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万物鑑定士、辺境で経済を制す  作者: 春野ケイ


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8/20

第8話「量産できない領地の、苦しい台所事情」

マルクの申し出を持ち帰った日の晩、俺はクラーラと二人で、書庫の隅にまた陣取っていた。


「継続的に卸すって、簡単に言うけど」


「簡単じゃないですよね、たぶん」


「うん。まず、ゲルトさん一人でどれだけ作れるかって話になる」


 言いながら、俺は厨房の設備や人手を頭の中で並べてみた。鑑定を使うまでもなく、答えは見えている。今の厨房は、屋敷の人間の食事を賄うための場所であって、商品を量産するための場所じゃない。


「素材も気になります。香辛料なんて、うちの領地でそんなに採れませんし」


「肉も、たぶん今の仕入れ量がぎりぎりだと思う」


 これまでの話とは、明らかに種類が違う問題だった。倉庫に眠っていた織物や、評価されていなかった料理人の腕――今までは「気づかれていない価値を見つける」だけでよかった。だが量産となると、今度は「新しく何かを増やす」話になる。人手、設備、素材、どれも一朝一夕にはどうにもならない。


 前世で、こういう場面を何度か見た記憶がよみがえる。小さな成功に気をよくして、身の丈に合わない拡大に手を出し、結局は資金繰りで潰れた会社。勢いだけで突っ込むのが、一番危ない。


「父上に、相談してみる」


「また倉庫整理みたいな言い方で?」


「いや、今回はもう少し具体的に話すつもり」


 翌日、俺は父の執務室を訪ねた。前回のように、話をぼかす気はなかった。


「父上、干し肉が隣領で売れました。ゲルトさんが作ったものです」


「……ああ、聞いている。クラーラとやらが報告に来ていた」


 その一言に、少し驚いた。俺の知らないところで、クラーラがすでに動いていたらしい。


「それで、続けて卸してほしいという話が来ています。ただ、今の厨房の規模だと、量を増やすのは難しくて」


 父はしばらく黙って、俺の顔を見ていた。子供の思いつきとして流されるかと思ったが、今回はすぐには否定してこなかった。


「……どれくらいの規模を考えている」


「まずは、下働きの人手を一人か二人、ゲルトさんの手伝いに回せないかと。設備を大きく変えるところまでは、まだ考えていません」


 控えめな数字を出したのは、わざとだった。いきなり大きな話をぶつければ、また「戯言」として片づけられかねない。小さく、具体的に。それがこの家で信用を積む唯一のやり方だった。


「……人手を割くくらいなら、構わん。ただし、他の仕事に支障が出ない範囲でだ」


「はい」


「それと」


 父は少し間を置いてから、続けた。


「ゲルトから話は聞いていた。あれを持ちかけたのがお前だというのは、今の口ぶりで分かった」


「……はい」


「倉庫の織物のことも、たしかクラーラが絡んでいたな。となると、あれもお前が仕掛けたということか」


 肯定とも否定ともつかない声で、俺は頷いた。父の目に浮かんでいたのは、これまで見たことのない色だった。呆れているわけでも、疑っているわけでもない。強いて言えば、少し戸惑っているような、それでいて悪くはないと思っているような。


「……お前は、変わった子供だな」


 それだけ言うと、父は書類に視線を戻した。会話はそこで終わりだったが、これまでで一番、まともに相手をしてもらえた気がした。子供の思いつきとして流されるのではなく、判断すべき提案として扱われた。小さいが、確かな変化だった。


 厨房に戻ると、ゲルトが下ごしらえをしていた。人手を割く許可が下りたことを伝えると、意外な反応が返ってきた。


「一人か二人ですか。……なら、下働きのうち何人かに、香辛料の配合だけでも覚えさせるのがいいかもしれません」


「教えられそう?」


「簡単な部分だけなら。全部を任せるのは無理ですが、量を分担できれば、多少は増やせます」


 これまでのゲルトなら、こんな提案は出てこなかっただろう。頼まれたことをこなすだけの人間から、少しずつ「どうすれば増やせるか」を自分で考える人間に変わりつつある。長年腐りかけていた現場に、小さな火が戻ってきたような感覚があった。


「じゃあ、その方向で進めてみようか」


「ええ。……坊ちゃんに言われて始めたことですけどね、これは」


 ゲルトは苦笑いを浮かべながら、それでも手を止めずに作業を続けていた。


 夕方、クラーラにここまでの話をまとめて伝えると、彼女はしばらく考えてから言った。


「人を増やすのと、設備を変えるのと、どっちを先にやるかって話ですよね」


「うん。一気に両方はさすがに無理だと思う」


「なら、まずは小さな設備投資から始めましょう。厨房の作業台を増やすくらいなら、そんなに費用もかかりません」


 クラーラの提案は、いつも地に足がついていた。派手な拡大策ではなく、確実に回せる小さな一手。それが今のうちには合っている気がした。


 人手が少し増え、父の態度も、ほんの少しだけ変わり始めている。派手な転機ではない。それでも、詰んでいたはずのこの家が、少しずつ動き出しているのを感じた。


(第9話「小さな作業台と、増えた仲間」へ続く)


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