄関へ出る。
「見るだけなら構いませんけど」
「助かるよ!」
「ただ、捕まる保証はできませんからね」
「もちろんだ」
「それじゃあ、ついてきてくれ」
ソーニャが考える。
「あ……」
少し困った顔になった。
「どうしたんです?」
「私、今日は羊を連れていかないといけないのよ」
修司を見る。
「シュージ、自分で馬に乗れるんでしょ?」
「……一応」
「じゃあ、一頭貸すわ」
「いや、観光牧場で何回か乗った程度ですよ」
「大丈夫よ」
ソーニャは笑った。
「ザリャの妹、おとなしいから」
■2
修司は、牝馬にまたがっていた。
拍子抜けするくらい、おとなしい。
手綱を強く引かなくても、前を行く老人の馬について歩いていく。
「……賢いな、この子」
修司が小さく呟く。
自分が乗れているというより、完全に馬のほうが合わせてくれていた。
「助かるなあ」
やがて、麦畑の端に着いた。
老人が地面を指す。
「この辺だ」
修司は馬を降りる。
畑の端。
踏み荒らされた土。
柵の隙間。
その先に、いくつもの足跡が残っている。
修司はしゃがみ込んだ。
「あ~」
「どうだ?」
「これは確かに野ブタですね」
「やっぱりか」
老人が頷く。
修司は周囲を見る。
少し離れた場所に、くくり罠が仕掛けられていた。
「罠は、あれですか?」
「ああ」
修司は近づいて、地面を見る。
それから、数メートル先を指した。
「こっちですね」
「こっち?」
「はい」
「たぶん、ここを通ってます」
老人が首を傾げる。
「そんなに違うのか?」
「罠は悪くないですよ」
修司は立ち上がった。
「場所だけ変えてみましょう」
老人と二人で罠を移す。
それだけだった。
「これで掛かるのか?」
「分かりません」
「分からないのか」
「罠ですからね」
修司は笑った。
「明日、掛かってたらラッキーくらいで」
老人も笑った。
「なるほどな」
■3
そのとき。
遠くから馬の蹄の音が聞こえた。
一人の男が、こちらへ走ってくる。
「おーい!」
二人が振り返る。
男は近くまで来ると、馬を止めた。
「日本人って、あんたか?」
「はい?」
「いまナディアから聞いてな」
男は笑う。
「ここにいるって」
親指で、自分が来た方向を指した。
「うちの畑も見てくれよ」
修司は少し黙った。
「見るだけでいいから!」
老人が隣で笑い出した。
「人気者だな、日本人」
修司は小さくため息をついた。
「……じゃあ、見るだけですよ」
「助かる!」
男は馬首を返す。
「こっちだ!」
修司は牝馬を見る。
牝馬は草を食べるのをやめ、こちらを見ていた。
まるで。
――次、行くんでしょ?
そんな顔だ。
「……はいはい」
修司は笑って、鞍に足を掛けた。
■4
翌朝。
修司は、厩舎の前にいた。
昨日借りた牝馬に、干し草をやっている。
「お前、本当に賢いな」
牝馬は気にした様子もなく、草を食べていた。
少し離れたところでは、ソーニャが羊を外へ出している。
そのとき。
遠くから馬の蹄の音が聞こえた。
「おーい!」
昨日の老人だった。
馬を走らせ、そのまま農場へ入ってくる。
鞍の横には、大きな布袋が下がっていた。
「日本人!」
「はい?」
「掛かったぞ!」
修司が目を丸くする。
「野ブタですか?」
「ああ!」
老人は満面の笑みだった。
「でっかいのが一頭!」
ソーニャが駆け寄ってくる。
「本当に?」
「本当だとも!」
ソーニャが修司を見る。
「ほら!」
嬉しそうに笑う。
「やっぱりシュージ、すごいじゃない!」
「いやいや」
修司は手を振った。
「昨日も言ったでしょう。ラッキーですよ」
「またそれ言ってる」
老人が笑った。
それから、鞍に下げていた布袋を外す。
「ほら」
修司へ差し出した。
「え?」
「礼だよ」
中には、チーズと卵が入っていた。
「いや、そんな」
「持ってけ」
「見るだけって話だったじゃないですか」
「だから金じゃない」
老人は笑う。
「助かったんだ。受け取ってくれ」
修司は少し困って、ソーニャを見る。
ソーニャは笑っていた。
「もらっておきなさいよ」
「……じゃあ」
修司は袋を受け取った。
「ありがとうございます」
「礼を言うのはこっちだ」
老人は満足そうに頷いた。
ソーニャが袋を覗き込む。
「いいチーズじゃない」
「分かるんですか?」
「村で作ってるんだから分かるわよ」
老人は笑いながら馬へ戻った。
「じゃあ、またな!」
「はい」
修司が手を振る。
老人の馬が遠ざかっていく。
■5
老人の馬が遠ざかっていく。
「おーい!」
入れ替わるように、別の男が馬に乗ってやってきた。
「日本人!」
修司が振り返る。
男は二人の前で馬を止めた。
「いま、ナディアから聞いてな」
「ここにいるって」
「うちも見てくれないか?」
修司は少し黙った。
「……見るだけですよ」
「助かる!」
男が笑う。
ソーニャが修司を見る。
「シュージ」
「はい?」
「今日も、この子借りる?」
修司は隣の牝馬を見る。
牝馬も修司を見ていた。
「……いいんですか?」
「もう仲良くなってるじゃない」
「俺より、この子のほうが分かってくれてるだけですけどね」
ソーニャが笑う。
「じゃあ、いってらっしゃい。専門家!」
「だから専門家じゃないですって!」
ソーニャは笑いながら手を振った。
「私は羊のお世話に行ってくるわ」
「はい。気をつけて」
「シュージもね」
二人は、それぞれの馬へ向かった。
■6
その日の夕食。
食卓の横には、もらい物が積まれていた。
卵。
チーズ。
パン。
干し肉。
アンズの瓶詰め。
修司が、それを眺める。
「……増えましたね」
ナディアが笑った。
「今日のお礼ですって」
「まだ結果が出てないところもありますよ」
「見てもらっただけでも助かったんでしょう」
ソーニャが一枚の紙を広げた。
「それで、明日は四件ね」
修司が顔を上げる。
「四件?」
「朝から順番に回れば大丈夫よ」
修司は紙を見る。
名前と場所が、きれいに並んでいた。
「……いつから俺の予定表ができたんですか?」
「今日から」
「勝手だなあ」
ソーニャが笑う。
修司は紙を眺めながら、少し考えた。
「今日いろいろ回って分かりましたけど、この辺、結構いろいろいますね」
「そうなの?」
「野ブタだけじゃないです。キツネっぽい跡もありましたし」
修司は少し考える。
「それから……あれがオオカミなんですかね」
「大きい犬みたいな足跡もありました」
「ああ、それはオオカミね」
「やっぱりそうなんだ」
修司は少し感心した。
「日本じゃ、クマの相手が大変でしたよ」
「クマ?」
ソーニャは少し考える。
「このあたりでは見たことないわね」
「ずーっと南の山の方には、いるみたいだけど」
「それは助かるなあ……」
今日見てきた畑や家畜小屋を思い出す。
「罠も、くくり罠だけじゃない」
「へえ」
「網を使ってるところもあったし、柵で囲ってるところもあったし」
修司はパンをちぎった。
「まあ、全部捕まえればいいって話でもないですけどね」
「どういうこと?」
「入ってくる場所を塞いだ方が早いところもありますよ」
ソーニャは感心したように頷いた。
「なるほどねえ」
それから。
「でも、ごめんね」
「はい?」
「私、明日も羊のお世話をしないといけないの」
「もちろんですよ」
「ミーラも、シュージのこと気に入ってるみたいだし」
ソーニャは笑う。
「明日もよろしくね」
「そうそう」
思い出したように続ける。
「隣のペトロフおじさんも、シュージのこと褒めてたわよ」
「もうそこまで広がってるんですか」
修司が苦笑する。
少しして。
「本当に好きなんですね」
「何が?」
「羊飼い」
ソーニャは少しだけ目を丸くした。
そして。
「うん」
迷わず頷く。
「ずっと続けたい仕事だから」
修司は笑った。
「いいですね」
「何が?」
「そういう仕事があるのって」
ソーニャも笑った。
食卓の横には、今日もらった品物。
テーブルの上には、明日の予定表。
修司の旅は。
いつの間にか、ずいぶん忙しくなっていた。
■7
翌日も、朝から忙しかった。
畑を見て。
柵を見て。
足跡を見て。
気がつけば、四件目を回り終えていた。
夕方。
修司はミーラに乗って、ヴォルコワ家へ戻ってきた。
ちょうど向こうから、羊の群れが帰ってくる。
先頭にはザリャ。
その上に、ソーニャがいた。
「シュージ!」
ソーニャがこちらに気づく。
いつもより少し慌てている。
馬を寄せると、息を整えながら言った。
「ごめん。もう一件だけいい?」
「どうしたんです?」
「村外れのソロコワおばさんのところ」
「畑が荒らされてるんだけど」
ソーニャは眉を寄せた。
「今まで見たことない荒らされ方なの」
修司は少し考える。
――今まで見たことがない。
昨日の会話が頭をよぎる。
このあたりでは見ない。
ずっと南の山にはいるらしい。
まさか。
「……クマ?」
「分からない」
ソーニャが首を振る。
「だから、シュージに見てほしいって」
修司はミーラの手綱を持ち直した。
「分かりました」
「行ってみましょうか」
二人はそのまま、村外れへ向かった。
■8
村外れ。
ソロコワの家に着いた頃には、空がだいぶ暗くなっていた。
「ソーニャ」
家の前で、年配の女性が待っていた。
「遅くにありがとうね」
「ううん」
ソーニャが馬を降りる。
「こっちがシュージ」
「日本から来た人ね」
ソロコワは修司に頭を下げた。
「悪いわね。こんな時間に」
「いえ」
「こっちなの」
三人で家の裏へ回る。
畑の端。
柵が大きく壊されていた。
地面も荒れている。
ソロコワが眉を寄せる。
「なんか変なのよ」
「変?」
「いつもの野ブタも狼とも違うの」
「昨日の夜、犬もずっと吠えててね」
少し考える。
「吠え方も、いつもと違ったのよ」
修司は柵の前にしゃがみ込んだ。
土を見る。
折れた木を見る。
周囲の草を見る。
――まさか、クマか?
一瞬だけ、そんな考えが浮かぶ。
だが。
違う。
修司は壊れた柵の向こうを見る。
「……これ」
「どう?」
ソーニャが隣にしゃがむ。
「動物じゃないですね」
「え?」
修司は立ち上がった。
「侵入したのは、たぶんこっちです」
柵の外へ回る。
少し先。
道の脇に、まだ湿ったぬかるみが残っていた。
修司が足を止める。
「……やっぱり」
泥の上。
はっきりと、タイヤの跡が残っている。
その横には。
いくつもの靴跡。
ソーニャの表情が変わった。
「これ……」
修司はしゃがみ込む。
靴跡を見る。
どれも、よく似た靴底の模様をしていた。
「一人じゃないですね」
「何人?」
「そこまでは分かりません」
修司はタイヤの跡を見る。
その先。
踏み荒らされた草へ目を移す。
「でも」
ゆっくり立ち上がる。
「同じような靴を履いた人間が、何人か来てます」
ソロコワが不安そうに口元を押さえた。
ソーニャが修司を見る。
「じゃあ、これ……」
「はい」
修司は壊れた柵を振り返った。
「人間ですよ」
少し間を置く。
「警察を呼びましょう」




